オウム裁判終結

今朝の新聞に、『オウム裁判終結へ』の記事が一面トップに出ていました。

「オウム真理教」が起こした坂本弁護士一家殺人事件や地下鉄サリン事件、VX殺人等の事件から30年、関連の裁判から23年が経過したことを伝えています。もうそんなに経ったのかという思いとともに、思い出したくない出来事です。

裁判では192人が起訴され、13人の死刑が確定し無罪は2人。 弁護士一家は、弁護士と妻そして1歳2か月の子どもが殺され、地下鉄サリン事件では、死者13人、6千人を超える負傷者が出ました。拉致監禁殺人、リンチ殺人、VX襲撃等、どれも皆が震え上がる、「おぞましい」事件でした。一つの区切りですが、関係者にとっては「終わりのない」ことで、何とも言いようがありません。

1995年3月20日朝に起きた「地下鉄サリン事件」。その様子を伝えるテレビの痛ましい映像は、こんな事が本当に起こるのだろうかと思う光景でした。何台もの救急車が行き交い、あちこちに被害者が横たわる中、実況する記者の「うわずった声」が今でも耳に残っています。

無差別テロの恐ろしさに身が縮みました。そして、事件を起こしたものだけでなく、事前に防げなかった警察への怒りの入り混じった感情を抱きました。

確か、事件の後、山梨県上九一色村にある教団施設へ警視庁・山梨(静岡?)県警が強制捜査に入り、サリン製造プラントを確認し、隠れていた教祖の麻原彰晃(松本智津夫)を逮捕しました。

私が初めて「オウム真理教」の人達を見たのは、1989年の後半か1990年の初めです。90年2月の衆議院議員選挙に教祖の松本や幹部24人が立候補しましたが、中央線中野駅前で信者たちが活動をしていました。通勤の時に見ていました。

毎日のように朝は、北口で選挙公約のチラシ(小冊子)や変な漫画本(麻原彰晃の偉大さを伝えようとする)を配り、夜は南口で、車の上で数人の男女が白い服に身を包み、「ゾウ」の帽子をかぶり歌いながら踊っていました。 歌は、『ショウコー、ショウコー』と繰り返すようなものだったと思います。異様な光景でした。選挙公約の小冊子は、政党名だけ変えれば今でも通用しそうな内容でした。選挙は全員落選しました。

 その後、上九一色村にある教団施設、『第7サティアンでサリンの製造は出来ない。製造は自殺行為』『警察とマスコミによる宗教弾圧』というようなチラシ等も配布していました。

「人類救済」を言いながら一方で殺人を「ボア」と正当化するオウム真理教。 医師や高学歴の物理や化学の専門家までが、『オウム国家』のためにサリンを生成し、平気で殺人と無差別テロを起こしました。

『人』をそこまで変えてしまう『宗教』が持つ恐ろしさの一面は、「オウム真理教」だけではないように思います。