旧田中家住宅

仕事が一段落しましたので、今日、旧田中家住宅と埼玉県立歴史と民俗の博物館へ行ってきました。

博物館(大宮公園下車)では、特別展「東国の地獄極楽」 ー地獄極楽をめぐる旅ー が開催されています。5月6日までですが、間に合いました。

旧田中家住宅は昨年10月20日、朝日新聞埼玉(東部)版に国の重要文化財に指定される見通しという記事が載り、気になっておりました。

川口市末広町にある旧田中家住宅は、県内唯一という木造煉瓦造り3階建ての洋館と、木造一部2階建ての寄せ棟屋根をのせた数寄屋造りの落ち着いた建物(和館)です。洋館は大正10年3月に起工、10月に上棟し12年に完成。和館は昭和9年1月起工、5月上棟です。

建てたのは4代目田中徳兵衛です。2代目徳兵衛が材木商と麦みその醸造を始め財を築きましたが、4代目徳兵衛がさらに家業を発展させ、巨額の富を築きあげたそうです(東京や千葉・新潟等に100万平方メートルの土地を所有)。4代目は家業の他に、埼玉味噌醸造組合理事長を始め県議会議員、貴族院多額納税者議員にも就任しました。

「田中徳兵衛」という名を初めて聞いたのは、30年位前です。丸井が初めて上野店で、「食品売り場」を開設するということで、その準備のため上野にいました。百貨店時代の職場が食品売り場(酒担当課長)でしたので、配属されたようです。

当時の「田中徳兵衛」さんの会社概要を見ると、BMWの正規ディーラーや自動車教習所等をやっていたので、オモシロイ会社だと思いました。さらに興味深く感じたのは、「味噌汁」を提供するお店をやっていることでした。確か、「みそーる」という名前だったと思います。

日本人にとって「味噌」は古くから使ってきた基礎調味料で、「醤油」も「味噌」から生まれました。日々の生活に欠かす事の出来ない代表的な発酵食品の一つで、健康食品です。

「みそーる」は必ず成功すると思っていましたが、うまく行かなかったようです。
時代が早すぎたのかも知れません。

今、やるとすれば美味しい「ごはんとみそ汁」を基本にして、美味しい「お漬物(糠漬け)、梅干し、海苔、たまご、豆腐、かつお節、醤油等」をチョイスする定食が良いと思います。多分、どこかでやっていると思いますが。

*【5月5日追記】 川口というと一昔前は、「キューポラのある町」で鋳物工場が沢山ありました。赤羽に住んでいた頃、時々川沿いの工場を外から見ていました。真っ赤な鉄が流れ出る様子を近くで見ることが出来ました。

江戸末期のころから味噌作りが行われていたようですが、この地区で味噌醸造業が発展したのは原料となる良質な麦が取れたことと、水質の良い豊富な水あったことです。そして世界一の大都市であった消費地「江戸」に近かったことです。また、芝川沿いにあったことで水運にも恵まれていました。明治・大正・昭和の時代、味噌醸造は発展し栄えてきました(10工場)が、戦後しだいに生産は減少し、昭和50年頃にはほとんど行われなくなりました。

*田中邸の設計監督技師は櫻井忍夫(さくらいしのぶ)です。京都東本願寺本堂を建築した宮大工の九代目伊藤平左衛門平作について建築法を修め、三菱合資・東京電気鉄道・東京倉庫を経て独立した建築家です。58歳の時に設計した小岩井農場本部事務所が現存しています。機会があれば、ぜひ見に行きたいと思います。