立候補予定者説明会

11月26日(日)午前10時より、令和6年1月28日執行の吉川市議会議員選挙立候補予定者説明会が、市民交流センターおあしす多目的ホールで開催されました。

選挙管理委員会委員をはじめ市担当職員に加え、吉川警察署交通課、吉川郵便局郵便部など関係者が出席。選挙運動用自動車の設備外積載許可については吉川警察署交通課、選挙運動用通常はがきの差出方法については吉川郵便局郵便部。選挙日程・立候補届出書類、選挙運動、公営選挙等については市担当職員より説明がありました。

初めて参加された方は、一度聞いただけでは理解できないかも知れません。正確に漏れの無いよう説明をされるので、言葉も資料も多くなります。かえって分かりにくくなるところもあります。

「書類関係」は実際に自分で書いてみて、「選挙運動」も体験しなければ分からないと思います。

ざっと見たところ、説明会に参加した立候補予定者(関係者)は25陣営程度でした。現職議員が出席していたのは半数以下でしたので、それ以外の陣営が現職か新人候補なのかは分かりません。

今日の様子を見て、これから決断される候補もいると思います。
いずれにしても12月半ばには、はっきりします。

明日に備えて

今日は「交通安全パレード」の開催日です。
午前8時40分に関小学校校庭に集合し10時に出発。市民交流センターおあしすには、9時25分到着の予定。
「交通安全パレード」は、市内の各種団体がハーレイダビットソンを先頭に、パレードをするものです。これまで私たちも「吉川市議会」のプラカードを先頭に、沿道の方々に挨拶しながら行進し、おあしすの広場で集会に臨みました。

今回は初めての不参加でした。
昨夜から「いがらっぽく」なっていた喉が、今朝はかなりの痛みを感じました。
自分では熱もなく比較的元気だと思っていますが、用心のため休むことにしました。

先週は、副市長から12月定例会に議案上程予定の24件について説明を受け、沖縄糸満市議会の「吉川美南駅東口開発」視察研修を迎えました。また、いとう・いながき「議会報告」のゲラ校正や大学のOB会などが続きました。

今週は、担当部署による12月定例会の「議案説明会」があります。順天堂大学の小林先生による「健康講演会」にも行きたいと思います。また、市民の会及びいとう・いながき「議会報告」のポスティングをする予定です。合わせて、9,000枚ほどですので、10日位かかると思います。

引続き忙しい日が続き、まもなく「12月定例会」が始まります。明日に備えて今日は「おとなしく」しています。

土曜参観日

昨日(11月/11)は、吉川小・旭小の土曜参観日でした。

吉川小学校では創立「150周年」を記念し、令和5年度学習発表会が開かれました。
吉川小の紹介や150年の歴史、吉川市の町探検・環境・ふるさと自慢等、学年ごとのテーマに沿った子ども達の発表がありました。1・2年は学年発表でグループ毎、3~6年生はクラス発表ですが個々人の視点で課題を捉えた内容でした。

発表では全学年がタブレット端末を使いこなしていました。映像と繫げたプレゼンテーションもあり、確実に子ども達のICT学習の能力は向上していると感じました。
コロナ禍の3年半、学校に行く機会はほとんどありませんでした。改めて全児童への「一人一台端末」実施の効果に驚きました。

参観には、児童の家族(両親・幼児・祖父母)が子ども達の発表を見守りスマホで撮影していました。生徒数を超える保護者が来ていたように思います。

先生方の気合も入り、張り切っている空気が伝わってきました。
学校開放は学校にとって「ハレの日」。児童・保護者・先生方にとって、必要かつ良い効果をもたらすものだと思います。

*吉川小学校は、明治6年6月20日に延命寺を仮校舎として開校しました。当時の校名は芳川小学校です。旭・三輪野江の小学校も同時期の開校です。

「行政視察」

コロナウイルス感染症がインフルエンザと同じ5類扱いとなった5月以降、美南小学校への「行政視察」が増えています。視察に来るのは主に各地の議会議員です。

視察の目的は、美南小学校の「複合施設」です。併設されている施設は、美南地区公民館・高齢者ふれあい広場・子育て支援センター・学童保育などです。
開校11年目になりますが、小学校の複合化は全国的にはまだ少ないようです。吉川小学校も同様の施設を持っ学校ですが、新しい美南小学校が選ばれます。

議会関係者の視察では、吉川市議会として歓迎のあいさつをします。基本は議長と議会事務局が対応しますが、時々私が議長に代わりお迎えすることがあります。施設の案内は教育委員会や議会事務局が行います。最近は「複合施設」の見学と同時に、タブレット端末を使った学習に関わる視察があります。

歓迎のあいさつに続きお礼の言葉が続く場合と、視察終了後にお礼の言葉で終わる時があります。短いあいさつの中でお互いの市や町、議会等の紹介をします。セレモニーですが、いかに短い時間と言葉で歓迎の気持ちと吉川市を伝えられるかが大切です。

5月以降、私がお迎えしたのは2回です。

文化祭

10月27(金)・28日(土)、市内中学校4校で「文化祭」が開かれました。
私も久しぶりに出かけてみました。

令和2年1月にコロナ感染症の発生が確認され、小中学校でも感染対策上、いろいろな制限が行われてきました。
3か月にわたる一斉休業(休校)をはじめ、授業や部活動、学校行事等の制限は児童・生徒らに大きな影響を与えました。私たち議員も、入学式・卒業式・体育祭(運動会)への出席が出来ず、学校へ行く機会がありませんでした。

中央中学校は「文化芸術発表会」、南中学校は「文化祭」、吉川中学校では授業と部活動そして「合唱祭」が実施されていました。

学校公開の対象は、保護者が中心のようでした。

数年ぶりに学校へ行き、学年・クラスごとのコーラスや吹奏楽・文化部の発表、運動部の練習などを見聞きし、新たな発見と思いを持ちました。

3年間の成長の姿をコーラスでも感じました。1年・2年・3年と上がるにつれてまとまりや完成度が高くなっていきます。また、多感な世代の思いを選曲から見ることも出来ます。将来への希望・不安、友達、社会、世界への思い等が伝わってきます。

今まで、入学式でいつも思っていたことは、大人びた女子に対し、あどけなさと小さな体の男子が目立ったことです。
卒業式では、男女とも立派に成長した大人が見えました。一人ひとり、校長先生から卒業証書を受け取り席に戻る姿から、将来の仕事ぶりや生活の様子まで分るように感じていました。
「文化祭」へ行き1年生の歌っている姿をみて、男の子の成長ぶりに驚きました。7か月が過ぎ、あどけなさが抜けていました。
剣道部の練習風景、美術部・家庭科部の発表等、学校は新たな驚きを与えてくれました。


行政視察

10月19日(木)・20日(金)の2日間、常任委員会合同の行政視察に行ってきました。
4年ぶりの視察です。19日に埼玉県大久保浄水場と東京都荒川区を、20日に狩野川防災ステーションを訪ねました。

さいたま市にある大久保浄水場は日本最級の浄水場で、1日最大13万㎥の給水能力のある施設です。県南中央と県西部地域15市1町の約400万人に利用されています。西は飯能市までです。

県水道局の事業運営ですが、職員96人が交代で夜間も常駐し安全・安心で良質な水を供給しています。埼玉県の人口の半数以上の人が利用している水ですので、供給し続ける責任があります。

施設の概要及び高度浄水事業を動画を交えて説明受け、場内を見学し最後に質疑応答を行い約2時間の研修を終えました。
場内見学はまず屋上から施設全体と大久保浄水場の位置関係を確認し、中央監視室、水質試験室、ろ過地、高度浄水施設建設予定地を視察。その都度説明を受け、質問をしました。

以前、三郷の浄水場を見学したことがありますが、大久保ではケタ違いの規模に驚かされるとともに、職員の使命感が伝わってくるようでした。

荒川区役所では、区内全中学校に設置されている「防災部」の取り組みについて学びました。
「防災部」設立の経緯と主な活動内容、今後の方向性と課題等について教育委員会学務課長よりレクチャーを受けました。

全体を通して受けた印象は、荒川区の着眼・発想・実行力のすごさです。
「助けられる大きな子どもから、助けられる小さいな大人」「自分たちの町は自分たちで守る」という言葉から荒川区の思いが伝わってきます。

全中学校に「防災部」を設け、防災ジュニアリーダーを育成する取り組みは「自分たちの町は自分たちで守る」という防災意識・知識を身に着けるだけでなく、地域と連携した防災訓練等の実施で地域や人を知ることに繋がります。避難所開設時の運営にも役立つことだと思います。

考えれば分かることですが、どこの町もかつての姿ではありません。吉川でいえば、ほとんどの人たちが田畑を耕し、そこで暮らしていた「農村社会」は過去のものです。現在は男女とも市外へ働きに出ています。高校生は市外への通学がほととんどです。

日中、市内にいるのは中・小学生以下と高齢者が中心です。場所と時間を選ばない大規模災害時に、中学生を防災の担い手とする試みは、優れた取り組みだと思います。

数年前、所属する勉強会で荒川区役所を訪ねたことがあります。その時、『区政の究極の目的は区民の皆様の「幸せ」の実現であり、区政は区民を幸せにするシステムである。区では、区民を幸せにするシステムとして、組織的かつ系統的な行政サービスを通じて、幸せを増やし、不幸を減らす取り組みを進めていくことにより、誰もが真に幸福を実感できるあたたかい地域社会を築いてまいります。』と区政のドメインを定めていると伺いました。また、それらを通じて区民からも職員からも選ばれる荒川区にしていくとして、具体的な取り組みについて説明を受けました。移った理由は分かりませんが、吉川市職員から荒川区の職員になった方々もいます。

静岡県函南町にある狩野川塚本地区河川防災ステーションへは、午前8時20分に三島駅前のホテルを出て9時から視察研修に入りました。

国土交通省沼津河川国道事務所 流域地水課課長より塚本地区の「MIZBEステーション」の概要と「塚本地区かわまちづくり」について、また道の駅・川の駅を運営している駅長(責任者)から、川まちづくり7年間の取り組み、運営状況等についてお話を伺いました。その後、各施設を視察しながら「賑わいの創出の難しさ、7年間の苦労等について意見交換をしました。視察と自由時間を含め2時間ほど居りました。

河川防災ステーションは、災害時に緊急復旧活動や水防活動を迅速に行うための拠点となる施設ですが、川面より一段高く盛り土した上面に防災ステーションが設置され、緊急時のヘリポートなども用意されています。また、上面を活用した平時は市町村の取り組みにより地域活性化や賑わいの創出が期待される河川防災ステーションを「MIZBEステーション」として登録しています。塚本地区では、「MIZBEステーション」と「川まちづくり」が一体となった川の駅と道の駅「伊豆ゲートウエイ函南」が連携し、伊豆半島の玄関口となる函南町で、観光・交流、賑わい、憩いの場をテーマに水辺空間での賑わいの創出を進めています。

4~5年前、江戸川水防の視察で狩野川塚本地区河川防災ステーションへ来たことがあります。川の駅と道の駅は営業していましたが、防災ステーションはまだ稼働していませんでした。

今回改めて関係者の話を聞き感じたことは、施設(上物)を作っただけで「賑わい」が生まれ、地域活性化ができるものではないということです。

開設から現在までの集客数は7年間で1000万人を超えたそうです。「通過点だった場所がやっと目的地として認知され、土日などは駐車場に車が止められない状態になった。」「いろいろな催しを行ってきたが、参加者が数人ということが何度もあった。」さらに、台風や大雨で河川敷が流木で覆われたり、道の駅・川の駅が水に浸かったこともあった。と聞きました。

国土交通省、市町村、道の駅・川の駅そして地域との連携・協力の中で、人が求めるイベント等の催しを積み重ねてきた結果だと改めて実感しました。

吉川市の「江戸川防災ステーション」はどう進むのでしようか。



久し振り(2)

「久し振りです」の第2弾、この1週間余の出来事の中からお伝えします。
久し振りに甲府へ「お墓参り」に行ってきました。吉川へ来て以来、大変お世話になったご夫婦の眠るお墓です。

甲府駅からタクシーで10分ほどのお寺ですが、今回は妻と一緒に行きました。4~5年振りです。初めて行った時、お寺でお線香を買おうとしましたが用意されておらず、お寺の方からお線香とライターを無料で頂きました。

それ以後、ローソクとお線香がセットになった「お墓参りセット」を持参するようにしています。お花は駅ビル1階の花屋さんで購入しましたが、ご夫婦で入っていますので明るい花を選びました。

生前は時々ご自宅へ伺い、ご主人が勤務されていた国鉄(JR)時代のことやいろんなことを話し合いました。山梨のことや戦時中、戦後そして吉川のこと等です。

帰りのタクシーで、運転手さんに「岡島の前で降ります」と言うと、「以前の店ですか、新しい方ですか」と聞かれました。今年の3月に新店舗へ移転し、旧店舗は取り壊していることを初めて知りました。

駅前の山交百貨店や甲府西武が閉店し、唯一残った老舗の岡島百貨店でしたが旧店舗(本館)を売却し、新たな商業施設へ縮小移転していました。江戸時代から茶商・呉服店・両替商を営み老舗百貨店として栄えていた岡島百貨店は3フロアーの「岡島」になっていました。

百貨店の経営はどこも厳しい状況ですが、とりわけ地方百貨店は市街地の空洞化や郊外のショッピングセンター、電器店、婦人・紳士・子どものファッション衣料店等、カテゴリーキラーの進出で難しい経営になっています。

百貨店は現在、物からサービスを売る時代へと移り自前で仕入れ・売る経営から場所貸業に変化しています。出来るだけ人を使わない不動産業化しています。

全国で「百貨店」のない県が増えていますが、今後さらに不動産業化した物を売らない「百貨店」になっていくと思います。
これも「時代」とはいえ、寂しいことです。


久し振りです

昨夜は久しぶりに「花火」を見ました。

コロナ前までは、7月~9月の土日の夜には毎週のようにやっていました。我が家からは、近隣市の打ち上げは大きく見えますが、遠くの花火は音を頼りに目を凝らすと見えます。ベランダで、東から西の方向180度をゆっくり見渡すと探すことが出来ます。

多い時は同時に5カ所ぐらいやっていました。
ここ数年は静かな夜でした。

昨日の朝、『今日は三郷で「花火」がある』と知人から聞きました。三郷市の「*三郷流山橋完成記念花火大会」でした。夜6時から始まり50分ほど続いていました。

江戸川運動公園で約6,000発を打ち上げると公表されていました。

久し振りの「花火」は大きな打ち上げ花火だけでなく、見たことのないような「花火」もありました。
噴水のような「花火」や巨大なシダレザクラのようなものや、真横に5つ並んだ「花火」等、新たな演出の打ち上げに驚かされました。

見ていて気になったのは、進化した「花火」の横でやや小さな「花火」が見えていたことです。
今日改めて調べてみると、昨夜は「三郷流山橋完成記念花火大会」と同時に流山市の「令和5年度流山花火大会」が「花火と音楽のシンクロ」と紹介されて開催されていたことが分かりました。

どうも、進化した「花火」は流山市の「花火と音楽のシンクロ」だったかも知れません。

流山市のほうは8,000発を打ち上げていましたので、三郷市と合わせて14,000発。

それにしても、季節外れの「豪華な花火」は久しぶりのことで嬉しいサプライズでした。

*三郷流山橋有料道路 : 埼玉県三郷市と千葉県流山市を結ぶ約2.0㎞の有料道路。江戸川上下流の橋りょうでの渋滞と埼玉県東部地域と千葉県東葛飾地域の移動時間の短縮が図られます。

開通は令和5年11月26日(日)15:00の予定。通行料料金(税込)は、普通車150円、軽自動車・二輪自動車100円、自転車等軽車両20円。徒歩での通行は無料です。


「中秋の名月」

昨日は旧暦の8月15日、「中秋の名月」の日でした。3年連続で満月と重なる「中秋の満月」です。

我が家でも妻が作った月見団子とみかん、ススキの代わりに猫じゃらしを生けて「お月見」の準備をしました。通学していた小学校で使っていた木製のイスに飾りました。

中央線荻窪駅から教会通りを抜け衛生病院前にあった若杉小学校です。相当前に統廃合で廃校になりましたが、イスは廃校になった時、母が購入したものを譲り受けました。

同級生には駅北口にあった戦後の闇市の雰囲気を残したマーケット内の魚屋や生地屋、駅前商店街の呉服屋、喫茶店、自転車屋、甘味茶屋、葬儀屋そして医者等の息子・娘が3~4割いました。

今年も「中秋の名月」を見るつもりで夕食後にベランダに立つと、雲が出て一向に月の姿が現れません。今年はダメかもと思い、うたた寝していましたが9時頃にベランダへ出ると、南東より少し東の雲の切れ間から月が見えました。

やはり「日頃の行い」と喜んでいましたが数分後、再び黒い雲が空を覆い月は隠れてしまいました。短い時間でしたが「名月」を見ることができて良かったです。良い「中秋の満月」でした。次の「中秋の満月」は7年後だそうです。来年の「中秋の名月」をまた見ることができれば幸いです。

今日は先程まで「満月」がはっきりと出ていましたが、また雲に隠れつつあります。

*「十五夜」「十三夜」等、これまで7・8回「月」について書いてきました。同名の「中秋の名月」は2019年9月14日です。





   

「暑さ寒さも彼岸まで」

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、過ごしやすい日がここ数日続いています。
いつまで続くのかと思われた「残暑」がウソのようです。

昨日はお墓参りに行ってきました。田端と駒込の中間にあるお寺ですが、ご住職と子息が応接室を全開してご挨拶され、先代の奥様が本堂の1階でお線香を用意し、火のついたお線香は容器に入れて持ち運び出来るようにされていました。
50年通っていますが、初めてのことです。

先代のご住職は「説法」をよくされる方でした。法事の時などは必ずお経の後に話をされました。現在の住職とご子息は、ほとんどされません。
家族や親せきが一同に会する法事です。せっかくの機会ですので、ひと言お話を頂いても良いのではと思っています。

しばらく前に義母の50回忌をやりました。来年は義父の50回忌ですが、故人を知る方々も年を重ねだんだん少なくなっています。法事の打合せ時に、ご住職に相談したいと思います。

「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句は日本人の季節の変わり目に対する考え方ですが、そこから「生き方」につながったようです。
「大変なことでもいつかは終わり、乗り越えることが出来る。だから諦めずに生きよう。辛抱することも大切」だと言っています。

季節の移ろいを人生に置きかえる。日本人的発想だと思います。