卒業証書授与式2

3月25日(月)、吉川小学校の卒業証書授与式に出席しました。
今年の卒業生は103名。3クラスで男子48女子55名です。

開校は明治6年6月20日。延命寺を仮校舎として芳川小学校と名付けられましたがその後、各地域の学校を合一し芳川尋常小学校となりました。埼玉県の小学校では初めて「校歌」が制定されています。

これまでの卒業生数は正確には分かりません。途中から卒業証書に番号を入れたようです。今年、卒業証書の最後の番号は14,942号です。実数はおそらく16,000は超えていると思います。

現在の校長は、第38代目です。

卒業生のクラス名簿には、一人一人名前と将来の夢・中学校で頑張りたいことが書かれています。名前を見ただけでは、男女の区別はつきません。男女ともに同じ漢字で同じ読み方があります。

将来の夢は、主に就きたい仕事が書かれています。
サッカー選手・大工・検察官・一級建築士・獣医師・ハンドボール選手。化学研究者・幼稚園の先生・プロダンサー・ゲームクリエイター・医師・ミュージカル女優・小説家・保育士・プロ野球選手・特別高度救助隊・美容師・弁護士・歯科衛生士・自転車競技・新薬研究科学者・パティシエ・水泳選手・発展途上国で困っている人を助ける仕事等さまざまで、「時代」と「現実」を反映しているように思います。

卒業生の多くは、中学校の制服を着用しています。吉川市立の南中学41名、中央中55名、東中へ1名が進みます。私立中学は5名、その他1名です。

市立中学校へ進学する児童(中学では生徒)は、それぞれ各校の制服を着用しています。女児は、上着は同じですが、スカートは自分の気に入ったものをはいているようです。少しオシャレをしています。私立は勿論その学校の制服です。

女性教諭(担任)は、以前から袴での出席が多く見られましたが、最近話題になっている女児の袴姿が増えたように思います。女子55名中12人、男子は1名おりました。今後、増えると思います。

校長式辞の中で、今年定年を迎える校長が「最後の授業」をしました。
漢字の授業でした。

怒・悲・悪、 喜・善、 兆(逃・挑) そして 難(苦難・困難・災難と無難・有難い) という漢字を使って、生きていく上での注意や指針に繋がる話でした。

一つ紹介すると、
『これからの人生、辛いことがあるだろう。その時は、逃げてもいい。やがて立ち止まる。その後、挑戦する。』

面白い授業でした。

*全て説明するとつまらないので、校長がこれらの漢字を使って、なにを言ったのかをお考えください。

*第38代蔦森邦雄校長は昨年の入学式で「絵」を使い、学校と自宅での生活について説明し、守るべきお約束を1年生としました。着任してから毎年続けていたと思います。吉川交番前の横断歩道では、旗を持って通学班の安全指導も毎日続けておりました。ありがとうございます。

「一般質問」

3月定例会が3月20日(水)に閉会しました。
最後の3日間が「一般質問」です。議員が市長や担当部長と直接やり合う場で、今回は16人が質問に立ちました。

それぞれの議員にとって、「気がかり」な事業や政策について、「こうあるべき」・「ここが問題」ではと指摘し、要望、提案を交えて質問するものです。
事前の調査、勉強をきちんとしなければ出来ません。

また市長や担当部署から、「これを聞いてもらいたい」との意向を受けて、質問されることもあるように思います。
今進めていることや、これから進めたい事業や政策について質問をしてもらい、これを受けて推進するためです。
一概に悪いとは言えませんが、事前に細かい打ち合わせをやりすぎると、片山(元鳥取県知事)さんが言った「学芸会」になってしまいます。中途半端だと、聞いてもいないことに答えたりして、おかしなやり取りになります。

答弁者は市長・教育長・担当部長ですが、質問内容によって答弁者は変わります。市長しか答えられないことを聞けば、基本的には市長が答えますが、担当部長が答える時もあります。

執行側が触れられたくないことや聞いてほしくない質問の1回目答弁では、ほぼ肝心なことは答えません。
答をはぐらかしたり聞かれていないからと、答えない事もあります。国会でのごはん論争のようなものです。

中原市長の答弁は、「ウソではないが真実でない」ものが多いと感じます。また答えたくないことについて、「言っている意味が分かりません」ということもあります。

担当部長も問題によっては、何度も執拗に聞かないと本当のことは言いません。

執拗に聞くと、時には言葉尻を捕えて発言の取り消し、謝罪を求められることがあります。かつては他の議員からでしたが、中原市長になってからは市長が求めることも多くなりました。その度に、議会は紛糾し長時間ストップします。

これまで何度か発言の取り消し、謝罪をしていますので、今ここで何も言わなければ、問題が起きないことは分かります。
しかし、「市民が知りたいこと、聞きたいこと」を質問するのが役割であり、「自分がやらずに誰がやるのか」という気持ちがあります。

「自分の後ろには市民がいる」。

良心に従い「やらなければ」との思いですが、時に面倒になったり、「何も起きない」誘惑に負けそうになることもあります。

卒業証書授与式

3月15日(金)、中央中学校の卒業証書授与式に出席しました。
平成30年度第38回の授与式です。

今年卒業を迎えたのは、3年1組(1クラス37名)から6組の合計224名で、これまでの卒業生は9,519人になりました。

何んと言っても、式典のメインの一つは卒業証書の授与です。ステージで、校長より一人一人に卒業証書が手渡されます。
この時、柔らかな緊張感の中で生徒と校長の思いが伝わってきます。そして、それを見守っている保護者の姿が印象的でした。

「一同礼」で始まり、開式のことば・国歌並びに校歌斉唱・卒業証書授与・校長式辞・教育委員会告辞・来賓祝辞・来賓紹介並びに祝電披露・卒業記念品贈呈・在校生送辞・卒業生答辞・式歌合唱・閉式のことば、そして「一同礼」で終わる式典。

いかにも日本的で、形式を重んじる式典だと思われる方もおられるとは思いますが、大人へと向かう彼らを見守り、期待する気持を伝えていると思います。「義務教育」を終える節目に、卒業を祝い、将来の目標や夢に向かって頑張ってほしいと願い、応援していることを伝えているのではないでしょうか。

在校生送辞に続いた卒業生答辞の途中、卒業生全員が立ち上がり保護者・在校生と向き合い、『YELL』という歌を合唱しました。
『「“わたし”は今 どこに在るの」と踏みしめた足跡を 何度も見つめ返す 枯葉を抱き 秋めく窓辺に かじかんだ指先で 夢を描いた…  』
初めて聞く、長い歌でした。

答辞が終わり、式歌。卒業生、在校生そして教職員も一緒だったと思いますが『旅立ちの日に』が歌われました。
『白い光の中に 山並みは萌えて はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ…  』

歌詞の「言葉」に、それぞれの心に触れる「これまでの思い」と「これからの思い」があるのだと思います。緊張と興奮が広がり、涙ぐむ生徒もおりました。
やはり歌の力は大きいと感じました。

「平成」最後の卒業生を送り出した 校長 豊田 正一氏も退職です。
長い間、お疲れ様でした。

あれから8年です

東日本大震災と福島原発事故から8年です。
震災と津波そして第一原発の事故。

当日たまたま、障がいをもたれた方のお宅におりました。
少し落ち着いた後、自宅へ電話して状況を聞きました。そして、近所の幼稚園、中学校の被害状況を確認し、市役所へ向かいました。ガードマンから、「いながきさん○番目です」と言われたことを覚えています。

刻々と伝えられるニュース映像で「とんでもないこと」が起こってしまった。原発はどうなるのだろう。被災地の状況とこれからのことへの、「不安と心配」が大きくなっていきました。

吉川市内でも、被害と混乱がありました。

電車が止まり「帰宅困難者」が発生。中央公民館で、一晩過ごしてもらいました(迎えの車が来た方もおりました)。
コンビニ・スーパーでは、おむすびやパンが売り切れ、水道水の放射性物質の心配から、水のペットボトルもなくなりました。乳幼児を抱えたお宅からは、水を求め、市役所・病院への問い合わせが相次ぎました。

私の家では、就職試験のため都内へ行っていた次女が戻れなくなりました。試験会場に留まり、翌日に帰宅しました。

その後計画停電で、市内の街路灯・信号機が消灯しました。暗闇の交差点は恐怖の「危険地帯」でした。

吉川市議会は3月議会中でしたが、市内の被害状況確認や市民生活及び被災地支援の対策業務を優先することを決めました。予定していた一般質問を取り止め、閉会しました。

未曽有の大惨事。おびただしい犠牲者、被災者、避難生活者。それを生み出した地震・津波・原発事故、放射能の恐怖。
皆が、「災害への備え」と「命」について考え、この教訓をどう生かすのかを考えたと思います。

しかし私自身、8年という歳月、日々の生活、溢れる情報の中で、あの時の記憶とこれからの「思い」が薄れてきていると感じます。
これまで学んできた減災対策や被災地での体験から、地域の中で果す役割を思い起こす、「3.11」にしたいと考えます。

*更新が遅れました。申しわけありません。

〈夜間授業〉第9回・池田大作と創価学会

池上彰さんの「夜間授業」第9回のテーマは、池田大作と創価学会でした。

2月8日(金)19時、会場は文藝春秋社西館地下ホールです。第2回から続けて参加していますが、当日はいつもとは何か違った雰囲気が漂っていました。

20分前に会場へ入りましたが、ほぼ満席でした。老若男女おりましたが、これまで出席されていない方が多いと感じました。全体に黒っぽい服装でした。

今回のテーマからすると、学会、反学会の立場の方を含め池田大作氏に関心・興味をもつ方々だと思いました。私と同様に、池上さんが何を話すのか、どんなことを言うのか、どこまで話すのかを楽しみにしている様子でした。

2時間の授業を受けるため、大切な時間とお金を使ってきている人達です。ゆったり感はなく、やや緊張した真面目な空気感でした。

池上さんは、言葉を選びながらレジメに添って淡々と話をされました。いつも以上に客観的に語っていたと思います。会場の雰囲気を感じ取っていたと思います。

レジメには、1 私と創価学会 2 南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華教 3 弾圧を受けた創価学会 4 高度経済成長期にともに成長 5 政界へ進出ー国立戒壇建立を目標 6 「言論出版妨害事件」で謝罪 7 創共協定を結ぶ 8 大石寺から破門ー独立の宗教法人へ 9 反自民で自民党から批判 10 自民党と組んで与党に 11 「下駄の雪」と皮肉られても、 とあります。

池上さんは、『元々は、「日蓮正宗」信徒団体の一つであった「創価学会」がどのように発展してきたのか、何のために政界へ進出したのか、宗門との対立と独立の経過、自民党との関係等。そして「池田大作」はどんな人で、これらにどのように関わってきたのか』について、年表(池田大作と創価学会)を使い、事実を淡々と説明するとともに自身の取材経験を交えて話をされていました。

私が特に興味を覚えた一つは、現在800万世帯と言われる創価学会が大きく発展した時代背景、その手法と対象とした人達についてです。1960年代の高度成長期、地方から上京した若者の「仲間づくり」と「相互扶助」で会員を増やして行ったことです。

学歴の低い労働者たちを中心に、「現世において、自分の人生を変えることが出来る」と伝え、仲間を増やすことで、東京や大阪という都市の中で、安心と生きる自信を与えてきたと思います。

学生時代、地方から来ていた友人が同じアパートに住む人に折伏され、学会へ入信したことがありました。同じだったと思います。1970年代のことですが、労働組合や共産党の民青も同じような活動を通して、組織の拡大を図っていた時代でした。

公明党が「弱い者の味方」として、ポピリズムに走る傾向の原点だと感じます。

政界への進出の目的は、国立戒壇建立が目標だと聞きました。日蓮正宗を日本の国教にするのが目標ということに、驚くとともに、改めて宗教の持つ力を感じました。

池田大作氏について池上さんは、「平和主義者でリアリストではないか」と述べました。昭和3年1月2日、東京大森で海苔業者の5男として生まれた彼の生い立ち(池上さんの話から)や、これまでの経歴を辿るとそのように映ります。

学会婦人部の、平和への強い思いや安倍総理に対する評価からみると、先生(学会での池田会長の呼称)の影響があるのかも知れません。

池上彰の〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」の一人に選ばれた池田大作は高度成長期、人々の不安をなくす「よりどころ」を広めた人です。偶然かも知れませんが、江戸時代から続く檀家制度に挑んだ人ともいえます。また、毀誉褒貶の人であることは間違いないと思います。

*私は「仏教」についての知識はほとんどありません。池上さんの話で、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華教の意味を初めて理解しました。

*毎回30分程、「質疑応答」の時間があります。私の質問は、宗教団体への寄付(お布施)と選挙(投票)との関係について。

*次回の夜間授業は、第10回(最終回)「天皇陛下と美智子さま」です。3月28日(木)、授業開始は19時00分。申し込みは文藝春秋社へ。受講料は6,480円(税込)です。