栄小学校卒業式

3月24日(火)午前9時より栄小学校体育館において、平成26年度第36回卒業証書授与式が行われました。
在校生を代表して5年生そして、保護者、教職員、来賓の多数が見守る中、小山 悟校長より、5クラス189名の卒業生一人一人に卒業証書が手渡されました。

配布された名簿一覧には、それぞれの名前と中学校生活での抱負が書かれています。『勉強や部活で頑張りたい!』との決意がほとんどですが、『1日1日の行動を考え、努力をし、毎日、大きな声で挨拶したい』や『何事にも、勇気を出して積極的に参加できるようにしていきたい』といった声もあった。

昭和54年の開校以来卒業生は4,877人。今年卒業の189人を加えると、5、066人となります。ここしばらくは、プレハブ校舎を使い1,200人近い生徒が通う、県下でも珍しいマンモス校でした。教頭先生も2人、教職員も生徒も多く、活気と熱気のある学校です。人が多いということはやはりものすごいパワーを感じます。運動会での競技の迫力は圧巻です。いよいよ今年は、1,000人を割るそうです。それでもまだマンモス校です。全国的には、少子化のため小中学校の統廃合は相当前から進んでいます。

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私が卒業した『若杉小学校』も廃校になりました。中央線荻窪駅から徒歩5分ほどの学校でした。駅前商店街の呉服屋や喫茶店、マーケット内の魚屋のせがれなどと一緒でした。そう言えば葬儀屋の息子もいた。医者や教師の娘もいました。戦後生まれの団塊の世代。教室はいっぱいの生徒であふれており、近くに新しい小学校が建設されていく時代でした。

マーケットの裏には街頭テレビがあり、勤め帰りのサラリーマンがプロ野球や大相撲、「力道山」の空手チョップに熱狂していました。空の弁当箱の入ったかばんを持ち、皆スーツ姿にハットをかぶっていました。公衆便所と野菜くず、魚のトロ箱から漂う臭いの中、私も大人たちに交じってテレビを見ていました。

露天商もたくさんいました。バナナのたたき売りからガマの油売り、インチキ万年筆まで毎日のようにやっていた。売るための口上がなかなか面白くじっと聞き入っていた。
駅前広場には、バス停のそばにタクシーと輪タク(幌付き)が止まっていました。雨が降ると改札口で傘を持ち、父親の帰りを待つこともよくありました。すぐそばの立ち飲み屋から漂う、焼き鳥の匂いに心を奪われる少年でした。

 

学校長の式辞。運動会や修学旅行での出来事を振り返り、子どもたちの素晴らしい一面を紹介。最後に、『努力や苦労が苦にならない目標に向かい、まっすぐ自信を持って進んでください。』と語りかけるように結びました。
つづいて教育委員会告辞。『4月からはいよいよ中学生。心も体も大きく成長する時期です。自分の一番を見つけて頑張ってください』と話をされた。
吉川市長の祝辞(代読)。
『皆さんはこの6年間、大きく成長されました。中学校では、もっともっと楽しいことが待っています。家族・仲間・自分を大切にしてさらに成長してください。』
中原市長のメッセージは簡潔でよかった。市長が代わったせいか、教育委員会の告辞もだいぶ良くなったと思う。
市議会の挨拶はあまりよくなっていないので省略します。

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卒業証書授与では一人一人名前を読み上げる時に、正面を向き本当に大きな声で返事をしていました。
男女ともブレザーが主流。男子の学生服姿は少なかった。女子はブレザーの下はチェックのスカートが多かった。私立中学の制服や袴に振袖の子も時々見られた。皆、きちんとした服装できりりとした晴れ姿でした。いつも感じることですが、全体的に女子は体格も大きく大人びているのに対し、男の子はやはり幼さが残っています。ただ今年は、その差があまりないように感じました。

来賓の挨拶・紹介が終わった後、在校生によるお祝いの言葉と歌。卒業生の旅立ちの言葉と歌が続き、参加者全員で校歌斉唱。式典が終わり、各クラス毎に担任の先導で、出席者からの盛大な拍手の中、新たな時代を担う12歳、189名の卒業生が退席しました。
後ろ姿を見送る参加者たちの思いは、『拍手』に込められている様に感じました。

『輝く若者たちの将来に幸多かれ!』と。

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初議会で、『市長就任の挨拶』

3月23日(月)3月議会開会日午前10時、議案上程に先立ち中原市長より市長就任の挨拶がありました。

市長は、『私が何をやるかは明白。三つの力を結集し吉川市を大人の都市にしていく。与えられた4年間縦横無尽に動き、皆様のお力を結集してまちづくりを進めて行きたい』と語った。また、『組織の中での情報を透明化し、責任の所在を明らかにする』との決意を表明しました。

三つの力は、「市民の力」「議会・議員の力」「行政の力」。
市民が持っている経験と知恵を生かした体制づくり(まちづくり)に尽くす。議会・議員とは、党派を越えて同志として未来志向で議論をして行きたい。丁寧に説明をする。職員は、『市民のためにから、市民とともに』の視点で行動(仕事)してほしい。その指針として、①チャレンジ精神 ②取捨選択 ③スピード感を挙げました。

初議会での中原市長の姿を見るため、訪れた市民で 議場の後方にある傍聴席(30席)は開会前には満席となった。
入りきれなかった市民は、別館2階会議室に設けられた部屋で音声による傍聴となりました。

市長就任の挨拶が終わると、傍聴席からは大きな拍手が起こり、『新たな吉川市』への期待が感じられた。我々、市民改革クラブ(伊藤・稲垣)は勿論、拍手。自民・公明・共産からの拍手はなかった。

市長より吉川市職員の採用試験結果についての行政報告がされた。
採用試験は、昨年7月から10月に筆記試験と口述試験を実施し、20名の採用を決定。一般職17名、保健師2名、栄養士1名の計20名。受験者は428名でした。

 

今年度(3月末)の退職者が20名と多いことから、新規採用者も例年に比べると大幅に増えました。市長が職員の行動指針として示した、①チャレンジ精神 ②取捨選択 ③スピード感のある市役所とするためには今後、役所の常識と世間の常識をミックス(調和)する必要があると思います。そのためには、年間を通じた採用(転職者等の中途採用)も考えるべきです。また、障がい者と子育てを期に退職した女性の活用は重要だと思います。さらに、定年退職した元気な高齢者や子育て経験のある主婦等の経験と知恵(知識)を、まちづくりに生かしていただきたい。

民間企業では当然、利益が出なければ給料もボーナスも下がる。成果を上げなければ仕事は任せてもらえない。のんびりとした仕事では会社は生き残れず、競合企業に負けてしまう。お客様が満足する商品やサービスを提供して初めて信頼と支持を得て存続、成長を図ることが出来ます。市役所でいえば、市民にとって本当に役立つ所(だから市役所という)でなければ信頼も支持もされません。

勿論、市役所の仕事は幅広く、民間企業では出来ない・やらない仕事もたくさんあります。それらの大切な仕事は当然、『スピード感』より『誤りがないこと』が優先され、法律にのっとり公正・公平に実施されなければなりません。『取捨選択』できない、してはいけないこともあります。ゆりかごから墓場まで、『市民生活』のほとんどと係わりを持ち、一生の中で最もお世話になるのが市役所です。国や県に直接お世話になることは多くありません。

『市民の税金を使って、喜びと幸せを市民とともに実現する夢のある仕事』が市役所の仕事です。そこで働く職員が、やり甲斐のある仕事にチャレンジしていける職場、やったことが報われる職場にしていく責任は市長にあります。人材育成にお金も手間もほとんどかけず、自己啓発支援も弱く、試験制度もない中で課長や部長になっていく現状は早急に見直しを図るべきではないでしょうか。

3月定例会での市長提出議案は23件。条例等9件、26年度補正予算5件、当初予算7件、その他2件。
市長より全議案について説明がされ、議事日程を終了。

いよいよ3月議会が始まります!

「いよいよ」と言うか「やっと」と言うか、3月議会が23日(月)から始まります。会期は3月23日(月)~30日(月)の8日間です。
24日(火)は小学校の卒業式のため休会、28(土)・29(日)も休みのため実質5日間の日程です。

中原市長の任期が3月7日(土)から始まりましたが、就任して間もないので、3月議会で提案される平成27年度当初予算は、いわゆる「骨格予算」となります。

本来の予算は、その年度のすべての歳入・歳出で編成されますが、選挙の時期が3月議会の直前で、かつ首長が交代した関係で予算と連動した政策的な判断がまとまっていません。したがって、扶助費・人件費・公債費等の義務的経費や継続的事業を中心とした「骨格予算」となりました。新規事業や投資的経費、政策的経費等の肉付けされた予算は、6月議会あるいはその前に臨時議会があればそこで提案される予定です。

このため、中原新市長の「27年度市政方針」はありません。それに伴い「代表質問」もなく、「予算討論」もありません。 なぜか、「一般質問」も中止することとなりました。(*訂正:骨格予算のため予算討論はないものと考えていましたが、なぜか共産党がやりました)

議会運営委員会の話し合いの中で、『市政方針が示されない中で、代表質問は出来ない。骨格予算に対し、予算討論を行わないことは理解できる。しかし、市政に対する一般質問が出来ないのはおかしい。』と主張しました。
市政に対し、聞きたいこと、言いたいことは山ほどある。市民から託された継続的に取り組んでいる問題もある。議員としての大切な権利でもあり、やらなければならない仕事だと思う。
それに対し、『市政方針が述べられていない中では、市政に対する一般質問は行わないのが通例』、『市長は、就任間もないので答えきれない』等、よく分からない理由を事務局を中心にが並べたてる。
結局、「一般質問」も中止することを決定。私一人いくら叫んでもひっくり返らない。

役所の仕事は、議会で予算が承認されなければ執行できない。3月31日までに何としても、予算を通過させなければならないことは分かる。しかし議会の会期について、特段の決まりかあるわけではない。いくつかの問題はあるが、やろうと思えば4月にまたがってやることは出来る。

4月は統一地方選挙。県議会議員選挙と市町村議員選挙が実施される月である。(*1)
早くそちらに力を注ぎたいという政党所属の議員の立場も分かるが、まずは自分の所属する議会に全精力を注ぐことが大切だと思う。

先日ある方から聞いた話ですが、となりの大きな町の市役所に勤めている方の家庭で、いつもなら3月は帰宅が遅くなる夫が今年は妙に早く帰ってくる。不審に思った妻が尋ねると、『来月、4月は選挙(市議・県議会)だから』と答えたという。

やはり、議員にとって「選挙」は一番怖く、大切なものなのでしょうか?

 

(*1)今回は第18回目の統一地方選挙で、原則2015年3月~5月に任期満了を迎える首長と議員の選挙期間を揃えます。知事・道府県議選、政令市長・市議選は4月12日に、市区町村長・議員選挙は4月26日が投票日です。

 

吉川市立中央中学校卒業式

3月13日(金)午前8時55分より、中央中学校体育館において第34回卒業証書授与式が行われました。
6クラス236名の卒業生と在校生、教職員、保護者、来賓が見守る中、小澤賢一校長より一人一人に卒業証書が手渡されました。
式は、出席者全員が起立し国家並びに校歌を斉唱。卒業証書授与の後、校長式辞、教育委員会告示と続きました。
校長は式辞の中で、『変化の激しい難しい時代だが、希望を持って前向きに歩んでほしい』『より良い社会のために何が出来るかを考え行動していただきたい。誰かが何かをしてくれることを期待するのではなく、自分でできることを一歩づつやっていくことが大切』、卒業は『美しい別れ』であると結び、卒業生の門出を祝福、激励されました。

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来賓として中原新市長が出席。自らの言葉で短く祝辞を述べられた。在校生送辞を受け、卒業生答辞の中で、『手紙~拝啓十五の君へ~』が歌われ、式歌は『旅立ちの日に』でした。卒業生と在校生が一緒に式歌合唱の後、閉式の言葉、一同礼で全てを終え11時過ぎ式典は終わりました。
教育委員会が作ったと思われる、いつもの長い「市長祝辞」を教頭が代読する今までの味気ないものに比べれば、かなり良かった。しかし、最もよかったのはやはり「歌」でした。歌の力はスゴイ。卒業する生徒たちには3年間の出来事や思いがよみがえり涙。同席している先生方、両親・保護者、来賓の方々も皆、15歳の時に戻っていた。一瞬、時が止まり過去がよみがえる。そして、「あの時の自分はどこに行った」と自らの心に尋ねていたように感じられた。

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来賓の方々の挨拶は、それぞれ一生懸命考えてきたものだと思う。未来のある若者のために良かれと思い、自らの反省も込めて教訓めいた話をするが、なかなか届かない。「歌」の力にはかなわない。

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小さな子どもは、会った瞬間に相手が自分より強いかどうか、友達になれそうかどうかを判断する。自分を守ってくれる大人なのか、そうでないのかを見抜く力がある程度あるように思う。若者は知識や経験が少ない分、時代のにおいを嗅ぎ分け、世の中の現実と将来の姿を見とおす力が大きいと思う。
年寄りが優れているのは、人間に対する理解力であり、失敗も成功も同じようなものだと分かっていることではないだろうか。長く生きてきた分、どんな人にも喜びや悲しみ、怒りがありそしてそれらを繰り返してきたこと。どんな人にも悩みがあること。元気はつらつ、飛ぶ鳥を落とす勢いの絶頂期と失望のどん底と思える辛い時期があったこと。そして人生はその繰り返しだが、「人それぞれで、受け止め方が違う」ということを知っていることだろう。

多くの人は、目指す学校や勤めたい会社に入れなかった、やりたい仕事に就けなかった、好きな人と結婚できなかった等、目標や望みが叶わなかったことを幾度となく経験している。判断を誤り、とんでもないヘマをしてきたことも。しかしそのお陰で、自分でも気づかなかった活躍の場が開け、力を発揮したり、新たな友人や生涯の伴侶を得ることもある。その結果として、今の自分があり、今の幸せがあるとも言える。反対につぎつぎ目標や夢をかなえ、地位や名誉、富を得たことで不幸になる例も多々見てきている。成功と失敗は表裏一体であり、紙一重で変わるものだと思う。

過去を振り返った時、『あの時の失敗は成功であり、成功は失敗だった』とも言える。

どんな人にも失敗があり、傷つき、痛い思い出がある。あの時、「あの一言を言わなければ」「そういう判断をしなければ」「やらなければ」良かったということは沢山あると思う。しかし、今の自分があり、今の幸せに繋がる人生を大きく変える出来事は、むしろ「失敗」したことで得たと私は思っている。
『目標や夢をあきらめずに、努力してほしい』と語る大人たちの言葉に、『本当にそうかなぁ~』と考えるのは私一人だろうか。

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「中原恵人市長」初登庁!

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3月9日(月)午前8時20分、式の直前まで降っていた霧雨も上がり、吉川市役所正面玄関に職員やたくさんの支持者が小さな花束と拍手で出迎える中、中原恵人新市長が笑顔で登庁。玄関前で行われた入庁式では市職員より歓迎の花束を受け取った後、市長として初めての挨拶を行った。

中原市長は、『今は、何もかも行政がやってくれる役所任せの時代ではありません。職員も、市民とともに考え、働き、まちづくりを進めて行かなければなりません』、『人口7万人、32平方キロメートルの小さな吉川だからこそ、行政と市民が顔を合わせ、一体となったまちづくりが出来るのではないか』『シニア世代の知識や経験を、まちづくりに生かしてもらえる仕組みも作っていきたい』等、抱負を語り新たなまちづくりへの協力を求めました。集まった職員や支持者の拍手と歓声を受け、新市長は正面玄関から登庁をして入庁式は終了しました。

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「中原恵人」新市長様

まずは当選おめでとうございます。
いよいよ今日から4年間、「吉川市長」として仕事をされることとなります。課題や懸案は山のようにありますが市長として、『声は常に現場の声を聴き、目は将来を見据えた』判断が求められます。政策や事業を決めるにあたっては、「全体と部分」の最適を考え、優先順位を判断しなければなりません。そして、誰が・いつ・どのように・やるのかを決めなければなりません。市民が望み必要とされることを、最小の費用で最も有効かつ効果的に行なうことが前提です。

元我孫子市長(前消費者庁長官)の福嶋浩彦さんは著書「市民自治」の中で、『行政の本質は「権力」であり、その行政の権力は市民みんなを守るためにある』。首長の権力は市民から負託されたものであり、市民のために正しく使うのが首長の仕事。権力を行使するときは、『絶対に誰とも特別な関係にならない』『絶対に裏では物事を決めない』ことが必要だと言っています。議会や後援会との関係は勿論、職員、公共事業関係業者、そして市民団体、NPO等との関係も常にオープンでオフィシャルでなければならないとしています。

市長は立場上、職員はもとより市民や企業・団体等とコミュニケーションを図り、お互いの信頼と緊張関係の中で仕事を進めて行きます。そして、それらからの誘惑や圧力を常に受けます。『特別な関係』は癒着や利権につながります。市長は「権力」という「危険物」を取り扱う執行機関の長であり、それを使って仕事をします。誤った使い方は身を滅ぼすだけでなく、職員・市民の不幸につながることを肝に銘じ職責を果たされるようお願いをいたします。

同時に全てではありませんが、これまでの誤った権力行使によって作られてきた「吉川市役所」の体制・体質、議会、市民、企業、団体等との関係を、『リセット』するために「中原恵人」は吉川市長に当選したのだと私は思っています。

健康に留意されご活躍されますようお祈りいたします。

いながき茂行

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国際女性デー2015【院内集会】

3月6日(金)12:00より参議院議員会館101会議室で国際女性デー2015【院内集会】が開かれました。集会には衆参国会議員をはじめクォータ制を推進する会(主催者)のメンバーや賛同団体の関係者が出席しました。

主催者あいさつ赤松良子代表(元文部大臣、現日本ユニセフ協会会長)に続き、駐日米国ダーナ・ウェルトン公使が日本語で挨拶をされた。赤松代表は、『戦後70年を迎えた今、日本の社会のありようが問われています。多様性を認めることが将来の活路を見出すことにつながり、政治もまた例外ではありません。女性の政治参画を前へ!今がその時です。“Time  to   Move  Ahead”』と訴えました。集会は、第1部 議員連盟としての取り組み、第2部 基調講演、第3部 パネルディスカッション、第4部 アピールと続き、最後に申 キヨン(御茶ノ水女子大准教授)の挨拶で15時10分に閉会しました。

国際女性デーは、1904年3月8日ニューヨークで働く女性たちが、婦人参政権を要求してデモを起こした日を記念して設けられたもので、国連は1975年以来この日を「国際女性デー」としています。今年は日本で女性が参政権を得てから70年です。
クォータ制とは、『割り当て(QUOTA)』という意味で、『4分の1(QUARTER)』ではありません。日本では、男女共同参画社会基本法の積極的改善措置に位置付けられ、第3次男女共同参画社会基本計画ては、『202030』の目標達成の取り組みとして、クォータ制が明記されています。『202030』は、2020年までにあらゆる分野において指導的地位の女性比率を30%にするため、実効性のある積極的改善措置を推進していくものです。

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駐日米国ダーナ・ウェルトン公使(キャロライン・ケネディ大使代理)             『政治分野における女性の参画と活躍を推進する超党派の議員連盟』

世界経済フォーラムにおける「ジェンダーギャップ指数(2014年報告)」でも日本は142か国中104位で、特に「政治への参加」は129位、「職場への進出」102位で、先進7か国中最下位です。とりわけ政治分野の男女格差は世界最低ランキングで、日本の衆議院は8.1%、アジア平均19.0%、世界平均22.3%となっています。こうした中、女性議員を増やし政治を変えていくために『クォータ制』を推進して行こうというものです。

私もこうした趣旨に賛同し、これまで院内集会や勉強会に参加してきました。多くの企業では、世の中の半分を占める女性の視点が「ものづくり」や「販売」に反映され、利益につながることから真剣に取り組んでいます。日産自動車(カルロス・ゴーン社長)の取り組みは有名ですが、RF1(神戸発祥のサラダやコロッケを製造販売しているお店)の製造現場を訪ねると、企業の風土・文化として根付いており、本気度が違うと感じます。本当に女性を大切にしている企業や組織は強いと思います。

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基調講演 日本の課題(中北浩彌氏 一橋大教授)                                    パネルDC(嘉田由紀子氏・前滋賀県知事、山口二郎氏・法政大学教授)

地方議会でも、女性議員が増えることは議会や政治への信頼を取り戻すことにつながると思います。子育てや環境、食育、医療や介護等、生活に直結した問題について議論が深まります。市の政策や事業の優先順位をはじめ、税金の使い方は、よりムダのない民意を反映したものとなるはずです。政治と市役所が身近なものとなり、市民のための市役所としての機能、役割を果たしていくものと思います。そのために、議員定数(20名)の半分は女性にすべきだと考えます。

この実現には、クォータ制の導入だけでなく議会改革も必要だと思います。日曜議会や夜間議会等も検討すべきです。子連れの議員は当たり前の光景になってほしいと思います。市職員の採用基準・方法の見直しや女性管理職の拡大、そして職員の意識改革と人材の育成も同時にやらなければなりません。

議員、職員には自ら学ぶ姿勢が求められます。志と同時に自分の立つ位置がしっかりとしていなければならないと思います。数年前の選挙で当選した小沢ガールズ26名中、現在残っているのは1人です。落選した多くの方々は、どのような志を持ち、どんな勉強を積み重ね、どのようなスタンスで議員をされていたのでしょうか。

吉川市議会にも2名の女性議員がいます。18名の男性議員がおります。産廃の中間処理施設進出、指定医療機関抹消問題(乳幼児・小児の予防接種)、救命士暴行事件、マルサン問題等に対する議員としての姿勢・対応を見るにつけ、議会の「社会的代表性」を早急に回復する必要性をつくづく感じます。会派の決定にただ従うのではなく、自分で考え判断し、行動できる議員が性別に関係なく必要だと考えます。クォータ制の導入は進めるべきですが、女性であれば誰でもよいと考えている訳ではありません。

*クォータ制(Quota)  候補者や議席の一定比率を女性あるいは両性に割り当てる制度。法律型と政党型がある。

 

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国会議員と地方議員(いながきです)    申 キヨン(御茶ノ水女子大准教授)

16年間お疲れさまでした!

3月6日(金)午後5時25分より戸張市長の退任式が吉川市役所正面玄関で行われました。市職員より花束を受け取った戸張市長は、職員や市議会議員ほか医師会等関係者を前に退任の挨拶を行いました。

挨拶の中で、16年にわたり進めてきたまちづくりを振り返りかえり、『前深井市長の思いを引き継ぎ、市民とともに安心・安全のまちづくりを進めてきた』『吉川小学校の建て替えや将来を見据えた吉川美南駅の設置等を、職員や議会の協力により実現した』『16年は長い期間だが短く感じる。家族にも負担をかけた。これからは一市民として吉川を見守っていきたい』等と感慨深く語りました。

多くの出席者が拍手で見送る中、任期満了の勤めを終えて車の中から大きく手を振り市役所を後にしました。

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戸張 胤茂様

4期16年もの長い間、お疲れ様でした。
深井市長(町長)の突然の死により、戸張さんが市長になられてから16年間、行政のトップとして市政の運営、まちづくりのかじ取りをされてこられました。
吉川市の顔として、市民だけでなくいろいろな団体・組織の方々の期待や要望を受け、さぞや大変だったと思います。

小さな組織とはいえ、職員と臨時職員の長として行政運営を効率・効果的に行っていくことは体力、知力だけでなく前向きな気力がなければ出来ないことだと理解しています。

選挙が終わって2週間、気持ちも少し落ち着かれたことと思います。思い起こすことや考えることも色々あるとは思いますが、まずは久々にゆっくりとしたひと時をお過ごしください。そして、新たな人生に向かって再び歩みを進めてください。さらに、これからの吉川と若きリーダーを見守っていただきたいと思います。

ありがとうございました。                    いながき茂行