OB会に行きました

昨日、大学時代のクラブのOB会に行ってきました。

久しぶりでしたので、渋谷駅から大学の一角にある会場まで歩いてみました。 渋谷警察署から金王八幡神社の前を通り、常盤松小学校の裏を経て学校の正門へ出ました。 金王神社は見覚えがありましたが、常盤松小学校の付近は記憶にありません。通学していた頃は実践女子大(現在は高校・中学)の前や、氷川神社の境内を歩いて行ったように思います。

卒業して50年近く経っていますが、私が通っていた頃の雰囲気はまったくありませんでした。

キャンパス中央に18階建の若木タワーがそびえ、周囲に百周年記念館、120周年2号館がありました。通りを挟んだ広尾中学側に120周年1号館と130周年記念5号館。そして正門の通りの向かい(実践女子)側は、学術メディアセンターが配置されていました。きれいでオシャレな建物、食堂の中で学生たちは「ゆったり」としているようでした。

私がいた頃にあった建物で残っているのは、正門わき神社の神殿だけでした。

昭和41年に入学し45年に卒業しました。 学内には、あちこちに巨大な立て看板が置かれ、その前で「革マル」や「中核」の学生がヘルメット姿でアジ演説をしていました。丈の長い学生服姿の応援団が応援歌を歌い太鼓をたたいていました。体育館横の弓道場からは女子学生の悲鳴のような気合のような声が響いていました。 校舎の屋上からは、発声練習の声、中庭ではベトナム戦争反対のジグザグデモの声があり、氷川神社側裏門横「梅もと」からは、そばつゆの匂いが。雑然とした中に、変に落ち着きのあった時代でした。生活感がありました。

OB会には35名が参加。私のテーブルは9名。先輩と後輩、同期は3人。他のテーブルもほぼ同数でしたが、数人を除き初対面の感じでした

当時の写真(夏合宿等)を持参している人がいて、見ていると、皆、若い!。とにかく元気で若い。

昔のことがよみがえり、「あの時、誰がこうした、こう言った」等、話していると次々とその光景が浮かんできます。先輩や後輩も話に加わり、一気に盛り上がる。やがて、写真に写っている連中について、「あいつは今、どうしている」という話題になる。すると、『5年前に亡くなった』『アルツハイマー型認知症になっている』『ガン』で『介護』で大変だ。等、知らなかったことを聞かされる。

彼と彼女の「顔」、「声と言葉」、「表情やしぐさ」が浮かんできます。

あれ程、元気で、はつらつとした。たくましく、やさしく、美しい。そして、生意気でかっこつけた、それぞれの姿です。

【追 記 11月27日】 ここに来ている方々は「幸せな人達」だと思いました。これまでの人生の事は分かりませんが、OB会に参加出来るという事は、「意欲と体力」そして「心の余裕」があるという事です。本人はもとより、身近な方が大きな病気や悩みを抱えていたりすれば、とても行く気にはなれません。私も「幸せな人達」の一人ですが、昔話に花を咲かせ、友人・知人の消息を確認するだけでは、何か寂しくもったいない集まりだと思いました。

 

*クラブは「史跡踏歩会」。毎年テーマを決めて、その歴史を学びながら舞台となった所を訪れる会です。例えは「維新への胎動」では、幕末から明治への歴史を紐解きながら京都や萩を訪れました。顧問は、樋口清之先生(歴史学・考古学・民族学)でした。夏合宿では、一緒に京都や奈良へ行ったりしていました。

*大学は、國學院大學です。母体は明治15年(1882年)創立「皇典講究所」。初代総裁は有栖川幟仁親王。明治39(1906)年文部省告示により「私立國學院大學」。大正9年(1920年)大学令により日本の私立大学として初めて認可。この時、同時に認可されたのは、慶應義塾・早稲田・明治・中央・日大・法政・同志社。

*また、更新が遅れました。お許し下さい。

 

 

 

今、我が家はすごい状態です!

私の机の横には冷蔵庫、目の前には段ボール箱が積み重ねられています。プリンターのそばに食器棚が置かれ、ベランダには洗濯機があります。

リビング・ダイニングの一角にある書斎スペースですが、本棚や議会関係資料の他、キッチン・お風呂・洗面所・トイレにあった物が全て、リビング・ダイニングに置かれています。

先程、電子レンジと湯沸しポット、テレビにホットカーペット等を同時に使ったため、ブレーカーが落ち、パソコンも切れてしまいました。 毎土曜日に更新している私の「ブログ」をアップしようとした矢先でした。データーの保存をしていなかったので、消えてしまいました。残念ですが仕方ありません。

11月14日(火)から始まった我が家の水回りの改修工事。まだ5日目ですが、不便な毎日です。

バケツに汲んだ水で顔を洗い、ペットボトルの水で歯磨き。朝から夕方までトイレが使えません。コインランドリーでの洗濯、お風呂は駅前の温泉。食事はレトルトや冷凍食品を電子レンジで温めて食べています。 おまけに、玄関まわりの壁を壊したのでやたらと寒いです。

当初、キッチン・お風呂・洗面所・トイレの水回り箇所の改修 (システムキッチンやバス等の交換)を実施する予定で、リフォーム会社と相談をしていました。

相見積を取る為、別の事業者と話をした際、『マンションでの生活の将来を考え、見える箇所だけやるのではなく、見えない所の改修も検討しては』との提案を受けました。 成る程と思い、床下の給排水管と断熱材の交換、壁を珪藻土で仕上げることにしました。

途中で繋ぐことのないホース状の給水管は水漏れ事故の心配がありません。これまで特に冬場、北側の玄関窓は結露がひどく天井にはカビが発生していました。断熱材を変え、壁を珪藻土にすることで保温性を高め、カビの発生が抑えられる見込みです。このため、工事期間が長くなり12月第2週までかかりますが、先のことを考えるとやった方が良いと判断しました。今朝、たまたまテレビ(民放)を見ていたら、工事を依頼した事業者の担当者が、マンション「リフォームアドバイザー」の肩書で出演されていました。

それにしても、物の多さに改めて驚きます。一家5人で暮らしていますので、必要なものもありますがそうでない物もあるように思います。子どもの成長とともに、家具や道具が増えてきました。28年前、赤羽の40㎡のマンションから引越してきました。子ども達も小さく物も少なく、当初は広く感じましたが今では自分の書斎もありません。そのうち一人二人と家を出るのでしょうが、先は見えません。

家の中での数メートルの移動でしたが、段ボールに物を詰めたり運ぶ作業で妻は相当疲れたようです。私も段ボールや食器棚を運んだりして、腰が痛くなりました。

不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から離れる「断捨離」。改めて「断捨離」の必要性を感じています。同時に「不便な生活」に適応できる力も。

あと何年元気に生活できるか分かりませんが、いつ大きな災害に遭遇するか分かりません。そして、物の整理も「断捨離」も、「気力」と「体力」がなければ出来ないことだと思います。

これを機に「断捨離」の実践と「サバイバル」の力を高めていきたいと思います。

 

あれから32年!

昨日、「議会報告会」の後、急いで上野に向かった。

私がいた百貨店の経理部を中心にした方々の集まりに出席するためです。

何時から始まったのかは分かりませんが、年に1度、店があった「上野」で開かれています。

経理部に所属したことはありませんが、毎年お誘いを頂いています。 5~6年ぶりの出席ですが、経理にいた「節子さん」の米寿のお祝いも行うというので、出かけました。10人程の参加だと聞いていました。

午後1時50分に会場の店へ着き、個室のふすま(ドア?)を開けると皆、相当出来上がっている感じでした。 午前11時から始まっており、もうすぐ店を出なければいけないという。

幹事の女性に、「一言、挨拶を」と促され、『「節子さん」の米寿のお祝い駆け付けたこと、皆の元気な様子を嬉しく思う』ことを伝えた。

一番奥に座っていた当時、経理と人事の次長から『いながきさんこっちへ来て!』と言われ、隣に座った。

まわりの方々に挨拶し、二人と少し話をした。元経理担当は、再就職した会社で定年を迎え現在は悠々自適の生活。元人事担当は東京ディズニーランドへ移り人事・教育の部署で仕事をしていた。定年を迎えたが、現在も電鉄のグループ会社にいるという。

東京ディズニーへは、百貨店時代の仲間が数十人行った。店からオープン前のディズニーへ「出向」させたり「転籍」をさせました。「なかなか良い人材が集まらない」ので困っている。「人を出してほしい」との要請があり、出向・転籍を受け入れました。また、百貨店の将来に不安のある中、新たな選択をさせるという意味もありました。

一緒に十数年仕事をしてきた、同僚・部下・上司が移りました。バイヤーになったり人事・教育、商品開発、お客様担当、警備等いろいろな部署で働いていました。おそらく今では、ほとんどの方が定年を迎えていると思います。不安と期待の中、移った方々ですが、結果としては良かったと思います。管理職(部長・課長)になった方も多く、役員になった元上司や部下もいました。安定した生活をおくれたと思います。百貨店で最初に配属された「企画室」で一緒に仕事をした先輩も、ディズニーへ行き部長をしていましたが、肌に合わなかったのか電鉄へ戻ってしまいました。

上野駅前にあった百貨店の本社ビルには、電鉄グループ会社の建設・不動産そしてオリエンタルランドの本社(東京ディズニー)が入っていました。

オリエンタルランドへは、時々行っていました。湾岸鉄道や高速道路等の建設、駅の設置について鉄建公団・道路公団との折衝、アメリカのディズニーとの契約等、デカい話をしていました。海の物とも山の物ともつかない「東京ディズニーランド」開園に向かって取り組んでいる同世代の連中とよく話ました。

10年前?、我々が「百貨店」開店に向かって仕事をしている時の雰囲気を感じました。

成田空港への乗り入れ、東京ディズニーランドの開設。当時、電鉄で「天皇」と言われていた「川崎千春」社長の決断と実行でした。今日の発展を見ると、先を見据えた目の鋭さ、賢さに改めて驚かされます。

米寿を迎えた、「節子さん」は電鉄の経理部で、長年仕事をされてきた方です。百貨店の開設準備業務の時に移って来られ、最後まで経理におりました。

* 更新が1日遅れ申し訳ありません。これから叔母のお墓参りへ参ります。

 

 

 

 

 

11月です!

季節外れの台風と長雨、そして衆議院の解散総選挙。大変な10月でした。

数日前から天気も回復し、やっと秋らしい雰囲気になってきました。

青い空と雲、夜には月がきれいです。

気が付けば11月。今年もあと2か月です。

年々、1年が短く感じられますがとりわけ、1週間があっという間に過ぎてしまいます。 毎週土曜日、『もう1週間がたってしまった。』今日はブログの更新日。なにを書こうかな?と、いつも当日の朝に思います。

日々の生活の中で気づいたことや感じたことを書きとめておけばいいのですが、なかなか実行できません。 その時々、感じることや思うことはあるのですが、振り返ってみるとほとんど忘れています。

元々そうなのか、歳のせいなのかは分かりませんが、困ったことですが良いことだと思っています。 全て覚えていたら疲れてしまいます。 しかし、何十年も前のことを突然思い出すこともあります。 人間の意識や記憶の不思議な所です。

5日間続けてビラを配っています。毎日、3万歩位歩いてポスティングをしています。あと、3日ほどかります。

歩いていると、たまに話掛けられます。新庁舎の事や衆議院議員選挙のこと等が話題になります。 短い時間ですが、その方の人柄や思い、過去・現在の状況等が伝わってきます。 同様に、私のことも伝わっていると思います。

日々の暮らしやまちの変化は、歩かなければ分かりません。 いろいろな方がいます。嬉しいことも嫌な事もありますが、歩いているから、体験できることです。嬉しい言葉は、ビラを手渡した時、『いつも読んでいるよ』の一言です。