あれから32年!

昨日、「議会報告会」の後、急いで上野に向かった。

私がいた百貨店の経理部を中心にした方々の集まりに出席するためです。

何時から始まったのかは分かりませんが、年に1度、店があった「上野」で開かれています。

経理部に所属したことはありませんが、毎年お誘いを頂いています。 5~6年ぶりの出席ですが、経理にいた「節子さん」の米寿のお祝いも行うというので、出かけました。10人程の参加だと聞いていました。

午後1時50分に会場の店へ着き、個室のふすま(ドア?)を開けると皆、相当出来上がっている感じでした。 午前11時から始まっており、もうすぐ店を出なければいけないという。

幹事の女性に、「一言、挨拶を」と促され、『「節子さん」の米寿のお祝い駆け付けたこと、皆の元気な様子を嬉しく思う』ことを伝えた。

一番奥に座っていた当時、経理と人事の次長から『いながきさんこっちへ来て!』と言われ、隣に座った。

まわりの方々に挨拶し、二人と少し話をした。元経理担当は、再就職した会社で定年を迎え現在は悠々自適の生活。元人事担当は東京ディズニーランドへ移り人事・教育の部署で仕事をしていた。定年を迎えたが、現在も電鉄のグループ会社にいるという。

東京ディズニーへは、百貨店時代の仲間が数十人行った。店からオープン前のディズニーへ「出向」させたり「転籍」をさせました。「なかなか良い人材が集まらない」ので困っている。「人を出してほしい」との要請があり、出向・転籍を受け入れました。また、百貨店の将来に不安のある中、新たな選択をさせるという意味もありました。

一緒に十数年仕事をしてきた、同僚・部下・上司が移りました。バイヤーになったり人事・教育、商品開発、お客様担当、警備等いろいろな部署で働いていました。おそらく今では、ほとんどの方が定年を迎えていると思います。不安と期待の中、移った方々ですが、結果としては良かったと思います。管理職(部長・課長)になった方も多く、役員になった元上司や部下もいました。安定した生活をおくれたと思います。百貨店で最初に配属された「企画室」で一緒に仕事をした先輩も、ディズニーへ行き部長をしていましたが、肌に合わなかったのか電鉄へ戻ってしまいました。

上野駅前にあった百貨店の本社ビルには、電鉄グループ会社の建設・不動産そしてオリエンタルランドの本社(東京ディズニー)が入っていました。

オリエンタルランドへは、時々行っていました。湾岸鉄道や高速道路等の建設、駅の設置について鉄建公団・道路公団との折衝、アメリカのディズニーとの契約等、デカい話をしていました。海の物とも山の物ともつかない「東京ディズニーランド」開園に向かって取り組んでいる同世代の連中とよく話ました。

10年前?、我々が「百貨店」開店に向かって仕事をしている時の雰囲気を感じました。

成田空港への乗り入れ、東京ディズニーランドの開設。当時、電鉄で「天皇」と言われていた「川崎千春」社長の決断と実行でした。今日の発展を見ると、先を見据えた目の鋭さ、賢さに改めて驚かされます。

米寿を迎えた、「節子さん」は電鉄の経理部で、長年仕事をされてきた方です。百貨店の開設準備業務の時に移って来られ、最後まで経理におりました。

* 更新が1日遅れ申し訳ありません。これから叔母のお墓参りへ参ります。