手紙

爽やかな朝です。
富士山の静かな佇まいに見とれてしまいます。手前の山並みもくっきりとその姿を現しています。新緑の季節。春爛漫ですが、富士山は白く輝いています。

昨日から、なにを書こうかと悩んでいました。
最初に思い浮かんだのは吉川の「花事情」。お花の紹介です。

先週から「3月議会報告」のチラシ(いとう・いながき)のポスティングを始めました。街を歩くと、あちらこちらでハナミズキや藤、やまぶき、牡丹等を目にします。先日は黄色い牡丹に出会いました。黄色い牡丹は初めて見ました。美しさに感激しました。

また小学校の授業参観にも行きました。吉川美南小と関小の子ども達と保護者の様子と違いについても、オモシロイと思いました。しかし、この4月に開園した保育園、「コビープリスクールよしかわみなみ」と吉川団地の「よしかわフラワー保育園」も興味深く見てきましたので、その様子を伝えてもよいのではと考えました。

文科省・厚労省の縦割り行政と関わりなく、現場ではその垣根がなくなっているのを目の当たりにしました。夫婦の働き方が大きく変わった中で、「保育に欠ける」という意味も内容も変わったように思います。保育所をみると現実の社会が見えます。

先々週は、21日に投開票が行われた「統一地方選挙」でした。勉強会仲間の応援に行きましたが、越谷市と白井(千葉県)で聞いた彼女・彼らの「言葉」について書こうと思いました。

「思い」を自分の「言葉」にして伝える事の大切さと、その効果についてです。心に触れる言葉は、相手に届くと感じました。

いろいろと考えているうちに、今朝を迎えました。

今、一番伝えたいことは、昨日の議会報告会で頂いた「手紙」についてです。
それは、スーパーマルサンの出店による騒音・悪臭被害で他市へ引越しをされた一家の娘さんからのものです。ご両親から直接頂きました。

手紙には、当時の騒音被害の深刻さが綴られています。
早朝から深夜まで続く騒音で苦しむ生活の中、健康を害し精神的・肉体的に疲れ果て、家族崩壊寸前の状況。そして行政の無理解と対応、職員の資質等について書かれています。
また、現在のおだやかな生活と私への感謝が述べられています。

一市民が、大きな事業者や行政を相手に主張し、要求を実現させることは大変なことです。

以前の静かな環境を取り戻すのは困難で、少しの改善すら簡単ではありません。戦いを挑むには、気力・体力だけでなくお金もかかります。
問題への対応で生活は一変。心配と不安はどんどん広がり、精神的重圧も大きくなり近所の人まで敵にすら見えてくる状況になります。

病気やケガいろいろな困りごとは、自分の身に起きて実際に体験しなければ本当に理解することは出来ません。痛い目に遭って初めて分かります。
多くの人にとって自分に関わりのない困りごとは、「他人ごと」です。

吉川市が道路法32条の解釈を誤り、マルサンに「道路占用許可」を下ろして5年が経過。市は3月に道路法24条に基づく「請願工事」を認め、実施させ、店舗と倉庫をつなぐ橋を使えるようにしました。これにより違法状態はなくなりました。

議員の役割、仕事の一つは、「困っている人を一人にしない」ことです。しっかりと話を聴き、想像力を働かせ「寄り添う」ことです。

お金は掛かりませんが問題によっては、長い「時間」と「気力」・「体力」が必要です。大変な経験ですが、勉強になります。世の中が見えてきます。

地獄極楽

友人から展示会図録を送っていただきました。
埼玉県立歴史と民俗の博物館で開かれている「特別展 東国の地獄極楽」の図録です。埼玉県を中心に東国で展開された「浄土信仰」に関する歴史と美術を紹介した展覧会で、仏教絵画や仏教彫刻、*聖教(しょうぎょう)等が納められています。

曼荼羅図に描かれた極楽の世界もよいのですが、やはり六道の世界の一つである「地獄」の八大地獄、十王地獄図等、地獄図を描いたものが興味深いと感じます。

常に死を意識せざるを得ない時代の中で、「死後はどうなるのか」は大きな関心事だったと思います。地獄を厭い、極楽の世界に行きたいと願う「浄土信仰」ですが、人々の切実な思いだからこそ、急速に広がったのではないでしょうか。

仏教における世界観は、輪廻、六道の世界です。
①天(天人)②人(人間)③修羅(戦いに明け暮れる)④畜生(人以外の動物。襲い襲われ、使役される)⑤餓鬼(飢餓から逃れることが出来ない)⑥地獄(地下で際限のない責め苦に遭い続ける)の6つに分かれた世界で、輪のように繋がっているそうです。

命のあるものは六道をめぐり、どの世界に生まれるかは生前の行い(悪行と善行)によって変わります。それを決定するのが、閻魔王をはじめとする十王です。

死んだ後の旅は、十王の裁きを受けてから始まります。

地獄の世界は、八つの地獄(八大地獄)に分かれ、罪の大きさで変わります。
一番軽い等活(とうかつ)は、殺生を犯した罪人が墜ちる所で、鬼に鉄棒などで痛めつけられ苦しみが続くことになっています。最も重いのは、阿鼻(あび)で、父母や僧侶を殺したものが行く地獄の最下層です。ここに墜ちるまで2000年かかり、責め苦が終わるまで、349京2413兆4400億年かかります。

5番目は大叫喚(だいきょうかん)で、ウソつきが墜ちる地獄です。酒にまつわる悪事をしたものが大釜で茹でられる(4番 叫喚)苦しみの10倍の苦しみを受けることになります。

地獄・極楽の曼荼羅や絵図は、よりよい世界に生まれ変わるためには、善行を積むことが極楽浄土へ繋がる道だと示しています。

浄土宗が広がって行った時代。人々の、「輪廻」や「善悪」についての思いはどのようなものだったのでしょうか。どのような「善行」を積んでいたのでしょうか。

*聖教(しょうぎょう): 釈迦の説いた教えやそれをしるした仏教の経典・書物

*「特別展 東国の地獄極楽」は5月6日まで。休館日は月曜日ですが、4月29・5月6日は開館。私も、GW中には行きたいと思っています。

*4月22日追記:人は一生の中で、「良いことも悪いこと」もして終わるものだと思います。生まれた時からの極悪人はいません。これまで私と関わった人達を見ても、善人も時には悪いことをします。その反対もあります。私もその一人です。閻魔様をはじめとする十王は、どんな基準で判決を下すのでしょうか。

入学式

4月8日(月)は中央中学校。翌9日(火)は吉川小学校の入学式に出席しました。

中央中へ入学した生徒は7クラス248名です。3月末まで三輪野江小学校校長の吉田豊彦先生が新任の校長です。
小・中学校間での教諭の異動は、教員免許(小学校・中学校教科)の関係で出来ませんが、校長はどちらの免許でも良いそうです。校長は授業をやらないのが、前提のようです。

吉川小は、3クラス76名の新1年生です。校長は、美南小から小山悟校長が異動されました。

小学校の入学式は、いつも新鮮です。

皆かわいらしく、男の子も女の子もオシャレをしてきます。座っている間、一人一人が豊かな表情で、その子らしさが見られます。たまに、変な顔をしたりオモシロイことをボソボソ言う子もいます。

両親がそろって出席されている方が多く、入場から退場まで我が子の様子を真剣に見守っています。

小学校の入学式は開式から閉式までおよそ30分程です。

「開式の言葉」に続き「国家斉唱」ですが、「君が代」を歌える子はまずいません。皆、戸惑っている感じです。

子ども達の緊張が続くのは大体15分です。時々立ってお辞儀をしたりしますが、15分位から「あくび」をし始め、足を「ブラブラ」させたりします。また、周りの子ども達の様子や私達の方を伺う子もいます。

20分を過ぎると、ウトウトする子が出てきます。昼食後の13時30分スタートですので、緊張と疲れで眠くなるようです。

校長先生の挨拶で多いのは、『早寝・早起き・朝ごはん』の勧めですが、小山校長は、『早寝・早起き・朝ごはん・朝うんち』と言いました。

以前から議会で、『うんち教育』を提唱している私にとって、いいご挨拶だと思いました。

人間にとって、「よい食品を食べ、良いうんちをする」ことは、生きて行く上で、最も基本的で大切な事だからです。

〈夜間授業〉第10回「天皇陛下と美智子さま」

池上彰さんの〈夜間授業〉「〝戦後〟に挑んだ10人の日本人」第10回「天皇陛下と美智子さま」へ行ってきました。

昨年の4月27日、第1回「田中角栄」から始まり、江副博正・小泉純一郎・中内功・渡邊恒雄・堤清二・村上世彰と堀江貴文・石原慎太郎・池田大作と創価学会そして最終回が「天皇陛下と美智子さま」です。

私は第2回江副博正さんからの出席ですので、9回目となります。
文藝春秋社と因縁のある田中角栄元総理が初回というのも、なかなかの選定ですが、天皇退位に伴う改元が4月Ⅰ日に発表される直前の3月28日に「天皇陛下と美智子さま」というのも、戦後を読み直す趣旨から相応しいと思います。

これまで選ばれた戦後日本を代表する人物は皆、既成の秩序や規制、タブーに挑んだ人達で、強烈な個性を持ち、功罪相半ばする「毀誉褒貶」の魅力的な人だと言えます。

今回のレジュメには、1「戦後に挑んだ」とはどういう意味か 2吹上御所での夜のお茶会 3「象徴」の意味を考え続けられた 4アメリカ女性の家庭教師がついた 5テニスコートの恋 6平民出身皇后への二度のバッシング 7被災者への慰問がバッシングを呼ぶ 8慰霊への旅 9朝鮮半島への思い 10退位への思い とあります。

年譜には、1933年(昭和8)皇太子さま誕生から2019年(平成31)2月の在位30周年記念式典まで、お二人の記事が書かれています。それらを見ると、改めて『そういうこともあった』と思うとともに、レジメの内容に繋がってきます。

1959年(昭和34)4月10日、ご成婚のパレードのテレビ中継がありました。

皇居二重橋から東宮仮御所まで、6頭立ての馬車で、お供の馬車と皇宮警察・警視庁の騎馬隊が長い隊列を組んでいたのが印象的でした。沿道には沢山の人が見ていました。
まだ白黒のテレビでしたが、青山通りをゆっくりと走る馬車に乗った皇太子ご夫妻の表情をテレビカメラがとらえていました。

「天皇陛下」はこれまで、『象徴』の意味、『象徴天皇』とは何か、を考え続け、具体的な行動で示してこられたのではないでしょうか。しかも、かなり過激かつ大胆な判断に基づく行動だと思います。美智子さまは、陛下のよき理解者としてささえてこられたと思います。

日本の歴史上初めて、一般人と結婚。生まれた子どもの世話は乳母でなく、自分の母乳で育て、一家が一緒に暮らす。夫と子どもの食事を自ら料理する。
世間では当たり前のことですが、皇室内の側近は震え上がりヒンシュクをかったことでした。宮内庁内部から週刊誌へリークされた記事も多くありました。

被災者への慰問や慰霊の旅も、江藤淳や渡辺昇一等、保守の論客からバッシングを受けました。
1991年の雲仙普賢岳噴火でお見舞いへ行ったとき、両陛下が床に膝をつき、被災者と言葉を交わしました。この事も批判を受けました。地上戦で大きな犠牲者が出た沖縄への慰霊の旅についても、『天皇の仕事は、国家と国民のためにお祈りをしていればよい。』と批判されました。

「深く傷ついた」そうです。しかし、やり続けています。深い思いがあると思います。その思いを理解し応援する美智子さまの存在があって、貫いて来られたように思います。

昭和天皇が米国人家庭教師を依頼したといいます。狂信的なキリスト教徒ではないこと、日本ズレしていないことを条件にしたそうです。

昭和天皇が「人間宣言」をされた1946年(昭和21)、アメリカ人の児童文学者エリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング婦人)が家庭教師に招かれました。

その後帰国した婦人が著書の中で、『皇太子は全てにわたり「受身」であった。私は、貴方はどうされますか?と問うた』と書かれています。

右派からは「米国によって、ばい菌を付けられた」と言われましたが、ヴァイニング婦人の教育は、象徴天皇の意味を考える一歩、また美智子さまとの交際、プロポーズに繋がったのではないかと思います。

戦後の日本。
農耕民族としての長い歴史、伝統に対する考え方、暮らしは、急激に変わってきました。
自然に対する畏敬の念、地域や家族とのつながり、周りを思いやる心は薄れ、過去の過ち、忘れてはいけないことも忘れられつつあります。

改めてご成婚60年を振り返ると、美智子さまは戦後日本の民主化の象徴として、「象徴天皇」とともに、皇室の果たす新たな役割を担ってこられたと思います。

*【4月8日追記】ご成婚の翌年(1960年・昭和35)2月23日、宮内庁病院で第一子浩宮徳仁親王(現皇太子殿下)誕生。出産後4日目から授乳を始められました。その時、詠まれた歌です。

含む乳の真白きにごり溢れいづ子の紅の唇生きて

(ふふむちの ましろきにごり あふれいづ このくれなゐの くちびるいきて)

*〈夜間授業〉については第2回以降(第4回中内功を除く)、ブログで取りあげましたので、ご参照頂ければ幸いです。