「川上澄生」

初めて、「川上澄生」の名前を知ったのは、40年以上前のことです。

版画家「棟方志功」について書かれた雑誌で、「川上澄生」の名前を目にしたか、あるいはTVコマーシャルの中で、川上澄生の「南蛮船」の版画を見た時だと思います。どちらが先かは思い出しません。

棟方志功は若い頃、「油絵」を描いていましたが、ある日、川上澄生の「初夏の風」を見て「版画家」になったそうです。棟方志功に衝撃を与えた、川上澄生の「初夏の風」はどんなものなのか知りたいと思いました。

テレビコマーシャルで流された「南蛮船(人?)」を見た時、私も衝撃を受けました。川上澄生の「南蛮船(人)」とともに、『タバコ渡来す。これ悪魔のわざか…』のナレーションが入りました。確か、サントリーウイスキーの宣伝だったと思います。 それ以来、関心を持ち続けています。

宇都宮(鹿沼)で開催されていた、「川上澄生」の版画展へも時々行きました。

本は、神田の古本市(店内の催事)で見つけていました。手元には、手刷り木版画付き全集(14巻)と古本が少しあります。版画の付いていない全集は、妹が欲しいというのであげました。

たまに、見たり読んだりしますが、いつ見ても新鮮でいい版画だと感じます。心が落ち着きます。

「川上澄生」は横浜・長崎・銀座、南蛮や文明開化の風俗をテーマに多くの作品を残しています。アラスカの風景や北海道のアイヌに係わるものもあります。当時の日本人が南蛮や文明開化を目にしたときの素直な驚きと憧れが伝わってきます。懐古的で詩情にあふれた眼差しで、人や建物、街かどや自然の風景そして物を見つめています。木版画だけでなくガラス絵、詩、絵本等いろいろなものを制作しています。我が家で使っていたトランプの絵には、着物姿の日本人や暮らしの中で使う道具等が描かれていました。ユーモアのセンスもあります。

どの作品にも「川上澄生」の発想の豊かさと表現に驚かされます。そして詩情と優しい感性に、『日本人』を感じます。

議会が終わり一段落したら、4月Ⅰ日から再開する(現在改修工事中)鹿沼の「川上澄生美術館」で、ゆっくりと実物を見たいと思っています。

*川上澄生  明治28年横浜に生まれ3歳の時、東京青山へ移転。大正4年20歳で母を亡くし、その後父の勧めでカナダへ渡りました。アラスカへも行き、缶詰工場(鮭缶のホイットニー)の人夫として働きました。大正7年に帰国。大正10年、栃木県立宇都宮中学校(現宇都宮高校)の英語教師になりました(大学は青山学院)。木版画の制作は大正元年ですが、本格的に始めたのはこの頃です。前回ご紹介した、「初夏の風」は宇都宮時代の作品です。生徒から付けられたあだ名は「ハリさん」。髪の毛がハリネズミのようだったそうです。本人は、「ゑげれすいろは人物」の中で自らを『へっぽこ先生』と言っています。昭和13年に結婚し、太平洋戦争が始まった昭和16年に学校を退職。昭和20年、妻の実家がある北海道へ疎開。苫小牧中学で教鞭を取りながら、アイヌの風俗や北海道の自然をテーマに制作。昭和23年、ふたたび宇都宮へ戻り、県立宇都宮女子高校の講師となりました。戦後の作品は南蛮と文明開化がテーマです。昭和47年9月没。77歳でした。

【追記3月12日】*「初夏の風」 ピンクのドレスを着た若い婦人が左手に日傘を持ち、右手は帽子を押さえています。スカートか風を受け、ふくらみ傾いています。彼女の周りを抽象化された風が覆うようにエメラルドグリーンで描かれています。代表作の一つですが、現存しているのは2枚だそうです。この他に、別の婦人と思われる方の版画があります。成熟した感じの女性の姿が逆の構図で描かれ、詩は「われはかぜとなりたや」で始まります。単色(墨)で刷られた作品です。また、宇都宮時代に制作した「初夏の風」の女性だけを描いた版画もあります。