「ことば」と「文字」

雨上がりの朝、アジサイの花が美しく輝きます。

色も種類も多く見られますが、最近は額アジサイをよく見かけます。 ブルー系・ピンク系・白等、いろいろです。周りに少し大きな花があり、中央部にまた違った小さな花つけています。

散歩の途中で目にしますが、立ち止まって見とれてしまいます。 この間まで、「藤」や「鉄線(クレマチス)」が庭先や塀のところで咲いていました。

週末は大体1週間の新聞を読み返しています。忙しい時は、2週間分が溜まってしまいます。今は2紙(読売・朝日)だけです。

以前、紹介した「漂流郵便局」が6月8日(金)の第10話で終わりました。読み終えて、「文字」の力は「ことば」と同じだと感じました。*「漂流郵便局」(6/2日のブログ参照)

昔から、「ことば」は言霊(ことだま)と言われています。一つ一つの「ことば」に宿っている力があるといいます。

人は、「ことば」で傷つき「ことば」で救われ、癒されます。積極的・肯定的な思いで奮い立ち、立ち向かっていくこともあれば、消極的・否定的な思考で、生きる力を失うこともあります。

「文字」にも同じ力があると思います。 「文字」を使って手紙を書くことは、書くことで、気持ちを整理し、思いを伝えます(伝えられることも)。自分自身と伝えたい人、そして人間以外の所へです。「文字」もまた、鋭い刃物にも暖かい衣にもなります。

しかし、「ことば」と「文字」の役割は微妙に違うようにも思いますが、使い方次第で同じものになるのではと思います。その関係性はどんなものでしょうか。

いづれにしても、「ことば」と「文字」をうみ出した人間の知恵は、偉大であり有難いことだと思います。

昨日、6月議会が終わりました。 議員生活11年目です。「ことばと文字」が持つ力の大きさ、意味、そしてその大切さを自覚していきたいと思います。 最終日、またもや真逆の光景が見られたのは残念な事でした。