〈夜間授業〉 第8回・石原慎太郎

昨夜、池上彰さんの〈夜間授業〉 第8回・石原慎太郎へ行ってきました。

このところ、「市長選挙」の応援で駅頭に立ったり、挨拶回りに同行したり、ポスター貼り等でせわしなく動いていましたので、少し気分を変えるため出かけました。
それにしても、ほとんど選挙準備が出来ていない中で本当に大丈夫かなと心配ですが、ぐすぐず言ってもしょうがないので「やるしかないな」という感じです。

「石原慎太郎」といえば、浮かんでくるのは作家としての慎太郎と参議院・衆議院議員としての顔、そして東京都知事時代の取り組みです。

「太陽の季節」が芥川賞を受賞(1956・昭和31)。

経済白書が「もはや戦後ではない」と、復興が終わり日本経済は自立し高度成長へ向かって行く時代。高校生の無軌道ぶりを描いた作品は映画化され、弟の裕次郎が俳優デビューし、トップスターへの道を歩むきっかけとなりました。

石原慎太郎さんの本は、2016年(平成28)に田中角栄について一人称で書いた長編小説『天才』以外読んだことはありません。映画も見ていません。『天才』は、角栄の実像とは少し違うのではないかという印象を持ちました。

「慎太郎」という名を初めて耳にしたのは、小学生の時です。相撲大会に出た時、「慎太郎刈り、ガンバレ」という声援を受け、その後、石原慎太郎という作家がいることを知りました。

芥川賞の他、文學界新人賞、文藝春秋読者賞、芸術選奨文部大臣賞、平林たい子文学賞等を受賞していますので、戦後の文学界に影響を与えた一人であったことは間違いないようです。

国会議員時代は、中川一郎、渡辺美智雄などと旗揚げした「青嵐会」で31人の血判状を作成(1973・昭和48)し、自民党内で暴れていたような記憶があります。なにをやったのかははっきりと覚えていませんが、相当世間を騒がせていました。

私も当時、「我々も青嵐会のように、暴れなくてはいけない」と、同期(百貨店時代)の集まりでと言っていたと思います。

東京都知事時代には、話題性のあることをいろいろやっていたと思います。功罪ありますが、最大の功は「環境対策」に取り組んだことです。

ディーゼル車から排出された粉じんを「ペットボトル」で見せ、規制の必要性を訴えたディーゼル車の排ガス規制です。国に先駆けて行った規制は、国の規制へとつながりました。
都民マラソンも成功例だと思います。

失敗したのは、「外形標準課税」導入、都立大学を「首都大学東京」にしたこと、「新銀行東京」の設立です。

銀行から新たな税金を得ようとした外形標準課税は、都民の拍手喝采を受けましたが、実施後、裁判に負け実現出来ませんでした。

4つの都立大学を首都大学東京にしましたが、来年から「都立大学」に戻るようです。

中小企業に、無担保・無保証で積極的に融資する銀行として「新銀行東京」を作り1000億円出しましたが、経営は悪化。1000億円の赤字となり、きらぼし銀行に救済されることに。

築地市場の豊洲移転は、どこまで関わっていたのか分かりませんが、どちらになるのでしょうか。

「石原慎太郎」最大の失敗は、尖閣諸島購入を提起し、日中関係の緊張を高めたことだと思います。東京都が14億を集め、島の所有者(埼玉在住)から購入をしようとしたことを受け、民主党野田政権が20億円で購入したことで、現在の状況が生まれています。

日中国交正常化の時、尖閣諸島の帰属問題を取り上げれば交渉はまとまらず決裂する。この問題については、「今の我々はそれを解決する知恵がない。次の時代の人達に委ねよう」と、日中でそっとしておくことにしたことを『揺り起こして』しまいました。

世の中には、はっきりさせない方が良いこともあります。国と国との関係でも、触れないことで対立が起きないこともあります。環境がある程度整って初めて、懸案の解決へ向けた話し合いが出来ると思います。企業でも、「対応しない対応」もあります。あえて、解決しないことです。

今、海上保安庁は本当に大変です。漁業に携わる方も同じです。困ったことです。

「石原慎太郎」は、豪放磊落のようで小心者の側面があります。
天真爛漫な所があり、野心・野望を隠すことなく弱い所を見せません。

相手のことは考えず、思ったことをすぐ口に出し、批判されるとすぐに取り消したりごまかすこともありました。「ばばあ」や「三国人」、東日本大震災時の「天罰」発言等数えきれません。

神奈川県立湘南中学(現県立湘南高等学校)で、学年が一つ下で同級(石原が1年間休学したため)だった江藤淳は、「石原慎太郎」のことを『無意識過剰の人』と言いましたが、分かります。

『素晴らしい国家像に向かって頑張っている自分は、かっこ良くスゴイ。』という姿を見せたかった人ではないでしょうか。

それは他人だけでなく自分に対し、「見せていた」ように感じます。

朝の駅頭で

『お早うございます。』『明日の吉川市長をつくる会です。』と言いながら、朝の駅頭に立っています。昨年の暮れから吉川・吉川美南の駅頭で、市民の会「12月議会報告」と「吉川としゆき」さんのチラシを配布しています。

年4回、議会報告のチラシを配るために1日・2日立つことはありますが、月曜から金曜日まで続けるのは4年ぶりです。

通勤、通学に向かう方々のおよそ6割が4年前にお見かけした方で、初めてお会いする方は4割程度です。
4年の歳月で随分と雰囲気の変わった方もおります。私立の小学校へ通う生徒や学生は成長し、変化が大きく以前の姿が思い出せません。

それにしても、1月の駅頭は寒く、多くの人がポケットに手を入れ、急ぎ足で改札口へ流れて行きます。

特に日の出前後と風のある日は、寒さを感じます。手はかじかんで、言葉がうまく出ません。ろれつが回らなくなります。じっとしているので余計にそうなります。

数日間続けていると、一人一人の変化が分ります。
最初は、「変な人が立っているが、なんだろう」という目で見られます。手にしているチラシを「チラッ」と見ますが受け取りません。

「そうか、市長選挙か。誰が候補者なのか?」どうも配っている人ではないようだ。
「どんな人が出馬するのか。どんな主張をしているのだろう?」と思われて、初めてチラシを受け取るようです。自ら、「さっと」手を出します。

やがて、話かけてくる方もおります。チラシを読んで、思うところがあるようで、現市長のことや、市政について自分の考えを伝えてきます。

また、なぜ変わったのか?と聞かれる方もおります。『確か前は、中原さんを応援していたと思うが』、『何が問題なの?』と。

その都度答えますが、短い言葉で端的に伝えて理解を得るのは難しいことです。

『信頼』を得る過程は、購買心理の7段階と似ています。

①注意「おや、これはなんだろう」 ②興味「これはオモシロそうだ」 ③連想「これを使ったら便利だろう」 ④欲望「ほしいが、予算は」 ⑤比較選択「もっと良い物、安い物は」 ⑥確信「確かに良い、これにしよう」 ⑦購買「これをください」の7段階です。購買心理は、時と場合、また人によって違いますが、集約すると同じような過程をたどります。

人にもいろいろな「タイプ」があります。決断の速い・疑り深い・議論好き・偏屈なタイプ、おしゃべりな人や興奮しやすい人もいます。

また、相手(私)との相性もあります。気に入られる場合もそうでない場合もあります。相性は動物的な直観、本能から決まるように思います。味方か敵だけでなく、なんとなく居心地が良い・悪い、といったことです。

駅を利用されている方々も同じだと思います。

いずれにしても、真摯な態度で強い意思のあることを示さなければ、理解していただけず「信頼」を得ることは出来ません。

それには時間がかかりますが、唯一の方法は、やり続けることだと思います。

*今日(1/13)は午前9時30分より11時まで、消防出初式でした。会場が新庁舎前の駐車場になりました。午後2時からは成人式の式典へ出席しました。吉川市の新成人は、平成10年4月2日から11年4月Ⅰ日までに生まれた方743人(男性382人、女性361人)です。これまで10回位出ていますが、今までで最も「おとなしい」成人式でした。どうしたのでしょうか。

*来週は吉川美南に立ちます。

*また更新が遅れました。申しわけありません。

いよいよ市長選挙です

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

いよいよ、吉川市の市長選挙です。2月10日告示、17日に投開票が行われます。
4年前、「市民派」市長の誕生に力を注いできた私(私たち)ですが、「市民参画」は形だけの「市長」主役のまちづくりを許してしまいました。
これまで、『いいまちを一緒に創って行く』ため、中原市政を支えてきました。時に厳しい意見や提案をし、初心を忘れずに市政を推進するよう求めてきました。
しかし、力及ばす「市長」主役の市政運営を許してしまいました。
ここに改めてお詫び申しあげます。

私の所へも、「市長との関係はどうなっているの?」、「中原さんを支えてきたのになぜ、対立するような状況になっているのか」、「現市長の何が問題なの?」等の声が寄せられています。
個々にお答えするのでなく、皆様に「同じ内容」で私の考えをお伝えしたいと思います。
「市民の会・無所属」会報や「いとう・いながき」の議会報告でもお伝えしてきましたが、全体像を簡潔にまとめ、今月中旬には掲載したい思いますので、少しご猶予を頂きたくお願いいたします。

*市民の会・無所属は昨年の12月議会で、中原市政4年間の「成果と課題」、「政治姿勢」を確認しました。
今後の「まちづくり(市民の幸福と市の発展)」について議論を重ね、熟慮の結果、新たな吉川市政、新市長誕生へ向けた活動を進めることとなりました。

村上世彰と堀江貴文

昨日、池上彰さんの〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」第7回・村上世彰(むらかみよしあき)と堀江貴文(ほりえたかふみ)へ行ってきました。

レジメには、1 平成の風雲児ーコミュ障の2人 2 村上ファンド ー「ハゲタカファンド」か「企業統治改革」 3 パソコンひとつで起業 4 球団ほしいと楽天と競争 5 ねじれ資本関係―フジテレビと日本放送 6 フジテレビとの攻防戦 7 国策捜査発動―インサイダー取引だったのか 8 2人は新たな旅立ちへ、とあります。

どのテーマも興味深く、『そうだったのか』『なるほど』『やっぱり』そして、『そういう見方もあるのか』と感心する内容でした。

フジテレビと日本放送の関係に、村上世彰と堀江貴文がどのように関わり、東京地方検察庁特捜部が2人に罪を認めさせるためにどんな手を使ったのかは、映画を見ているような話でした。

これに、現在進行中の「カルロスゴーン」に対する特捜部の対応を重ねて見ると、地検の意図・考え方、今後の展開が想像でき、オモシロイと思うとともに恐ろしさを感じます。

今、地検がやっているのは「カルロスゴーン」を悪人に仕立てるために、情報を新聞等に「リーク」して、世論を味方につける活動を進めています。『会社を私物化し、自分だけ儲けている。許せない!』、実際にはありませんが『けしからん罪』の悪人だと言っているようなものです。朝日新聞を利用して世論操作をしているようです。

起訴し裁判になることは間違いありませんが、有罪になるかどうかは分かりません。もし、裁判で有罪に出来なければ検察のメンツが丸つぶれというより、国際社会の笑いものになることは必至です。だから検察も必死です。

過去の特捜部の動きをみると、同じ内容(それ以上)の事件でも何もしないこともあったそうです。事件の話題性や検察のイメージ等その時によって動きが違うようです。

村上さんも堀江さんも、「コミュニケーション障がい(コミュ障)」のようです。
2人の共通点は、「自分の意見に絶対的自信があり、俺は正しい。理解できないのはバカ」。自分の言動に対し、「相手がどう受け止めるのか」は考えられない人達のようです。

球団獲得交渉に行ったホリエモンがTシャツ姿だったそうですが、ライフスタイルを変えないのも、特徴の一つだそうです。しかし、本人たちはそのことを意識せず生活をしています。

良い悪いの問題ではなく、世の中にはそのような人もいるということです。
我が町にも、私が知っている方で、「一人」おります。

12月議会が終わりました

昨日(12/14月)で12月議会が終わりました。
一般質問の最終日、降旗(市民の会・無所属代表)さんの中原市長に対する再質問が印象的でした。

一点目は議会対応について、『私と、もう二人の議員がいる席上で、行政のトップとしての立場で参加し、10期以上も務められた大先輩議員の名前を挙げて、20人が一色でいいんだ。というような考え方を述べたが、今でもその考え方は変わっていないのか。』

2点目は『三位一体というのであれば、私はせめて議会の過半数ではなく、3分の2以上の同意を得ることが大切だと考えます。しかし、その席上で、私を会派から離脱させて、自公プラス4で議会を乗り切ると言った考えの本意を伺いたい。』

3点目は『市の今後の計画をリークするから、それを一般質問で取りあげ議員としての成果につなげたら。といったアドバイスもありましたが、私は侮辱と受け止め固辞しました。吉川市議会議員の中で、そういった飴についていく議員は皆無だと信じています。自分の政策実現のためには、今後もこのような飴をチラつかせるような手法を取り続けるつもりなのか伺いたい。』

降旗氏の質問に市長は勿論、執行側、議員、傍聴者も凍りつき、何とも言えぬ空気が議場内に漂った。

私の目には、「真実は強い」と映りました。

答弁に立った中原市長の姿は、ご自身の目で中継の録画を見て頂ければと思います。吉川市のホームページで、市議会から入り、見ることが出来ます。

桂木(かつらき)ゆず

昨日、「桂木(かつらき)ゆず」の毛呂山町『ゆず祭り』へ行ってきました。

「ゆず」というと高知県「馬路村」が余りにも有名です。ぽん酢日本一の人口1、000人の村で、 かつては、『馬路村出身というが恥ずかしかった』と村民の一人が以前、テレビで言っておりました。今や、「ゆず」だけでなく村そのものが人気スポットになっています。県内・県外から観光バスが連ねてやってくる場所だと聞いています。

私は「馬路村」と同じ安芸郡「北川村」の「ゆず」加工品を時々買っています。

「北川村」もまた、「ゆず」の6次産業化に成功しています。ゆずポン酢やゆず茶、ゆずドリンク、くずきり、ケーキ、ママレード、佃煮(昆布とゆず)、果皮砂糖漬け等いろいろな物がありますが、最も愛用しているのは「実生ゆずしぼり」です。

普通のポン酢に「実生ゆずしぼり」を加え、自分の味にしています。夏の間だけは、「実生ゆずしぼり」に代わり「シークワーサー」を使ったポン酢にしています。

「ゆず」はもともと好きな柑橘です。料理からお風呂にまで使っています。食べて、飲んで、ゆず湯です。

9月21日の新聞(朝日)に、【毛呂山のユズ「収穫して」ボランティアと農家募集 ■高齢化で放置される畑増え】という記事が掲載されました。

収穫する農家からは「身体がきついので、年々、取れる範囲が狭まっている」という声があり、放置されている畑が増えていることから毛呂山町が、「収穫してほしい」農家と「収穫したい」ボランティアを募集したものです。

10月Ⅰ日が 募集開始。数日後に問い合わせると、『ボランティア募集は終了しました。応募が多くもう一杯です。』との説明でした。

どんな所か気になっていましたが、毛呂山町のH・Pで、『ゆず祭り』12月8(土)・9(日)開催の案内を見つけました。思い切って訪ねることにしました。

吉川駅から電車で1時間半ほどで東毛呂駅(東武越生線)に着き、ゆず祭り会場の『滝ノ入集会所』までは徒歩30分でした。

10時過ぎに着きましたが、すでに20~30人集まっていました。「桂木ゆず」は勿論、滝ノ入地区「婦人部」の手づくり味噌、ゆず味噌、こんにゃく、餅、まんじゅう等が並べられ販売されていました。また、野菜やミカン・きんかん等もありましたが残りはわずかでした。

ほとんどの方が車で来ているようで、1箱(10個~20個入り)「桂木ゆず」を数箱購入される方が多く見られました。1箱800円~2000円位でした。

毛呂山町の観光ガイドマップには、日本最古の生産ゆず「桂木ゆず」と紹介されています。奈良時代からゆず栽培をしていたという言い伝えがあり、江戸時代には特産として認められていたそうです。昭和初期には、「桂木ゆず」のブランドで東京市場に出荷されており、高級品として高値で取引されていた。とあります。

これまで埼玉県毛呂山町が日本最古のゆずの産地だと知りませんでした。

「桂木ゆず」は、実生から育てた木に実を付けます。水はけがよく北風の吹かない「滝ノ入」地区の気候風土により、肉厚で香りが高く酸味のバランスが良いのが特徴です。またおそらく、寒暖の差が美味しいゆずを作っているのではないでしょうか。地図で見ると大高取山(376.4m)、越上山(566.5m)に向う山の斜面に「ゆず畑」が続いています。木にはしごを掛けるなどして実をもいで、斜面を運ぶのは重労働だと思います。

『滝ノ入集会所』から山の方へ少し歩きましたが、確かにそんな雰囲気でした。家の前でゆずとミカンを売っていたおばあさんからも、年寄りが多くなり、「収穫出来ない」と聞きました。庭にある木を見せて頂きましたが、長い棘があり、実際の収穫作業は大変だと感じました。しかし、収穫できる「ゆず」ができずに「放置」されるのは、もったいないことだと思います。

今回は余り時間がなく、お昼前には東毛呂駅から帰路に着きたいと考えていましたので、山の斜面にある「ゆず畑」を見ることは出来ませんでした。年が明けたらまたゆっくりと訪ねたいと思います。

「桂木ゆず」のオーナー制度があり、1本3,000円~10,000円(年間)でオーナーになることが出来ます。日頃の手入れは、ゆず農家さんがやってくれて、「収穫」を楽しめるそうです。山の斜面にある「ゆず畑」を見た上で申し込もうと考えています。

*更新が遅れ申し訳ありません。

 

 

 

 

五島美術館

11月27日(木)が一般質問の締切日でしたので、当日の午前中に提出しました。一段落したので、市役所から直接、「五島美術館」へ向いました。

美術館は世田谷の上野毛ですので、東急の二子玉川(田園都市線)で乗り換え、一つ目の上野毛(大井町線)から歩きました。 「五島美術館」へ行くのは初めてです。

駅から5~6分ほどの静かな住宅街に美術館があり、隣のお屋敷には「五島 昇」の大きな表札がありました。

開催されているのは、【「特別展」東西数寄者の審美眼 阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション】です。

阪急電鉄の創始者小林一三(いちぞう)、雅号「逸翁(いつおう)」は、鉄道・百貨店・宝塚歌劇・東宝等、現在に続く事業を関西圏を中心に拡げてきました。 一方、首都圏で東急グループの基礎を築いた五島慶太(けいた)、雅号「古経楼(こきょうろう)」は、逸翁の勧めで鉄道経営に携わったといいます。

鉄道経営も美術品収集も逸翁の影響を受けていたようです。

今回の特別展は逸翁美術館と五島美術館の収蔵品から、絵画・書跡・茶道具等約100点を展示しています。

絵画では、狩野光信・尾形光琳・与謝蕪村・円山応挙。書は小野道風・藤原行成・藤原定家など重要文化財や国宝級のものが多くありました。書や絵画のことはよく知りませんが、かつて聞いたことのある名前の方々ばかりでした。

陶芸では井戸茶碗をはじめ志野、鼠志野、黒織部、絵唐津の茶碗。染付や赤絵の香合、尾形乾山の色絵向付もありました。

私は、「鼠志野」の茶碗がいいと思いました。また、興味深く見たのは小林一三(いちぞう)と五島慶太(けいた)の書簡です。二人の交流です。美しい文字を書かれる方々だと思いました。教養と人格が表れているように感じました。

それ程広くない展示室内は「おばさま方」で一杯でした。閉館の時間まで少しありましたので、庭園を歩いてみました。 「五島美術館」の庭園は、「崖」でした。

傾斜地を自然に近い状態のまま利用して、石塔、石灯籠、石仏やあずま屋、茶室が配置されています。 高低差が35メートルあり、階段の形状も同じでないため歩きにくい庭園です。

庭園案内図には「健脚コース」。『多摩川が武蔵野台地を浸食して出来た「国分寺崖線」上に位置する傾斜地』で、『五島慶太は足腰の鍛錬も兼ねて庭園内を散策するのが日課であった』とありました。

石仏は、「六地蔵」が何カ所にも置かれていました。「これでもか」というくらい、あちらこちらにです。

仏教では生前の行いで、死後6つの世界(六道)に生まれ変わるといわれています。「六地蔵」は、六道のどの世界に生まれ変わっても救ってくださる「お地蔵さま」だそうです。

世間では「強盗慶太」と言われていたあの方が、「六地蔵」に毎日、手を合わせていたのでしようか。

*六道:天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道

*会期は12月9日(日)迄。午前10時~午後5時(入館は4時30分迄)です。休館日は月曜日。

水防組合行政視察

11月21日(水)~22日(木)、江戸川水防事務組合(江戸水)の行政視察で、静岡市にある「静岡県地震防災センター」と函南町(三島市・沼津市の隣)の「伊豆ゲートウエイ函南」に行ってきました。

江戸水は、水防法に基づき埼玉県から指定された事務組合で江戸川の右岸、春日部市西親野井から三郷市高洲までの32㎞を管理する指定水防管理団体です。

水防事務の調整と実施に必要な事項を規定し、河川の洪水等水害の警戒、防御を行い被害の軽減を目的に活動しています。 春日部・吉川・三郷市と松伏町で構成され、管理者は三郷市長、副管理者は吉川・春日部市長と松伏町長です。組合議会議員は各市町4人です。

11年間市議を務めていますが、「水防議員」は初めてなので初参加です。

21日(水)午前8時30分、三郷市役所をバスで出発。

昼食を由比(静岡市清水区)で取り、2時から「静岡県地震防災センター」で防災学習体験プログラムコース(施設見学・防災講話)を受けました。センターは地震と津波を中心した知識と対策について啓発と自主防災活動の支援施設です。体験施設として津波コーナーの映像装置や3次元の地震体験装置、展示コーナーは住宅の耐震補強方法や防災ベットも展示されています。また、県・市町職員の研修も実施しています。

開館後30年経っており、来年の1月から全館リニューアルのため1年間休館するとのことでした。

防災センターから宿泊地のホテル(静岡市内)へ移動。6時~夕食を兼ねた懇親会があり終了後、静岡おでんの「黒はんぺん」を食べに皆(10人程)で出かけました。

翌22日(木)は、午前8時45分に出発。「道の駅・川の駅 伊豆ゲートウエイ函南」に10時に到着。

始めに 国土交通省沼津河川国道事務所より「狩野川水系河川整備計画」と「狩野川放水路」について説明があり、函南町の企画財政課・産業振興課からは、「国土利用計画函南町第3次計画」についてお話しを頂きました。

霧雨の中、「道の駅・川の駅 伊豆ゲートウエイ函南」を視察しました。 防狩野川と一体的に整備された川の駅・道の駅です。

川の駅は、国交省が実施する河川防災ステーション事業用区域の一部を函南町が占用し、水防他目的センターの整備を行い、道の駅と連携する施設として駐車場と含め、管理運営する施設です。水辺空間を利用した広場や子ども達が川遊び出来るワンドを整備し、川の駅としてまちが管理運営しています。

同時に、国交省が実施する河川防災ステーション事業と連携し、平常時の地域活性化機能と水防活動の活用を図り、災害時は避難地、救援物資の中継地点として施設整備(一部継続中)されました。

また、東名高速、新東名高速道路と下田を結ぶ伊豆縦貫道の一部開通に合わせ、伊豆半島の玄関口となる函南町が伊豆ゲートウエイ機能の役割を担う道の駅を整備し、伊豆半島の道の駅7駅と川の駅を連携する為の施設です。

最大のネライは観光客の増加が期待される中、地域産業の活性化に繋げ、函南町が単なる通過町とならないために、観光交通を町内に誘導することです。そのための、「道の駅・川の駅 伊豆ゲートウエイ函南」だと言えます。

函南町の意気込みと戦略が見えます。小さな町ですが、環境の変化に合わせ立地と地域資源を活用し、生き残りと発展を考えての事業だと思います。

*行きに、由比(静岡市清水区)で昼食を取りましたが、そこのすぐ下に「正雪紺屋」がありました。以前から訪ねてみたい所でした。『柚木沙弥郎』が芹沢銈介に弟子入りした後、芹沢の勧めで「布の扱いと染の基本」を住み込みで学んだのが「正雪紺屋」です。江戸時代の兵学者由井(由比)正雪の生家です。5月5日のブログ『柚木沙弥郎』をご参照ください。

*昨年の10月、吉川市議会3委員会合同研修で「佐原広域交流拠点PFI事業」の視察研修に行きました。利根川のスーパー堤防上に国と佐原市(合併後香取市)が協働し、水辺交流センターや河川利用情報発信施設、車両倉庫、川の駅、道の駅をPFI事業により一体的に設計、建設、維持・管理、運営する施設です。国の河川事業で初めてPFI手法で整備された所です。

 

秋の収穫祭

恒例の、「秋の収穫祭」が終わり3時頃に自宅へ戻りました。

市民農園などで野菜づくりをしている、「楽農(らくのう)クラブ」会員による収穫祭です。収穫した作物で「芋煮」を作り、皆で食べる「芋煮会」のようなものです。

朝9時過ぎから準備に入りました。調理は男性が担当します。「芋煮」の指導は山形出身の同年代の方ですが、味付けの最終確認は同じ山形出身の奥様にお願いをしています。

里いもの皮をむき、ネギとゴボウを切り、こんにゃくをちぎります。シメジの石突きを落とし、ほぐします。肉は牛です。味は醤油味で、みりんと砂糖もつかいます。年々、手際がよくなり一人一人が無駄な動きをせず、出来るようになりました。

大きな鍋で、2つ作りました。里いもとネギは会員の一人が作ったものです。里いも・ネギとも立派でした。ネギは新鮮で見るからに美味しそうで、包丁で切っていると、強い刺激と香りで涙が出てきました。大きなバットに二つ、山盛りにしました。

また、それぞれの「家庭の味」を「一品」持ち寄り、皆で味わいます。

主に菜園でとれた野菜やイモ類を使った煮物、炒めもの、おしたし等色々です。お赤飯、いなり寿司、そしてデザートも。 春菊と菊の花の和えもの等、我が家の食卓に上がらない料理もあり、いろいろな料理や味があると感心しながら食べ比べます。

奥さんの手料理が中心ですが、「うちの主人が作った」という一品もあります。時々、料理をされている方もいるようです。単身赴任の時に覚えたという方もおります。

マンションの住人であれば、会員になれます。現在、家庭菜園を『やっている・以前やっていた・これからやろうと思っている』方であればOKです。私は、以前やっていた・これからまたやろうと思っている人としての参加です。

今年は30数名の参加でした。半数以上が夫婦同伴ですが皆、別々の席に座っていました。

美味しい料理を肴に野菜づくり、今年の気候、料理、初めて仕事に就いた時のこと等、次々に話は広がって行きます。そして、今年亡くなった方のことも。表情からは、「この一時をともに過ごせることの喜び」が伺えます。

人にとって「何を」食べるのかは大切なことですが、「どのように」食べるかも大切なことだと思います。