牧野記念庭園

6月22日(木)、牧野記念庭園へ行ってきました。
NHK朝の連続ドラマ「らんまん」のモデル、植物学者牧野富太郎博士の記念庭園です。

西武池袋線大泉学園駅南口から徒歩5分ほどの所で、博士が大正15年から亡くなるまでの30年余を過ごした住居と庭の跡地で、面積は2576.22㎡(780.7坪)あります。

現在は練馬区が管理する記念庭園で、開園は昭和33年12月1日。入園料は無料、開園時間は午前9時~午後5時、休園日は毎週火曜日です。

大庭園ではありませんが、博士が採取してきたり全国から取り寄せた植物を植え、「我が植物園」として晩年を過ごした地です。
園内には数種類の桜や松の木をはじめ、博士が仙台で発見したスエコザサ(妻・壽衛への感謝と愛情をこめて命名)やヘラノキなど、博士にゆかりの深い300種以上の植物が生育しています。
また、書斎と書庫の一部が保存されている書屋展示室や博士の遺品や関連資料を展示する記念館などがあります。

展示室では、ドラマでも紹介されている東京へ出て初めて購入した顕微鏡や自費創刊した「植物研究雑誌」などが展示されていました。
園内にある木・草花には、それぞれ名前の札が付けられています。午前中は時々雨が降りましたが、入園者も少なく、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

同じマンションで暮らす仲間20人と一緒に行きました。下見に行った「ウオーキングの会」世話役の話では、日曜日は人がいっぱいだったといいます。
20人も集まるのはすごいことです。初参加の方も数人おりました。やはり、テレビの力は大きいと思います。

大泉学園には小学生の頃、時々行きました。
友達数人と荻窪から自転車で30分くらいだったと思います。
目的は、「東映大泉撮影所」で遊ぶためです。

当時、時代劇で使う街並み(長屋かも?)があり、そこでチャンバラごっこなどしていました。
表から見ると本物ぽい街並みですが、裏からみると粗末なバラックのようでした。

杉並・世田谷・練馬区は、駅から少し離れると武蔵野の面影を残すのどかな土地でした。所々に雑木林や田んぼ、畑もありました。
帰り道、大泉学園駅周辺にそびえる高層マンションを見て、改めて時の流れを感じました。
一面に広がる「練馬大根」の畑はどこに消えてしまったのかと。




6月定例会「一般質問」

16日(金)、6月定例会(議会)が閉会しました。
「一般質問」のテーマは、「これまでのコロナウイルス感染症への対応及びポストコロナへ向けて」です。
通告書には、(1)コロナ感染症対策(2)経済対策(3)市内介護事業所運営の現状(4)学校・保育所・公共施設等(5)パンデミック「第9波」への対策、に分けて質問の要旨を書いて提出しました。
担当部署の責任者へは、「今回の質問を通して誰に何を伝えたいのか」を事前に話をし、また質問に対してはポイントを簡潔にまとめ答弁して頂くようお願いしました。

一般質問に限らず通告した内容について、部・課長が質問の趣旨等を議員に聞きに来て意見交換することが以前はありました。最近はほとんどありません。やり過ぎると議会が「学芸会」のようになりますが、こちらの趣旨を理解せずに答弁をされると質問と答弁がかみ合わず、再質問に繋がらないことになります。

コロナ対策の数年間。議員は半数づつ議場と傍聴席に分かれ、部長も必要最小限の出席での定例会でした。「一般質問」も、最初から終わるまで「質問席」で行ってきましたが3年ぶりに演壇での質問内容読み上げとなり、三役・部長も全員ひな壇に並びました。

15日の一般質問では、はじめに
【3年余に及ぶ「新型コロナウイルス感染症」の世界的流行により私たちの生活や経済活動が多くの制約を受け、不自由な暮らしを送ることになりました。この様なことは、戦後初めてで多くの方々にとって初めての体験だと思います。5月8日、コロナが「2類相当」から「5類」へ移行しました。これを機に、これまでの感染症対策、経済対策そして日常生活について振り返り、この3年余の間に何が行われ、何が変わったのか。また、実施してきた政策や事業の必要性・有効性について、改めて確認することが大切だと考えたからです。コロナは未だ終息しておりませんが、中間的な「まとめ」を行い新たな事態に備えるためにやるべき課題だと考えました。】と、質問の背景・意図について思いを述べ質問に入りました。

人間は「忘れやすい動物」です。本当に「大変」なことや「つらい」ことも、時間とともに記憶から薄れてゆきます。全てを覚えていたら、前に進んで生きることは出来ないと思います。最低・最悪のことは思い出したくないだけでなく、忘れる力が働くのかも知れません。
忘れる前にこの体験をまとめ、次に生かせるようにするための6月定例会「一般質問」でした。

大雨被害

今月2日(金)~3日(土)、台風2号に伴う記録的な大雨は埼玉県にも被害を及ぼしました。

東南部の越谷市、草加市、松伏町では住宅浸水や畑が冠水し大きな被害となり、災害救助法の適用が決まりました。特に、越谷市では市の4分の1が浸水し住宅や商店の復旧めどが立っていないようです。松伏町では田畑500ヘクタールが浸水。中川沿いのトウモロコシ畑の15,000本が冠水しダメになったと伝えられています。

6月6日(火)、本会議開会に先立ち市民生活部長より吉川市内の被害状況等の報告がありました。概況は、
【人的被害】 ナシ 【家屋被害】床上浸水 6戸 保(吉川駅北)、床下浸水 合計66戸 須加・榎戸 5戸、栄町3区 13戸 保(吉川駅北)48戸
【農業被害】 ナシ 
 *現在継続調査中。須加・榎戸地区のネギ畑が冠水したとの情報も。
【避難情報の発令・避難者の状況】
 ●高齢者避難6月2日/20:15分 避難指示6月3日/01:20分
 解除 6月3日/11:30分
【河川水位の状況】
 ●中川 氾濫危険水位:基準水位4.1m 到達時間3日/01:00 最高水位:4.31m 3日 05:50
 ●新方川(増林)氾濫危険水位 基準水位:4.02m 到達時間2日/22:10 最高水位:4.54m 3日/02:50
*氾濫危険水位を下回ったと確認できた時刻は、中川が3日/11:00、新方川は3日/15/50
【雨量】
 ●総雨量305ミリメートル ●最大時間雨量53mm/h(6/3 0時~01時)●降りはじめ6月2日/01:30 降り終わり6月3日/09:40分でした。

吉川ではそれ程の被害は見られませんでしたが、隣の越谷・草加市、松伏町は大きな被害を受けました。線状降水帯の場所や時間によっては、吉川でも同様の被害があったかもしれません。

東日本大震災の1年後、東北へ行きました。岩手県の釜石だったと思いますが、ホテル・旅館はどこもいっぱいでやっとも見つけた宿は食事も風呂も無い所でした。銭湯の帰りに入ったお店で夕食をとりました。「海の近く家はみんな津波で無くなり、家族を失った人もたくさんいます。」「川ひとつ挟んでこちらの地区はほとんど被害を受けませんでした。同じ町で暮らし、毎日が辛かった。」と話をされたお店の方を思いだしました。


避難指示

6月2日(金)午後11時、須加自治会、榎戸自治会232世帯552人に対し避難指示が出され、3日(土)午前1時20分には、中川沿いの川野・川富・関・上河岸・下河岸・下町・本吉川5区・木売・高富・高久1区・高久2区・中曽根・道庭の13自治会6,839世帯14,646人に対し避難指示が発令されました。

大型の台風2号や梅雨前線の影響で一昨日夜から昨日の朝まで降り続いた雨で、中川と新方川が「危険水位」に到達したため避難指示(レベル4:危険な場所から全員避難)が出されたものです。

警戒レベル4相当は避難指示発令の目安です。中川の吉川水位観測所で「氾濫危険水位」に到達し、中川では堤防決壊のおそれがあることからの対応です。堤防が決壊すれば、草加市・越谷市・八潮市・三郷市・吉川市・松伏町・足立区・葛飾区では浸水のおそれがあります。

避難先は当初、関小学校・吉川小学校・中曽根小学校・児童館の4カ所でした。その後、中曾根小学校の避難所が混雑していることから吉川中学校が加わりました。
避難状況はおよそ、関46人・吉川32人・中曽根134人、児童館7人・吉川中11人・増林地区センター25人でした。*増林地区センターは越谷市ですが、須加・榎戸地区住民の安全を優先した措置。

中川が「氾濫危険水位」に到達したのは前回(5年前?)に続き2回目です。線状降水帯の発生で東海・関東甲信越で大雨となりましたが、幸いにも今回も再び「氾濫」一歩手前で大災害は免れました。

線状降水帯がもう少し長く停滞したり、ゲリラ豪雨が上流域で発生していたらと考えると、内水対策はやはり「溜める」と「流す」の両面で進めるべきだと思います。

いつものように11階のベランダから武蔵野線手前に広がる「水田」がキラキラと輝く姿を見て、改めてそう実感します。