思わぬ所が痛みました

前日に降った雪が固まらないうちに除雪しようと、23日(火)朝からマンション内の車(歩)道と加藤平沼線の歩道の「雪かき」をしました。

午前と午後の2回、皆でやったお陰で車の通行と人が歩けるようになりました。

シャベルと雪かき用スコップを使い、ひたすら雪を両側に寄せるとともに、固まっている雪(氷)をスコップで割りました。

腕や腰は大丈夫でしたが一時、手の握力が落ち、瓶詰めフタが開けられなくなってしまいました。 一晩寝たら握力は戻りましたが、尻の筋肉が痛み出しました。多分、普段使わない筋肉を使った結果だと思います。

25日(木)の朝は、吉川駅北口で会派のチラシを配布しました。

通勤・通学の方が、氷状になった所で何人も転んでいました。ポストに頭をぶつけないかひやひやしました。転び方が悪いと大怪我になっても不思議ではありません。

同僚の議員が見かねて、近所の方からスコップを借り凍った雪(氷)を割りましたが、固く凍っておりうまく行きませんでした。

これはビラを配っている状況ではないなと思い、午後2時半過ぎに『議会運営委員会』が終わりましたので、会派の仲間と一緒に駅前へ行き、スコップと鉄パイプで氷を割り、通路を広げました。

「鉄パイプ」は「スコップ」の数倍の効果がありました。スコップでは割れにくい氷がかなり割れました。「鉄パイプ」にこんな使い方があるとは思いませんでした。私は主に、2本のシャベルを使い、何度もたたきながら5時頃までやっていました。その後、5時~7時まで再度ビラ配りを5人で行い、終了後に夕食を取り帰宅しました。

深夜2時頃、目が覚めると首の後ろ部分が痛み、眠ることが出来ません。翌日の深夜また、首の後ろの肩中央が猛烈に痛み目覚めてしまいました。どの筋肉なのかよく分かりませんが、身体の向きを変えても痛みがひどく、眠ることが出来ません。結局朝まで起きていました。

普段持ちなれない「スコップ」を使った氷割作業が、こんな形で身体に影響するとは思いませんでした。

ここ10年位は、「雪かき」を続けていますが初めての経験です。

*更新が遅れました。申しわけありません。

 

オウム裁判終結

今朝の新聞に、『オウム裁判終結へ』の記事が一面トップに出ていました。

「オウム真理教」が起こした坂本弁護士一家殺人事件や地下鉄サリン事件、VX殺人等の事件から30年、関連の裁判から23年が経過したことを伝えています。もうそんなに経ったのかという思いとともに、思い出したくない出来事です。

裁判では192人が起訴され、13人の死刑が確定し無罪は2人。 弁護士一家は、弁護士と妻そして1歳2か月の子どもが殺され、地下鉄サリン事件では、死者13人、6千人を超える負傷者が出ました。拉致監禁殺人、リンチ殺人、VX襲撃等、どれも皆が震え上がる、「おぞましい」事件でした。一つの区切りですが、関係者にとっては「終わりのない」ことで、何とも言いようがありません。

1995年3月20日朝に起きた「地下鉄サリン事件」。その様子を伝えるテレビの痛ましい映像は、こんな事が本当に起こるのだろうかと思う光景でした。何台もの救急車が行き交い、あちこちに被害者が横たわる中、実況する記者の「うわずった声」が今でも耳に残っています。

無差別テロの恐ろしさに身が縮みました。そして、事件を起こしたものだけでなく、事前に防げなかった警察への怒りの入り混じった感情を抱きました。

確か、事件の後、山梨県上九一色村にある教団施設へ警視庁・山梨(静岡?)県警が強制捜査に入り、サリン製造プラントを確認し、隠れていた教祖の麻原彰晃(松本智津夫)を逮捕しました。

私が初めて「オウム真理教」の人達を見たのは、1989年の後半か1990年の初めです。90年2月の衆議院議員選挙に教祖の松本や幹部24人が立候補しましたが、中央線中野駅前で信者たちが活動をしていました。通勤の時に見ていました。

毎日のように朝は、北口で選挙公約のチラシ(小冊子)や変な漫画本(麻原彰晃の偉大さを伝えようとする)を配り、夜は南口で、車の上で数人の男女が白い服に身を包み、「ゾウ」の帽子をかぶり歌いながら踊っていました。 歌は、『ショウコー、ショウコー』と繰り返すようなものだったと思います。異様な光景でした。選挙公約の小冊子は、政党名だけ変えれば今でも通用しそうな内容でした。選挙は全員落選しました。

 その後、上九一色村にある教団施設、『第7サティアンでサリンの製造は出来ない。製造は自殺行為』『警察とマスコミによる宗教弾圧』というようなチラシ等も配布していました。

「人類救済」を言いながら一方で殺人を「ボア」と正当化するオウム真理教。 医師や高学歴の物理や化学の専門家までが、『オウム国家』のためにサリンを生成し、平気で殺人と無差別テロを起こしました。

『人』をそこまで変えてしまう『宗教』が持つ恐ろしさの一面は、「オウム真理教」だけではないように思います。

 

センター試験

大学入試センター試験が今日から2日間行われます。

このところ、北陸や日本海側を中心に『大雪』が続いていましたが、新潟県三条市では、JR信越線の普通電車が線路の積雪で12日の朝までの15時間にわたり、立ち往生。乗客約430人が閉じ込められたそうです。

テレビのニュースでは、車で迎えに来た家族が、今日からのセンター試験を受ける子どもや孫を心配する様子が映し出されていました。

昨年も、この時期最も強い寒波が押し寄せ、雪の影響で各地で混乱し、吉川でもセンター試験の初日、昼頃から強い風が吹き粉雪が舞いました。

私は昭和41年に國學院大学に入りましたが、その頃、「センター試験」はまだなかったと思います。付属高校からの受験でしたので、自席での試験でした。

國學院大学久我山高校へ入った時は、1年13組でした。 戦後のベビーブーム世代ですので、1クラス60名で1学年800人近くいました。まわりは他大学を目指す生徒が多く、よく勉強していたと思います。

高校の「合格発表」の日は雪でした。長靴を履いて見に行きました。

掲示された番号を見つけ、入学手続きの書類の入った分厚い封筒を持ち帰りました。

自宅で開けてみると、「補欠合格」とありました。 そして入学金や諸々の他に、「学園拡充費」として『3万円』を納めるように、と書かれていました。

兄は大学、姉は女子高に在学中。そして私も。親父は公務員(東京都)、大変だったと思います。

昭和45年、サラリーマンになりました。以来、ボーナスを頂くと母に5万円、父には「3万円」を送りました。

私は、今年70歳。ボーナスを頂いても、送る「相手」はもういません。

「寂しい」ことです。

明けましておめでとうございます

 明けましておめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の12月議会では、吉川市議会の歴史に残る議決がありました。市長提出議案の条例の一部改正が、「否決」されたことです。吉川市議会が「議会」としての役割を果たしたと思います。

議員・議会の役割は言うまでもなく行政のチェック機関です。

市長・執行側が出してきた議案に対し、疑義を正すとともに、いろいろな角度からその必要性、有効性、効果を検討し判断をすることです。また、費用対効果についても考えなければなりません。直接的に予算を計上していなくても、人が動くことでもお金がかかります。部分と全体の「最適」を複数の目で見極め、議論を通して判断する場が議会です。

市が行う取り組み、事業の大前提は、『市民が望んでいる』ことであり、『市民の幸福に繋がる』ことです。

市が、『市民の幸福に繋がる』と考える事であっても、市民と議会の理解、納得、協力なしに、勝手に行うことは出来ません。

市長(執行)は、市民と議会の声に真摯に耳を傾けるとともに、情報の公開と丁寧な説明が求められます。そうでなければ、言葉だけの『市民が主役』の市政となってしまいます。

「市役所」は、市民のためにあり、市民に役立つ所だから「市役所」と言います。

今年も『市民の目線』を基本に、議員・議会としての役割を、「ぶれる」ことなく果たして参ります。