下内川から関宿へ

5月5日(木)こどもの日、自転車で江戸川の土手を走ってきました。吉川市の下内川から千葉県野田市の関宿までは、往復で45kmくらいですが自宅からだと50km程度です。

天気もよく風もありませんでした。行き帰りの途中、庄和で大凧揚げやグライダーの離着陸を暫し見ましたが、何んと言っても走りながら眺める「新緑」が爽やかでした。

自転車で江戸川を走るのは久しぶりです。
以前(会社勤めの頃)、夏休みに子どもを連れて新潟まで自転車で行ったことがありましたがその頃、予行練習と体力増強のためによく土手を走っていました。

たまに海へ向かうこともありましたが、上流に向かって行くことが多かったです。関宿からさらに利根川の土手を走り、東北新幹線の所でユータウンをして戻ってくるコースでした。そして、関宿城の博物館に立ち寄るのが常でした。

今回は関宿城を目指して行きました。博物館では常設展示のほかに、『昔のくらし展』が行われており、70年くらい前の生活用具の展示がありました。
大都市東京の源となった江戸のまちづくり。江戸のまちを水害から守るために、徳川家康が行った最大の治水対策事業が利根川の「東遷(とうせん)」でした。利根川本流の流れを東に付け替える工事です。当時の江戸湾(東京湾)に注いでいた本流の流れを、太平洋の「銚子」に変えるための事業ですが、この歴史が学べるところです。

また、歴代の関宿城主と関東の覇権を争った足利・北条・武田・上杉等戦国大名との関係等も興味深く、なぜここに関宿城があったのかを考えさせてくれます。

江戸の町を水害から守るだけでなく、海と川を利用した物資の輸送で今日の東京の基盤が出来たことが分かります。それは同時に、利根川や江戸川沿いの町々の産業、産業と農産物、暮らしとの関係・歴史的背景を明らかにしてくれます。吉川の街の形成と文化や地域性を考える上でも、川の歴史は大切だと思います。

徳川家康によってはじめられた、「治水対策事業」は、明治・大正・昭和と続き、現在も『スーパー堤防』の建設などさらに強化・拡充して行われています。

帰り道、野田に立ち寄りました。野田の歴史もまた、水運とキッコーマン(野田醤油)の歴史と深く関わっており「銚子」や「流山」との関係等、興味が尽きません。