韓国ソウルの繁華街で昨夜、若者の転倒事故で149人が亡くなり150人が負傷しました。ハロウィンに繰り出した若者が、密集した坂道で折り重なるように倒れたという。
人が密集する状態というのは怖いものです。
学生の頃、過激派がゲバ棒を持って暴れた「新宿騒乱」が起きた新宿西口にいたことがあります。デモに参加する人がどんどん増えていく時、街の異様な空気感・緊張感に恐怖を覚えました。
ハロウィンというと、日本では渋谷のスクランブル交差点(駅前交差点)が思い浮かびます。仮想した若者たちの姿が、ニュースや天気予報の時にLIVE中継されます。
普段でも、「世界一混みあう交差点」として一日に26万人、一回の青信号で3,000人が渡るそうです。今年の大晦日、「カウントダウン」にはどのくらい集まるのでしょうか。
スクランブル交差点で身動きが出来なくなり、押しつぶされて圧死することはないと思います。しかし、渋谷は坂の街ですので、特に裏通りの坂道に人が密集すると事故に繋がるかも知れません。
JR 山手線渋谷駅は、渋谷川の上にあったと思います。谷の底です。道玄坂、宮益坂、国道246等どこへ行くにも坂を登ることになります。
私の学生時代には、スクランブル交差点はありませんでした。
西武百貨店がオープンし、パルコや劇場、オシャレなレストラン等が増えるにつれ若者が増えて行ったように思います。
それでもまだ、新宿や池袋に比べ渋谷は静かで落ち着いた街、大人の街という印象でした。
たまに騒ぐのは、忠犬ハチ公の銅像のあった池(小さなプール)に酔っぱらった仲間を落とす学生ぐらいでした。
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「覆面介入」
ニューヨーク外国為替市場で円が一時151円90銭まで下落したことを受け、21日深夜から22日未明にかけて日本銀行による円買い・ドル売りが実施されました。為替介入の事実を明かさない「覆面介入」だったそうです。
日銀の黒田総裁はこれまで、「円安」は日本経済に「総じてプラス」との立場でしたが、10月19日の国会では、「最近の円安の進行は、急速かつ一方的で日本経済にマイナスで望ましくない」と述べています。しかし、アメリカとの金利差を縮めるため金利を上げるとは言っていません。
「円安」の要因の一つが日米の金利差ですが、もう一つは日本経済の成長力に対する疑問にあるようです。
ウクライナとロシアの戦争でエネルギーや食糧問題が表面化する中、資源が乏しく食料自給率も低い日本の成長は今後難しいのではと、世界のマーケットが見ていることです。
この二つの要因を取り除けば、円高へ向かうことになるのでしょうが、実際にやるとなると相当難しいことだと思います。
金利差については、日米の向いている方向が正反対です。
アメリカでは国内の記録的なインフレ(物価上昇)をおさえるため、FRBが繰り返し利上げを行っており、大統領も「ドル高」を容認しています。
激しい物価上昇が続く中で生活を維持するため、より高い賃金を求め毎月数百万人が離職・移動していることから、人手不足と賃金上昇が止まらず、「物価と賃金の悪循環」に陥っている状況から抜け出せないことです。
日本の成長については、バブル崩壊後「失われた30年」と言われる低成長から抜け出せず、相対的に国力が弱くなりました。「アベノミクス」の失敗は、それを加速したと思います。
ウクライナ危機で日本の基礎的条件の脆弱さが再認識された結果、日本経済の成長力に対する疑問に繋がっているのではないでしようか。
エネルギー・食料そして新たな技術や産業への転換は簡単にできることではありません。一つ一つ積み上げて行くしかありません。
政府がまずやるべきことは、「円買い・ドル売り」をアメリカを始めG7の国々に協調介入をするよう依頼することです。為替介入は世界全体でやらなければ効果はありません。また、アメリカに「物価と賃金の悪循環」を断ち切る政策を進めるよう求めることだと考えます。
*日本への理解と協力を得ることは簡単ではありませんが、政府の仕事です。口先介入や時々の円買い・ドル売りは一時的で、全体の流れを変えることは出来ません。かといって、手持ちの外貨準備を全て使っても同じです。そのことは、ヨーロッパ諸国で実証済みです。
*為替介入の成功例は今回とは逆ですが、東日本大震災発生直後にG7中央銀行が協力してドル買い・円売りの協調介入をしました。目的は急激な円高による日本経済・金融への影響を最小限にするためです。
急激な円高になった理由は、投機筋が日本の生保・損保、企業等が保有する海外資産を売却して円に替え、保険金の支払いや震災の損失を埋めるのではないかと予測して円買いを仕掛けた。また日本政府が復興のためドルを売ることも想定したと言われています。
所沢市
10月13日(木)埼玉県所沢市へ行政視察に行ってきました。
地方政治改革ネットの議員仲間と一緒です。
吉川市からは私と岩田議員が参加。越谷・久喜・白岡市や宮代町等からも。
所沢市は、まちづくりの柱に「環境 エネルギーの自立、マチごとエコタウン所沢」を掲げ、ゼロカーボンシティ宣言を行っています。
市内には、一般廃棄物最終処分場を利用した「メガソーラ北野」や松ヶ丘調整地に「フロートソーラ」があります。再生可能エネルギーの積極的導入を行う施設として、太陽光パネルを設置して発電を行っています。
また、西武鉄道と連携し遊休農地にブドウやブルーベリーを栽培し、その上に太陽光パネルを設置した発電も行っています。
午後、森林公園駅前にある所沢市役所議会事務局を訪ねました。
議会会議室で、環境クリーン部マチごとエコタウン推進課の課長より「環境 エネルギーの自立、マチごとエコタウン所沢」の政策、具体的取り組みについてレクチャーを受けました。
質疑応答では、脱炭素社会の実現と人を中心としたまちづくり、実現に向けた行政と企業・事業者、市民との関わり、太陽光発電の利用状況・施設運営・補助金、市街化地区で緑の保全・拡大等について話し合いました。
その後、「メガソーラ北野」と農地を活用したソーラ施設(西武G)を現地見学。「メガソーラ北野」は、廃棄物最終処分場33,000㎡のうち17,300㎡を使い、1.05メガワットの発電を平成26年3月1日から開始しています。一般家庭260世帯で使用する電気に相当し、温暖化防止効果は、杉の木換算で35,700本が1年間に吸収するCO2量だそうです。農地を活用したソーラ施設では、日本の「農業」が生き残るための一つの形ではないかと思うとともに、埼玉県との難しい「農地転用」折衝を重ねた職員の熱意に打たれました。
当日、昼過ぎまではくもり時々小雨でした。施設へ向かう頃に雨が強くなり、現地では濡れながら職員の熱心な説明を受け、質問を重ね、3時間にわたる視察研修を終えました。良い研修でした。
これまでいくつもの先進地の行政視察を行ってきました。いつも感じることは、他市に先駆けて大きな成果を上げている自治体は、トップと職員の熱意、本気度が違うということです。
「十三夜」
10月8日(土)は、今年の「十三夜」でした。
中秋の名月(十五夜)と並ぶ名月です。
満月が少し欠けた「十三夜」は、南の空の高い位置に広がる綿雲から透けて見え、静かに星とともに輝いていました。
月見団子は供えませんでしたが、妻が道端で摘んできた猫じゃらしを生け「すだち」を団子代わりに積んでいました。
今年は9月10日の十五夜と昨日の「十三夜」、二夜(ふたよ)の月を楽しみました。同じ場所で見ると二夜(ふたよ)の月は縁起が良いといわれています。
この1週間、肌寒く感じるくらい気温が下がり空気も澄んできました。お月見にはヒンヤリとした良い季節です。
先日、羽化したばかりの「キアゲハ」がミカンの木の葉の間に止まっていました。しばらく、アゲハの羽化を見ませんでしたので嬉しく思いました。
数日前、ミカンの木から落ちた幼虫を木に戻したので、それがかえったのかもしれません。
木に戻した幼虫がお礼に姿を見せたのか、二夜(ふたよ)の月のご褒美なのか分かりませんが有難いことです。
キンモクセイ
国会議事堂衆議院側の通りを歩いていると柵の内側から「キンモクセイ」の香りが漂ってきました。少し離れたところでかぐととても良い香りで、秋の訪れを感じさせられます。
安倍元首相の国葬が行われた翌日9月28日昼前、道路には警察車両が止られ警察官が警備についていました。衆議院・参議院の議員会館への行き帰りに時々通る道ですが、普段より車両、警察官ともに多い日でした。
官庁街は丁度昼休みで、大勢の職員が歩道に出てきて歩けない程でした。
日比谷公園に着いて、日比谷図書館に入りました。現在は千代田区立の図書館になっています。利用するのは久しぶりです。
「日本百名山」を写真と地図で紹介した本を見た後、美術書の置かれたコーナーで東山魁夷と川崎家のことを書いた本を見つけました。
最初に勤めた百貨店の社長は当時、*川崎千春氏。包装紙は日本画家東山魁夷に書いていただいたものです。
東山魁夷や川崎小虎、川崎鈴彦・春彦そして麻児等は川崎社長の親戚。そんなこともあってか、日本画の美術展でも協力を頂きました。
毎年、新橋や柳橋等の粋筋に配る大きな「うちわ」には川崎春彦氏の絵が使われたこともありました。
「うちわ」に描かれた春彦氏の絵はいつ見ても良い絵だと思います。40数年前に作られた「うちわ」を今も持っています。
懐かしい名前に昔のことがよみがえり、しばし時が止まりました。
昨日(10月1日)、会派のミーティングのため市役所へ向かう途中、きよみ野から栄小学校へ通う通学路でも、「キンモクセイ」がオレンジ色の花をつけあの独特の香りを放っていました。
9月定例会も終わりホッとし、いよいよ秋だと感じます。
*川崎千春 :当時、京成電鉄社長でグループ120数社の代表。成田国際空港にスカイライナーを走らせ、千葉県浦安に東京ディズニーランドを開園しました。東京ディズニーランドの誘致は、三井不動産元社長江戸英雄氏との二人の夢だったと聞いています。