卒業証書授与式

3月15日(金)、中央中学校の卒業証書授与式に出席しました。
平成30年度第38回の授与式です。

今年卒業を迎えたのは、3年1組(1クラス37名)から6組の合計224名で、これまでの卒業生は9,519人になりました。

何んと言っても、式典のメインの一つは卒業証書の授与です。ステージで、校長より一人一人に卒業証書が手渡されます。
この時、柔らかな緊張感の中で生徒と校長の思いが伝わってきます。そして、それを見守っている保護者の姿が印象的でした。

「一同礼」で始まり、開式のことば・国歌並びに校歌斉唱・卒業証書授与・校長式辞・教育委員会告辞・来賓祝辞・来賓紹介並びに祝電披露・卒業記念品贈呈・在校生送辞・卒業生答辞・式歌合唱・閉式のことば、そして「一同礼」で終わる式典。

いかにも日本的で、形式を重んじる式典だと思われる方もおられるとは思いますが、大人へと向かう彼らを見守り、期待する気持を伝えていると思います。「義務教育」を終える節目に、卒業を祝い、将来の目標や夢に向かって頑張ってほしいと願い、応援していることを伝えているのではないでしょうか。

在校生送辞に続いた卒業生答辞の途中、卒業生全員が立ち上がり保護者・在校生と向き合い、『YELL』という歌を合唱しました。
『「“わたし”は今 どこに在るの」と踏みしめた足跡を 何度も見つめ返す 枯葉を抱き 秋めく窓辺に かじかんだ指先で 夢を描いた…  』
初めて聞く、長い歌でした。

答辞が終わり、式歌。卒業生、在校生そして教職員も一緒だったと思いますが『旅立ちの日に』が歌われました。
『白い光の中に 山並みは萌えて はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ…  』

歌詞の「言葉」に、それぞれの心に触れる「これまでの思い」と「これからの思い」があるのだと思います。緊張と興奮が広がり、涙ぐむ生徒もおりました。
やはり歌の力は大きいと感じました。

「平成」最後の卒業生を送り出した 校長 豊田 正一氏も退職です。
長い間、お疲れ様でした。

あれから8年です

東日本大震災と福島原発事故から8年です。
震災と津波そして第一原発の事故。

当日たまたま、障がいをもたれた方のお宅におりました。
少し落ち着いた後、自宅へ電話して状況を聞きました。そして、近所の幼稚園、中学校の被害状況を確認し、市役所へ向かいました。ガードマンから、「いながきさん○番目です」と言われたことを覚えています。

刻々と伝えられるニュース映像で「とんでもないこと」が起こってしまった。原発はどうなるのだろう。被災地の状況とこれからのことへの、「不安と心配」が大きくなっていきました。

吉川市内でも、被害と混乱がありました。

電車が止まり「帰宅困難者」が発生。中央公民館で、一晩過ごしてもらいました(迎えの車が来た方もおりました)。
コンビニ・スーパーでは、おむすびやパンが売り切れ、水道水の放射性物質の心配から、水のペットボトルもなくなりました。乳幼児を抱えたお宅からは、水を求め、市役所・病院への問い合わせが相次ぎました。

私の家では、就職試験のため都内へ行っていた次女が戻れなくなりました。試験会場に留まり、翌日に帰宅しました。

その後計画停電で、市内の街路灯・信号機が消灯しました。暗闇の交差点は恐怖の「危険地帯」でした。

吉川市議会は3月議会中でしたが、市内の被害状況確認や市民生活及び被災地支援の対策業務を優先することを決めました。予定していた一般質問を取り止め、閉会しました。

未曽有の大惨事。おびただしい犠牲者、被災者、避難生活者。それを生み出した地震・津波・原発事故、放射能の恐怖。
皆が、「災害への備え」と「命」について考え、この教訓をどう生かすのかを考えたと思います。

しかし私自身、8年という歳月、日々の生活、溢れる情報の中で、あの時の記憶とこれからの「思い」が薄れてきていると感じます。
これまで学んできた減災対策や被災地での体験から、地域の中で果す役割を思い起こす、「3.11」にしたいと考えます。

*更新が遅れました。申しわけありません。

〈夜間授業〉第9回・池田大作と創価学会

池上彰さんの「夜間授業」第9回のテーマは、池田大作と創価学会でした。

2月8日(金)19時、会場は文藝春秋社西館地下ホールです。第2回から続けて参加していますが、当日はいつもとは何か違った雰囲気が漂っていました。

20分前に会場へ入りましたが、ほぼ満席でした。老若男女おりましたが、これまで出席されていない方が多いと感じました。全体に黒っぽい服装でした。

今回のテーマからすると、学会、反学会の立場の方を含め池田大作氏に関心・興味をもつ方々だと思いました。私と同様に、池上さんが何を話すのか、どんなことを言うのか、どこまで話すのかを楽しみにしている様子でした。

2時間の授業を受けるため、大切な時間とお金を使ってきている人達です。ゆったり感はなく、やや緊張した真面目な空気感でした。

池上さんは、言葉を選びながらレジメに添って淡々と話をされました。いつも以上に客観的に語っていたと思います。会場の雰囲気を感じ取っていたと思います。

レジメには、1 私と創価学会 2 南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華教 3 弾圧を受けた創価学会 4 高度経済成長期にともに成長 5 政界へ進出ー国立戒壇建立を目標 6 「言論出版妨害事件」で謝罪 7 創共協定を結ぶ 8 大石寺から破門ー独立の宗教法人へ 9 反自民で自民党から批判 10 自民党と組んで与党に 11 「下駄の雪」と皮肉られても、 とあります。

池上さんは、『元々は、「日蓮正宗」信徒団体の一つであった「創価学会」がどのように発展してきたのか、何のために政界へ進出したのか、宗門との対立と独立の経過、自民党との関係等。そして「池田大作」はどんな人で、これらにどのように関わってきたのか』について、年表(池田大作と創価学会)を使い、事実を淡々と説明するとともに自身の取材経験を交えて話をされていました。

私が特に興味を覚えた一つは、現在800万世帯と言われる創価学会が大きく発展した時代背景、その手法と対象とした人達についてです。1960年代の高度成長期、地方から上京した若者の「仲間づくり」と「相互扶助」で会員を増やして行ったことです。

学歴の低い労働者たちを中心に、「現世において、自分の人生を変えることが出来る」と伝え、仲間を増やすことで、東京や大阪という都市の中で、安心と生きる自信を与えてきたと思います。

学生時代、地方から来ていた友人が同じアパートに住む人に折伏され、学会へ入信したことがありました。同じだったと思います。1970年代のことですが、労働組合や共産党の民青も同じような活動を通して、組織の拡大を図っていた時代でした。

公明党が「弱い者の味方」として、ポピリズムに走る傾向の原点だと感じます。

政界への進出の目的は、国立戒壇建立が目標だと聞きました。日蓮正宗を日本の国教にするのが目標ということに、驚くとともに、改めて宗教の持つ力を感じました。

池田大作氏について池上さんは、「平和主義者でリアリストではないか」と述べました。昭和3年1月2日、東京大森で海苔業者の5男として生まれた彼の生い立ち(池上さんの話から)や、これまでの経歴を辿るとそのように映ります。

学会婦人部の、平和への強い思いや安倍総理に対する評価からみると、先生(学会での池田会長の呼称)の影響があるのかも知れません。

池上彰の〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」の一人に選ばれた池田大作は高度成長期、人々の不安をなくす「よりどころ」を広めた人です。偶然かも知れませんが、江戸時代から続く檀家制度に挑んだ人ともいえます。また、毀誉褒貶の人であることは間違いないと思います。

*私は「仏教」についての知識はほとんどありません。池上さんの話で、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華教の意味を初めて理解しました。

*毎回30分程、「質疑応答」の時間があります。私の質問は、宗教団体への寄付(お布施)と選挙(投票)との関係について。

*次回の夜間授業は、第10回(最終回)「天皇陛下と美智子さま」です。3月28日(木)、授業開始は19時00分。申し込みは文藝春秋社へ。受講料は6,480円(税込)です。

戦いすんで日が暮れて

市長選挙の投開票日から1週間が経ちました。

選挙の結果を受けて、敗因の分析や課題の整理等をやらなければならないと思っています。そして有権者が今回の「選挙」結果をどのように受け止めたのか、また両候補の主張をどのように感じ、その姿はどう映ったのかについて、率直に聞く必要があると思います。
多くの市民が「感じた」ことが、選挙戦でやってきたことの全てだと思います。

選挙期間は慌ただしい日々でしたが、この1週間も同様で、選挙事務所の撤収作業、街中に貼られたポスターの回収、支持者への御礼等、戦後処理に追われました。

また、「3月議会」が予定通り始まることから議会準備を行いました。

18日(月)、議案書配布。議案・補正予算・当初予算の全体像を把握するため、21日(木)・22日(金)に勉強会を開き、担当部署よりレクチャーを受けました。
19日(火)は、議会運営委員会と代表者会議に出席。午後は、旧庁舎解体工事に係わる「杭抜き工事」の説明見学会へ参加。その後、代表質問(21日(木)締切)について会派ミーティングを実施。一般質問(22日(金)締切)については、質問をまとめ、会派内での調整を行い提出しました。

個人で参加している「子どもの歯と健康を守る会」や「財政分析学習会」などもあり、バタバタの1週間でした。
まだ選挙の「総括」は出来ていません。

昨日の6時前、会合に向かうため緑道を歩いていると、西の空が「夕焼け」でした。
『戦いすんで日が暮れて』という言葉が浮かんできました。

佐藤愛子さんの短編小説にも使われていますが、軍歌(反戦歌)の「戦友」の中にある歌詞の一部です。
『戦いすんで日が暮れて 探しに戻る心では どうぞ生きてくれよ もの等(なと)言えと願(ねご)うたに』

久し振りです

ゆっくりと朝食を取るのは久し振りです。

昨日、7日間にわたる吉川市長選挙の運動期間が終わりました。
このひと月半、吉川と吉川美南の駅頭に立っていました。朝の通勤・通学時、候補者と一緒に挨拶をしていました。少しづつ私達を見る目も変わり、選挙の雰囲気が漂い始めてきましたが、やはり大きく変わったのはこの1週間です。

両候補者がたすきを掛け、運動員とともに自転車に乗り、選挙カーと確認団体の車が市内を走り、それぞれの主張を繰り返した選挙運動期間です。
直接、市民の方々から意思表示が伝わってきます。徒歩・自転車・車から「応援しているぞ」という意思が言葉や身体(動き)から分かります。選挙カー等での「辻立ち」では、家からで出てこられ言葉をかけてくれます。差し入れを頂くこともありました。

相手の動きや雰囲気が分からないので、何となく私達へ風が吹いているように思ってしまいます。
お互いに自分たちを応援している人達の言動ですので、両陣営ともそう感じているのではないでしょうか。

先週のブログで、なぜ「中原恵人」を応援しないのか、できないのかを書きました。
予定では、その理由を毎日一つづつ書いて行こうと考えていましたが、無理でした。余裕がありませんでした。

一言で言えば、「信頼できない人」だからです。

「まちづくり」の考え方や政策、事業の進め方も大切ですが、「信頼」が前提です。リーダーは誠実で正直な人でなければなりません。言うこととやることが違う人は「信頼」できません。

8年間からそんな雰囲気はありましたが、特に市長になって4年間の言動、立ち居振る舞いをそばで見て実感します。
具体的事例を挙げればきりがありませんが、これまでの彼の言葉と行動、書かれたモノ、実際にやったことを辿れば分かります。

中原市政は、「組織」の中で働いたことがない人が、ある日突然「権力」を持ち、なんでも出来ると勘違いをしてやってきた4年間だったと思います。

思い込みが強く、独りよがりで「人間」を理解せず、「組織」を動かせず、市長の役割や議会の役割を理解できない方に4年間も、「リーダー」を務めさせたのは、私をはじめ私達の責任だと思います。

*更新が遅れ、申しわけありません。

*選挙結果(開票速報)22時54分確定 得票総数24,777票 投票率43.25%

吉川としゆき 10,750票

中原恵人   14,027票 当選

なぜ「中原恵人」を支援しないのか、できないのか

なぜ「中原恵人」を支援しないのか、できないのか。
それは、まちづくりの基本姿勢とその進め方、そしてお金の使い方が誤っていると思うからです。また、言うこととやることが真逆だからです。

「三位一体」のまちづくりは「市長が主役」のまちづくりとなり、「最初に結論ありき」で、強引に進める政策や事業。人の意見を聞こうとしない「独断専行」の姿勢が目立ちます。

「おあしす改修」に対する対応が象徴的な事例です。
昨年の3月議会で市民の会は、自民党、共産党の賛成を得て、「おあしす改修費」8700万円を減額修正しました。

これに対し市長は、「議会の判断を重く受け止める」としながら、おあしす1階にあった「はーとふる・ぽっと」を新庁舎3階の職員休憩室へと誘導し、撤退(閉店)させました。

3階での新たなコーヒーや弁当販売の準備も出来ていない中、売り上げは3分の1になり、障がい者就労支援で働く人達と市民との交流はなくなりました。

「はーとふる・ぽっと」の跡は、内側から紙が貼られ何の活用もされず、10か月も放置されています。
おあしす利用者をはじめ新庁舎に来られた市民は、喫茶や軽食を利用出来ず、休む場所がありません。硬直した考えで市民の利便性も考えず閉店させ、その責任を我々に転嫁しました。

また、市民の会・自民党・共産党が申し入れている「おあしす改修検討委員会」の設置についても、検討せず「市長キャラバン」を開催。

自分の支援者を集め、都合の良い意見だけをチョイスするやり方(ワンマンショー)は、「お友達市政」だと思います。

市長の口癖は「瑕疵はない」。私の判断、進め方は間違っていない。と言いますが、それでは、議会・議員が間違っていることになります。

コンサルへ依頼したおあしす2階での喫茶・レストラン導入の市場調査結果からは「民間事業者による運営は難しい」との見方でした。
思いつきの甘い計画を我々がストップしたことで、市長の失敗が表面化せずに済んだのではないでしょうか。【2月9日 その1】

朝焼け・夕焼け

このところ、朝焼け・夕焼けが本当にきれいです。

日々変わりますが、昨日の「朝焼け」には息を飲みました。
地平線の東から西へ、黒い雲があたかも遠くの山々のように連なり、東の空は赤く染まっていました。南の空には、三日月といくつかの星が輝いていました。

「夕焼け」もまた、何んとも言えぬ美しさでした。
富士山の後ろに日が沈む時、西の空は茜色に輝き、富士山は影絵のように黒い姿で映ります。
改めて、自然の美しさに心が動きます。

その一方、ドロドロとした「選挙戦」が始まったことを感じさせられます。

すでに終わった「フロリデーション実施」の危機をあおり、市民を不安にさせたり、市民の会「議会報告」への攻撃です。
リーフレットやSNSで誤った情報を拡散させる、いつものやり方ですが、一度ついた嘘は雪だるまのように膨らみ続けます。

私には、「恥の上塗り」にしかならない。と思えるのですが。

今週もまた…

「あっと」いう間の1週間でした。
毎度のことですが、バタバタしている間に今週も終わりました。

今日26日(土)は、朝から夕方までビラ配りです。
吉川さんの「政策ビラ」と市民の会・無所属の「12月議会報告」をセットにしてポスティングしました。A3サイズで、安い(インターネットによる)印刷のせいかやたら紙が重くしんどいです。
朝から風があり、ポストへ入れるのが少し大変でした。それでも、1,100程ポスティング出来ました。

20日(日)は私達、市民の会・無所属の市政報告会でした。
「おあしす」セミナールームでの開催でしたが、市長選挙も近いことから、出席者も多く盛況でした。

市長候補者の吉川さんにも途中から参加頂きました。なぜ市民の会が「自民党の吉川さんを応援するのか?」という、基本的な質問が出たり、中原市長の応援団と思われる方の「よく分からない意見」もあり、にぎやかな報告会となりました。

21日(月)は午前9時~「広報委員会」へ出席しました。

昼からは自民党吉川支部と三ツ林衆議院議員の後援会(三幸会)合同新年会へ出席しました。初めてのことです。

これまで、どの政党の新年会へも出席したことはありませんが、吉川さんを応援することもあり、お誘いがありましたので行ってみました。

なかなか面白いものでした。いろんな方がお見えでした。
自民党の三ツ林衆議院議員・古川参議院議員の他、公明党の矢倉参議院議員と吉川市議会公明党議員3名も自民党友党議員ということで出席しておりました。我々、市民の会の議員がいたことに戸惑っているようでした。
夜は選挙関連のミーティングへ。

22日(火)午前10時より、民生委員推薦会へ出席しました。文教福祉委員会のあて職として委員になっています。

吉川市の現状は平成31年1月22日現在、定数109に対し委嘱者数100、欠員9です。今回、1名の候補者の審査・推薦を行うためです。
高齢化が進む中、かつての「名誉職」から「動くことが」求められる仕事だけに、なり手不足は深刻化しています。保護士も同様です。

午後12時30分、歯の治療に行きました。疲れや寝不足が続くとどうしても「歯」にきます。このところ違和感が続いていました。

午後2時~4時30分は、吉川と松伏の新聞販売店へ吉川さんの「政策チラシ」を届けました。
午後6時~8時半までは、川口市で行われている「川口自主夜間中学」の様子を見学に行きました。
33年前から行われている「川口自主夜間中学」ですが、最近は日本語(話す・読む・書く)を学びにくる外国人が中心になっています。中国・韓国・ベトナムの方が多く、目的やレベルに合わせたグループごとに行っていました。

授業の最後、今年4月に川口市立の「夜間中学」が開校することから、その案内をしておりました。

23日(水)は、翌日に開催される「決起集会」の準備に追われる中、風ではがれたポスターの修復と新たな場所への設置。また、「政策チラシ」と市民の会の「12月議会報告」を配布するための準備に追われました。

24日(木)。朝の駅頭挨拶・ビラ配りから戻った後、旭小学校へ。4月に開催する「フッ素洗口」学習会の案内です。

午後3時からは、「決起集会」の準備。5時からは会場(おあしす 多目的ホール)の設営。6時開会。強い風が吹く寒い中での集会でしたが、大勢の方に来て頂きました。

25日(金)は、関小学校で「フッ素洗口」学習会のビラ配り。入学説明会へ来られる保護者へのご案内です。

午後は、地方政治改革ネット定例会へ出席。今回は大袋へ。「子どもの貧困対策」の勉強会です。NPO法人マザーリンクジャパン代表の寝占理絵さんのお話しを聞き、意見交換。

今週は、吉川駅駅頭での挨拶・ビラ配りでしたが、相変わらず寒い朝が続きました。来週は吉川美南駅頭になります。

夜、東の空にあった「月」は翌朝、西の方角に見えます。満月の時は何とも言えぬ輝きで、それは美しいものでした。やや欠けてきた月は少し精彩を欠くように見えますが、それはそれでやはり美しいく見えます。

「早朝の楽しみ」の一つです。

〈夜間授業〉 第8回・石原慎太郎

昨夜、池上彰さんの〈夜間授業〉 第8回・石原慎太郎へ行ってきました。

このところ、「市長選挙」の応援で駅頭に立ったり、挨拶回りに同行したり、ポスター貼り等でせわしなく動いていましたので、少し気分を変えるため出かけました。
それにしても、ほとんど選挙準備が出来ていない中で本当に大丈夫かなと心配ですが、ぐすぐず言ってもしょうがないので「やるしかないな」という感じです。

「石原慎太郎」といえば、浮かんでくるのは作家としての慎太郎と参議院・衆議院議員としての顔、そして東京都知事時代の取り組みです。

「太陽の季節」が芥川賞を受賞(1956・昭和31)。

経済白書が「もはや戦後ではない」と、復興が終わり日本経済は自立し高度成長へ向かって行く時代。高校生の無軌道ぶりを描いた作品は映画化され、弟の裕次郎が俳優デビューし、トップスターへの道を歩むきっかけとなりました。

石原慎太郎さんの本は、2016年(平成28)に田中角栄について一人称で書いた長編小説『天才』以外読んだことはありません。映画も見ていません。『天才』は、角栄の実像とは少し違うのではないかという印象を持ちました。

「慎太郎」という名を初めて耳にしたのは、小学生の時です。相撲大会に出た時、「慎太郎刈り、ガンバレ」という声援を受け、その後、石原慎太郎という作家がいることを知りました。

芥川賞の他、文學界新人賞、文藝春秋読者賞、芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞等を受賞していますので、戦後の文学界に影響を与えた一人であったことは間違いないようです。

国会議員時代は、中川一郎、渡辺美智雄などと旗揚げした「青嵐会」で31人の血判状を作成(1973・昭和48)し、自民党内で暴れていたような記憶があります。なにをやったのかははっきりと覚えていませんが、相当世間を騒がせていました。

私も当時、「我々も青嵐会のように、暴れなくてはいけない」と、同期(百貨店時代)の集まりでと言っていたと思います。

東京都知事時代には、話題性のあることをいろいろやっていたと思います。功罪ありますが、最大の功は「環境対策」に取り組んだことです。

ディーゼル車から排出された粉じんを「ペットボトル」で見せ、規制の必要性を訴えたディーゼル車の排ガス規制です。国に先駆けて行った規制は、国の規制へとつながりました。
都民マラソンも成功例だと思います。

失敗したのは、「外形標準課税」導入、都立大学を「首都大学東京」にしたこと、「新銀行東京」の設立です。

銀行から新たな税金を得ようとした外形標準課税は、都民の拍手喝采を受けましたが、実施後、裁判に負け実現出来ませんでした。

4つの都立大学を首都大学東京にしましたが、来年から「都立大学」に戻るようです。

中小企業に、無担保・無保証で積極的に融資する銀行として「新銀行東京」を作り1000億円出しましたが、経営は悪化。1000億円の赤字となり、きらぼし銀行に救済されることに。

築地市場の豊洲移転は、どこまで関わっていたのか分かりませんが、どちらになるのでしょうか。

「石原慎太郎」最大の失敗は、尖閣諸島購入を提起し、日中関係の緊張を高めたことだと思います。東京都が14億を集め、島の所有者(埼玉在住)から購入をしようとしたことを受け、民主党野田政権が20億円で購入したことで、現在の状況が生まれています。

日中国交正常化の時、尖閣諸島の帰属問題を取り上げれば交渉はまとまらず決裂する。この問題については、「今の我々はそれを解決する知恵がない。次の時代の人達に委ねよう」と、日中でそっとしておくことにしたことを『揺り起こして』しまいました。

世の中には、はっきりさせない方が良いこともあります。国と国との関係でも、触れないことで対立が起きないこともあります。環境がある程度整って初めて、懸案の解決へ向けた話し合いが出来ると思います。企業でも、「対応しない対応」もあります。あえて、解決しないことです。

今、海上保安庁は本当に大変です。漁業に携わる方も同じです。困ったことです。

「石原慎太郎」は、豪放磊落のようで小心者の側面があります。
天真爛漫な所があり、野心・野望を隠すことなく弱い所を見せません。

相手のことは考えず、思ったことをすぐ口に出し、批判されるとすぐに取り消したりごまかすこともありました。「ばばあ」や「三国人」、東日本大震災時の「天罰」発言等数えきれません。

神奈川県立湘南中学(現県立湘南高等学校)で、学年が一つ下で同級(石原が1年間休学したため)だった江藤淳は、「石原慎太郎」のことを『無意識過剰の人』と言いましたが、分かります。

『素晴らしい国家像に向かって頑張っている自分は、かっこ良くスゴイ。』という姿を見せたかった人ではないでしょうか。

それは他人だけでなく自分に対し、「見せていた」ように感じます。

朝の駅頭で

『お早うございます。』『明日の吉川市長をつくる会です。』と言いながら、朝の駅頭に立っています。昨年の暮れから吉川・吉川美南の駅頭で、市民の会「12月議会報告」と「吉川としゆき」さんのチラシを配布しています。

年4回、議会報告のチラシを配るために1日・2日立つことはありますが、月曜から金曜日まで続けるのは4年ぶりです。

通勤、通学に向かう方々のおよそ6割が4年前にお見かけした方で、初めてお会いする方は4割程度です。
4年の歳月で随分と雰囲気の変わった方もおります。私立の小学校へ通う生徒や学生は成長し、変化が大きく以前の姿が思い出せません。

それにしても、1月の駅頭は寒く、多くの人がポケットに手を入れ、急ぎ足で改札口へ流れて行きます。

特に日の出前後と風のある日は、寒さを感じます。手はかじかんで、言葉がうまく出ません。ろれつが回らなくなります。じっとしているので余計にそうなります。

数日間続けていると、一人一人の変化が分ります。
最初は、「変な人が立っているが、なんだろう」という目で見られます。手にしているチラシを「チラッ」と見ますが受け取りません。

「そうか、市長選挙か。誰が候補者なのか?」どうも配っている人ではないようだ。
「どんな人が出馬するのか。どんな主張をしているのだろう?」と思われて、初めてチラシを受け取るようです。自ら、「さっと」手を出します。

やがて、話かけてくる方もおります。チラシを読んで、思うところがあるようで、現市長のことや、市政について自分の考えを伝えてきます。

また、なぜ変わったのか?と聞かれる方もおります。『確か前は、中原さんを応援していたと思うが』、『何が問題なの?』と。

その都度答えますが、短い言葉で端的に伝えて理解を得るのは難しいことです。

『信頼』を得る過程は、購買心理の7段階と似ています。

①注意「おや、これはなんだろう」 ②興味「これはオモシロそうだ」 ③連想「これを使ったら便利だろう」 ④欲望「ほしいが、予算は」 ⑤比較選択「もっと良い物、安い物は」 ⑥確信「確かに良い、これにしよう」 ⑦購買「これをください」の7段階です。購買心理は、時と場合、また人によって違いますが、集約すると同じような過程をたどります。

人にもいろいろな「タイプ」があります。決断の速い・疑り深い・議論好き・偏屈なタイプ、おしゃべりな人や興奮しやすい人もいます。

また、相手(私)との相性もあります。気に入られる場合もそうでない場合もあります。相性は動物的な直観、本能から決まるように思います。味方か敵だけでなく、なんとなく居心地が良い・悪い、といったことです。

駅を利用されている方々も同じだと思います。

いずれにしても、真摯な態度で強い意思のあることを示さなければ、理解していただけず「信頼」を得ることは出来ません。

それには時間がかかりますが、唯一の方法は、やり続けることだと思います。

*今日(1/13)は午前9時30分より11時まで、消防出初式でした。会場が新庁舎前の駐車場になりました。午後2時からは成人式の式典へ出席しました。吉川市の新成人は、平成10年4月2日から11年4月Ⅰ日までに生まれた方743人(男性382人、女性361人)です。これまで10回位出ていますが、今までで最も「おとなしい」成人式でした。どうしたのでしょうか。

*来週は吉川美南に立ちます。

*また更新が遅れました。申しわけありません。