NHK朝ドラ「べっぴんさん」から

朝8時から始まるNHK「朝ドラ」を懐かしい思いで見ています。
舞台は昭和30年代後半から40年初めの頃です。
アイビーファッションが爆発的に売れた頃の話です。

アメリカアイビーリーグ校の学生ファッションを、VANやJUNが商品化して売り出していました。

それらを扱うデパートのコーナーや路面店にはいつもいっぱいの人がいました。

夏はコットンパンツにマドラスチェックのシャツを着、スニーカーを履きVANの紙袋を抱えて歩くのが流行でした。
銀座の『みゆき通り』にはそんな連中がいっぱいいました。
雨も降っていないのに、傘を持って歩くのもファッションでした。

ファッション雑誌「メンズクラブ」から抜け出てきたような、皆同じ恰好でした。銀座だけでなく渋谷・新宿・池袋等、若者が集まる所は皆そんな雰囲気でした。

私が高校から大学へ通っていた頃です。
今思えば、皆同じ格好というのはおかしいのですが、逆に言えば安心感のある恰好だったと思います。

「朝ドラ」にはジャズ喫茶が出てきます。その頃は、銀座のACB(アシベ)や新宿のラ・セーヌが流行っていました。私も時々は行っていました。尾藤イサオや弘田三枝子等が出ていました。克美しげる、青山ミチも出ていましたが、その後事件を起こし逮捕されました。

新宿の深夜喫茶で朝まで過ごすのが、カッコいいという時代でした。眠ると店の人に怒られるので、起きていました。そして1番電車で家に帰り、着替えてまた学校へ行くことも。渋谷は少し大人の街、新宿は学生、池袋は怖い。当時はそんな印象でした。

フォークソングが流行り、べ平連・ベトナム反戦デモ、学生運動の嵐が日本中に吹き荒れ、ストやロックアウトで授業もろくに出来なかった大学も多くありました。新宿西口広場では、「フォークコンサート」が毎晩開かれ、学生やサラリーマンが座りこんで機動隊の前で反戦歌を歌っていました。やがて西口広場は「西口通路」と名前を変えました。
ジョーンバエズやPPM(ピーター・ポール&マリー)も来日し、森山良子がジョーンバエズのコピーを歌っていました。
ボブディランはあの頃からフォークの神様と言われていました。

私の通った学校にも、「革マル」や「中核」もいて校内には立て看板がいっぱいありました。その前でヘルメットに手ぬぐいを首にかけた姿の学生が「アジ演説」をしたり、デモをしていました。そんな時代でしたが、4年間で授業の休講は1日でした。

友人達とゼミの研究室で時間を潰し、夕方からは皆で渋谷のガード下で焼き鳥を食べ、一杯飲みながらいろんな話をしていました。時々、赤坂・溜池で飲み、新橋の後輩の家に泊めてもらうことも。いい加減な学生だったことは間違いありません。

「朝ドラ」を見ていると、昔の記憶が次々と浮かんできます。そして、「あいつ」や「あの方」は今どうしているのだろうかと。

吉川美南高校PTA・後援会新年会

昨日(1/20)、吉川美南高校のPTA・後援会新年会が福寿家で開かかれました。
そこで興味深い資料を頂きましたましたのでご紹介いたします。

埼玉県立吉川美南高校について書かれたものです。12月現在の入学希望状況は、1部全日制は募集人員119人に対し、希望者数174人。倍率1.46倍となっています。
1部定時制では募集人員78人に対し、希望者数43人で倍率0.55倍です。1部全体では、197人に対し217人で1.10倍です。

吉川美南高校の最大の特徴は、東南部地区唯一の「総合学科」の学校だという事です。
1部全日制のビジネスクラスでは、商業系の選択科目が豊富で商業の資格取得に有利です。1部定時制には「特別進学クラス」が設定されており、他クラスより高いレベルでの学習を目指すことが出来ます。進学から就職まで強みを発揮できる学校といえます。

普通科高校は、国数英理社等の普通科を中心に学習し進学に強く、専門高校は授業の三分の一は農・工・商・家庭等の専門教科を学習し就職に強いのが特徴ですが、美南高校は進学から就職まで対応する「総合学科」の学校です。

1部定時制は5選択群からの履修・習得で3年間での卒業がてきます。Ⅱ部(夜間部)定時制でも、始業前に設定される「自由選択科目」を習得することで、3年間で卒業することも可能となります。
スーパー定時制と言われています。

かつて、定時制高校は働きながら学ぶ学校でした。昼間働き、夜に行く学校でした。主に経済的な理由から全日制に通うことが出来ない人がほとんどだったと思います。民間企業でも中卒者を採用し、就業後に定時制に通わせたり、企業内に高校や専門学校で学ぶ知識や技術を教える学校が設けているところが見られました。特に大手企業では中堅社員や中間管理者として、企業内での人材育成を図る所が多かったと思います。自動車や通信、電気関係の会社をはじめ国鉄などにもあったと思います。

私が卒業した國學院大學久我山高校も、発祥は岩崎通信機の企業内の学校だったと聞いています。

吉川美南高校には昼間働き夜の定時制に通う学生もいますが、その逆もあります。昼間は学校(1部定時制)に行き、夜働く場合です。特に仕事はしていないという方もいるようです。また、進学校や専門高校になじめず中退した方が、『学び直したい』と入学するケースもあるようです。時代の要求や必要性に適応した、新しいタイプの学校として生まれたと思います。

7年前(平成21年秋)、吉川高校の全日制を廃止し、昼・夜開講の定時制高校とする計画が県から示されました。

吉川市は『全日制存続を求める市民会議(30団体)』を立ち上げ、計画の撤回を求める活動を行いました。県に対し、全日制存続を求める「要望書」の提出を始め、陳情・請願署名活動、議会では「意見書」を採択。副知事・県議会議長・教育長(教育局)とも話合いましたが、『心情は理解するが再検討は出来ない』『人口減少の中、再編整備計画を進めたい。吉川高校を良くするための計画なので、理解していただきたい』と県は繰り返し、互いの議論はかみ合わず平行線が続きました。

教育局との折衝の中で、忘れられない言葉があります。担当者は吉川高校について、『①中途退学者の率が非常に高い ②進路が決まらない状態で卒業する生徒が多い(就職も進学もしない)③教員の加配等、学力の向上に取り組んできたが壁を越えられない。④吉川高校の活性化・特色化を図り、魅力的な良い学校にするための再編整備のため。』と言われた。最初はオブラートに包んだ言い方でしたが、何回かのやり取りの中で本音が出てきたと受け止めました。

翌、平成22年2月18日、吉川高校全日制廃止問題は吉川高校の全日制・定時制課程と草加高校の定時制課程を統合し、新たな高校を現在の吉川高校に設置することで決着しました。全日制課程の存続が決まりました。25年春、『吉川美南高校』として新たなスタートを迎え、現在に至っています。

短い期間で随分と変わったと思います。落ち着いた雰囲気の学校になったと感じます。女子学生が多くなったことも影響していると思います。入学式や卒業式に出席し、生徒や先生に接すると目の輝き、態度・姿勢が変わったという印象を受けます。積極的・意欲的な感じがします。校長をはじめ教職員、生徒が何か共通の目標を持って活動しているからではないでしょうか。

平成27年の卒業生の進路状況は、大学27名、短大・専門学校62名、就職80名、その他3名です。大学への合格実績や就職先をみると、いろいろな大学・短大・専門学校へ行っています。就職先も、吉川市役所・埼玉県警・三越伊勢丹・プリンスホテル・さいかつ農業協同組合等、多方面に及んでいます。将来の目標を持って3年間学んできた結果だと思います。それを成し遂げたのはやはり、学校に関係している全ての人達の力だと思います。

県の再編整備計画では激しく対立してきた部分もありましたが、今思えば変えてよかったと思います。あのまま何もせずにいたら、皆にとって不幸な結果になっていたと思います。課題は多くあると思いますが、吉川市にある唯一の県立高校です。さらに学校と協力しあい、地域とつながった魅力的な学校にしていきたいと思います。

 

今週もいろいろありました

1月8日(日)「出初式」 AM9時30分~
吉川松伏消防組合本部で平成29年吉川市消防出初式が行われました。

式は、消防団員・消防職員人員報告、人員・服装・規律の点検、少年消防クラブ訓練展示、消防暑訓練展示、消防団一斉放水、閉式。閉式は11時30分。

「成人式」 PM2時
1部 式典(2時~2時15分)
2部 アトラクション(2時25分~4時30分)
男性356人、女性392人、合計748人が新成人に。
式典の時間が短縮され、15分間に。議員紹介も一人づつから全議員をまとめて紹介。

成人式も年々おとなしくなっている様に感じる。式典の間中話を聞かずに騒いでいる者や動き回る目立ちたがり屋もいるが、舞台に駆け上がりマイクを奪って騒ぐ者や一升瓶をラッパのみして騒動を起こす連中はいなくなった。時代や世相を反映している様に思う。

1月9日(月) いとう・いながき「議会報告会」。 AM10時00分~PM1時00分
「おあしす」で開催。12名出席。

消防議会で「100条委員会」設置、議会改革、コツコロ吉川(スーパーカスミ吉川店)の建物解体工事と跡地利用について等意見交換。

1月10日(火) ビラ(12月議会活動報告)750枚配布。1月2日からの累計3,950枚。

1月11日(水) 吉川松伏消防組合議会。 AM10時~「100条委員会」第1回開催。
「救急救命士殴打事件」の真相究明のため。開会後、個人情報保護の観点から『秘密会』となる。

傍聴人として別室で待機したが、11時過ぎ退席。
委員会では、事件当日の「救急活動記録」・「救急支援活動報告書」、「録音テープ」等の開示、確認を行った模様。

1月12日(木)保健センターで「健康診断」。市職員と一緒に受診。AM11時からPM1時。午後は、ビラ1,300枚配布。

1月13日(金) 会派ミーティング AM9時~10時30分
市民の会・無所属として初めて開催する「市政報告会」の内容、タイムスケジュール等確認。2月4日(土)開催予定。

AM11時~PM1時 「(仮)第4中学校学区問題」について地域住民と意見交換

PM3時~ ビラ配布300枚
PM7時30分~ 会派「新年会」

1月14日(土) AM8時40分~12時15分 ビラ配布750枚。累計で6300枚。12時前、突然強風と粉雪。

PM1時30分~ チラシ印刷1、300枚。2時30分~おあしすで折機。

明日もビラ配り。雪が降らなければよいのですが。

今年もよろしくお願いいたします

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

私はお正月とともに69歳を迎えました。早いものです。

昨年の2月、3期目のスタートにあたり、『常に感謝の気持ちで品位を持って、明るく元気に姿勢を正して挑戦する』ことを行動指針としました。

そのためには、『身体の健康は心の健康、心の健康は身体の健康』だと考え、今まで以上に健康管理に留意することを決めました。

具体的には、朝の散歩と運動。月に1度は、山や海に行ったり街中散歩で気分転換をはかる。また、食事は野菜中心にして、PM11時には寝ることを目標としました。

数年前からつけている、毎月の「健康管理票」のチェック項目も見直し、毎日結果を記入しています。
昨年の結果を振り返ってみると、まだまだの所もありますが、毎日、記録し確認することで目標との差の修正することが可能です。継続は、やはり「力」となります。

昨年の11月にスイミングスクールの会員になりました。役所の近くですので、空いた時間を利用していくことが出来ると考え、週に1回(目標は2回)は行く計画でしたが、実際はなかなか難しい状況です。入会から2か月と1週間経ちましたが、2~3回でした。今年は週に1回は行きたいと思います。山には1年間で2回行きました。一昨年は1度でしたので、前進しました。

手帳の最初のページに、『為さざるなり、能わざるに非ざるなり』と書いてあります。数年前からこの言葉を書いています。意味は、「出来ないのではなく、しようとしないのである」という事です。出来ない責任は全て自分にあることを常に自覚し、「住んで良かった、これからも住み続けたい」と実感出来る「まちづくり」に取り組んでまいります。

皆様の健康とご活躍をお祈りいたします。