面従腹背から眼横鼻直へ

面従腹背(めんじゅうふくはい)、「表面は服従するように見せかけて、内心では反抗すること」。眼横鼻直(がんのうびちょく・げんのうびちょく)は、曹洞宗を伝えた道元禅師の言葉で、「眼は二つ横に並んでいる。鼻は縦についている」。当たり前のことを言っており、「ありのままでいい」ということだそうです。

官僚時代は「面従腹背」。官僚を辞めてすでに1年以上。組織のなかで「職務命令」を発する上司はいない。これからの第2の人生は、「眼横鼻直」を“座右の銘”としていきたい。 毎日新聞出版 2018年6月30日発行の「面従腹背」前川喜平著にはそう書かれています。

6月24日(日)、世田谷区役所隣の世田谷区民会館大ホール定員1,200席は埋まり、玄関ロビーに設置されたモニターで講演を聞かれる方もいました。4人で行きました。以前から一度お話しを聞きたいと思っていました。お誘いを頂き、有難く混ぜて頂きました。

3時間の講演。第1部は前川喜平さんの講演、休憩をはさみ第2部前川さんトークセッション。「もっと聞きたい」と、大学生、子育て中のお母さん、現役教師等とのセッション。最後の所では、世田谷区長も参加。保坂展人区長は講演の初めから席にいましたが、聴衆の一人として前川さんの話を聞いておりました。最初からシャシャリ出てこない所がいいと思います。

次官を辞めて1年以上たった「時の人」は、文科省時代の仕事、退職に至る経過、そして現在行っている夜間中学校でのボランティア講師に入った動機や、根底にある教育に対する思い等を率直に述べておられました。

講演会の中で、『組織の論理に従っていたとしても、個人としての思想や良心がなければおかしい。組織の論理と自分の感情がぶつかることも。だから役人時代は「面従腹背」でやってきた。』これからは『ありのままに生きていく』『ありのままに過ごしていきたい』と言っていました。また、森友・加計問題で話題となった*「ご飯論争」を例に、役人時代は、『ウソは言わないが、本当のことも言わない。言わずにいることは辛い』という事も。

淡々としてユーモアたっぷり話される。繰り返される笑の渦の合間に、「真面目な話」を、「思い」を語っていました。歌も数曲聞かせて頂きました。前事務次官とは思えないエンターテイナーぶりでした。正面の前の方には、関西から来ている前川さんの「追っかけ」の方々もいらして、前川さんが「10回位いらしてますか?」と聞くと「18回目です!」と叫んでいました。前川さんは、『私は政治家になるつもりはないので、支持者は必要ありません。タレントでもないので、ファンもいりません』と。

国会に証人として招致された時に比べ、全体にほっこりしたように見えました。『本当のことが言える』『ありのままに生きていく』ことが出来る環境の中で、新たな人々との出会いを楽しんでいるように思いました。そして、政治家や経営者としての資質を感じました。魅力の源は、やはり「ウソ」がない所ではないでしょうか。

会場で2冊の本を購入しました。「面従腹背」と「これからの日本、これからの教育」です。まだ読みかけですが、私は、これまで「面従腹背」の意味を分かっていなかった。と思います。

著書の中で【自分が進むべきだと思う方向と組織の進む方向と異なる時、そして自分の力では組織の方向を変えられない時、取るべき道は二つ。組織の残るか離脱。残る以上は面従せざるを得ない。しかし、自分の裁量の及ぶ限りで自分の考える全体の利益に近づくよう努め、機会が来れば組織の方向そのものを転換しようという思いを抱いているという意味で腹背する。「面従腹背」を繰り返しながら、文部科学省という組織の中で行政の進むべき方向を探し続けてきた(概略)。】とあります。

*「ご飯論争」:「朝ごはん食べた?」と聞かれ、「食べていない」と答える。本当に食べていないのと聞かれると、「パンを食べたので、ごはんは食べていないと答えた」と、ごまかす論法。モリ・かけ問題の政府答弁だけでなく、身近な所で見られます。残念なことです。

 

 

池上彰さんの「夜間授業」

昨日、池上彰さんの〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」」第2回「江副浩正」に行ってきました。麹町にある文藝春秋西館地下ホールが教室です。

授業開始は午後7時からでしたが、受付の6時前から参加者が集まってきました。6時半には、7~80人の受講生で満席でした。 サラリーマンやOL、学生、高齢者、車イス利用者等幅広い層の人が来ておりました。

帰りに玄関を出ると、正面に「救急車」のような車が止まっており、車イスでの参加者がリフトから車に乗る所でした。私と一緒に受付に並んでいたご婦人は、『直接、池上さんのお話しを聞きたい』と杉並から来られた方で、80歳を超えていました。池上さんの人気度と支持者の厚み・意欲を感じました。

今回のテーマは、「江副浩正」です。 「リクルート事件」で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた人です。

事件は政治家、財界人、役所(文部省・川崎市役所)に広がる大事件となりました。江副さんは、衆議院リクルート委員会での証人喚問席にも立つことになりました。現在の「モリ・カケ問題」を超える大騒動だったように記憶しています。

配布された「江副浩正」年表から見ますと、1955年(昭和30)に甲南高校を卒業し、東京大学文科三類へ入学しています。

「東大学生新聞会」で広告営業のアルバイトをはじめ、「東大新聞」に初めて求人広告が載ったそうです。

1960年(昭和35)卒業、㈱大学広告を設立。1962年(昭32)、世界初の就職情報誌「企業への招待(後にリクルートブック)」を創刊。「TI型性格類型検査」や総合適正検査「SPI」の販売開始。その後、転職情報誌「就職情報」、女性転職情報誌「とらばーゆ」を創刊。

また、1974年(昭49)には 長谷川工務店(現、長谷工)と提携し、マンション販売をはじめに不動産業に乗り出し、月間「住宅情報」、6か月後には週刊「住宅情報」を創刊。 1981年(昭56)12月「安比高原スキー場」をオープン。

1982年(昭57)、アルバイト情報誌「フロム・エー」創刊。19 84年(昭59)、社名を「リクルート」に変更。海外旅行情報誌「エイビー・ロード」、中古車情報誌「カーセンサー」創刊。

経団連、経済同友会に入会。12月、不動産取得の資金調達のため株式上場を計画していた「リクルートコスモス」の未公開株を、川崎市助役や森喜朗ら3人の国会議員を含む73名の個人と37法人へ譲渡。

1985年(昭60)中曽根内閣の土地臨調委員、教育課程審議会委員、政府税調特別委員に就任。NTT高速デジタル回線リセール事業、コンピュータレンタル事業等、ニューメディア事業立ち上げ。1987年(昭62)「シーズスタッフ」設立。人材派遣業開始。

1988年(昭63)6月16日、リクルート事件第1報。「川崎市助役への未公開株譲渡」を朝日新聞がスクープ。10月20日、コスモスの社長室長が贈賄容疑で逮捕。江副氏は11月21日衆議院で証人喚問。

1989年(平成元年)2月13日贈賄容疑で逮捕。小菅拘置所に収監。6月2日、竹下内閣退陣。

6月6日保釈、保釈金2億円。12月15日、リクルート裁判第1回公判。 2003年(平15)3月4日東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。3月17日、一審判決が確定。

2008年(平20)3月18日執行猶予明ける。 2013年(平25)1月31日、東京駅新幹線ホームで倒れ、2月8日肺炎のため都内の病院で逝去。享年76歳。

2014年(平26)10月10日、東証1部上場。時価総額1兆9,000億円。とありました。(*概略)

池上さんは、NHK社会部時代の「リクルート」との関わりや、日本が「高度経済成長」の時代を迎え発展する中で「リクルート」が「情報ビジネス産業」の旗手として成長し、日本株式会社の『人事部』を目指し取り組み活動してきた経過と役割について話をされた。また、そうした中で起きた「リクルート事件」を独自の見方で解き明かしていきました。

人々が求める就職・転職・住宅・海外旅行・農業等の関心を「情報誌」として提供。職場では若者と女性を仕事の中心におき、因習、差別を排し、既成秩序を壊していった「風雲児」としての側面と、事業のさらなる拡大を目指す経営者として、政財界との関係や「未公開株の譲渡」を行った人間「江副浩正」に迫って行くものでした。

お話しを聞く中で、新聞を中心にしたマスコミと新たな情報ビジネス産業(リクルート)との戦いであったように、私には感じられました。正義感に燃える記者がスクープを取ることと、新聞発行経営者が考えていた「思惑」は全く違うものであったと思います。

あの時代「東大」を出た方は、官僚や学者になったり、銀行や基幹産業に勤めるのが一般的でした。自ら起業し、成功した東大出は珍しく、いなかったと思います。その後、ライブドアの堀江貴文(ホリエモン)や村上ファンドの村上世彰(よしあき)が続きましたが、二人とも同じような道を歩むことになりました。なぜでしょうか?

歴史に「もしも」はありませんが、「江副浩正」が逮捕されていなければ、世界を代表する情報ビジネス産業「リクルート」として世界ブランドになっていたと思います。世界で最も「働きやすい会社」としての地位を確立していたのではないでしょうか。

*次回の池上彰〈夜間授業〉は、第3回「小泉純一郎」7月20日(金)です。

〔6月24日追記〕池上さんは、前置きもなく本題に入り1時間半話された後、質疑応答の時間を取りました。質問に込められたその方の思いを読み取り、いろいろな視点で応答をされていました。その様子からは、分かり易く伝えることとともに、質問者から「学ぶ」という姿勢を感じました。

サラリーマン時代、異業種勉強会(毎月定例)に行っていました。数十年続けていましたので、いろいろなジャンルの方を講師に迎えました(こちらから伺うことも)。テレビ・新聞等マスコミ関係者、大学教授、医師、エコノミスト、企業の経営者、国連職員、家元(お茶・お花・香道)、武道家、芸術家、職人さん(盆栽・提灯等)、宮大工、仏像修復者、美術館学芸員等々です。

「講師料」はなく、交通費程度でお願いをしていました。著名な方で、一講演数十万円、百万円という人もおりました。対応ははっきりしていました。『私は、○○○円以下では出来ません』という方と『私の話を聞いて、「それは違うのでは」と意見を言い、議論が出来るのであれば行きます』という方です。池上さんは、後者のタイプだと思いました。売れっ子タレントのような中で、普通の生活者の「話」や「思い」を聞きたいという態度からそう思いました。

「ことば」と「文字」

雨上がりの朝、アジサイの花が美しく輝きます。

色も種類も多く見られますが、最近は額アジサイをよく見かけます。 ブルー系・ピンク系・白等、いろいろです。周りに少し大きな花があり、中央部にまた違った小さな花つけています。

散歩の途中で目にしますが、立ち止まって見とれてしまいます。 この間まで、「藤」や「鉄線(クレマチス)」が庭先や塀のところで咲いていました。

週末は大体1週間の新聞を読み返しています。忙しい時は、2週間分が溜まってしまいます。今は2紙(読売・朝日)だけです。

以前、紹介した「漂流郵便局」が6月8日(金)の第10話で終わりました。読み終えて、「文字」の力は「ことば」と同じだと感じました。*「漂流郵便局」(6/2日のブログ参照)

昔から、「ことば」は言霊(ことだま)と言われています。一つ一つの「ことば」に宿っている力があるといいます。

人は、「ことば」で傷つき「ことば」で救われ、癒されます。積極的・肯定的な思いで奮い立ち、立ち向かっていくこともあれば、消極的・否定的な思考で、生きる力を失うこともあります。

「文字」にも同じ力があると思います。 「文字」を使って手紙を書くことは、書くことで、気持ちを整理し、思いを伝えます(伝えられることも)。自分自身と伝えたい人、そして人間以外の所へです。「文字」もまた、鋭い刃物にも暖かい衣にもなります。

しかし、「ことば」と「文字」の役割は微妙に違うようにも思いますが、使い方次第で同じものになるのではと思います。その関係性はどんなものでしょうか。

いづれにしても、「ことば」と「文字」をうみ出した人間の知恵は、偉大であり有難いことだと思います。

昨日、6月議会が終わりました。 議員生活11年目です。「ことばと文字」が持つ力の大きさ、意味、そしてその大切さを自覚していきたいと思います。 最終日、またもや真逆の光景が見られたのは残念な事でした。

溢れるニュースの中で

日々、新たなニュースが伝えられその都度、「驚き」「喜び」「悲しみ」そして、嘆き、怒り、期待をしています。この半月余りを振り返っても、いろいろな出来事がありました。

5月19日(土)、英国のヘンリー王子と米国出身女優メーガン・マークルさんとの結婚式が、ロンドン郊外のウインザー城でありました。

5月23日(水)、日大アメフト部の宮川選手(20歳)の会見が行われました。冒頭、「危険タックル」をしたことについて謝罪。『監督らの指示だと受け止めた。』、練習を外され危機感があったが、『たとえ「指示」されたとしても私自身がやらないと判断できなかったことが原因。』と証言しました。 記者達の質問に対し、言葉を選び、真摯に答える態度はとても二十歳とは思えない姿で、これまで何もして来なかった日本大学や監督らとは対照的でした。

5月25日(金)、米国トランプ大統領が突然、シンガポールで予定していた「米朝首脳会の中止」を伝えました。いよいよ、会談の中身が煮詰まってきたと思うとともに、最後まで自国の利益を求める厳しい政治の駆け引きを見せつけられました。

5月30日(水)、春日野部屋で56年ぶりに大関が誕生。昇進伝達式で、栃ノ心は『親方の教えを守り、稽古に精進します』と、一昔前の日本人のようでした。*栃ノ心30歳、本名レバニ・ゴルガゼ、ジョージア出身

この日、国会では森友・加計学園問題について党首討論が行われましたが、安倍総理は従来の答弁を繰り返し、外交政策で熱弁をふるっていました。これまでの委員会審議と同様、ほとんど何も進まないものでした。

5月31日(木)には、大阪地検特捜部が佐川氏(元財務省理財局長)の不起訴を決定。「やっぱり」という感じです。

6月6日(水)、東京目黒で5歳児を虐待し衰弱死させた両親が逮捕されました。長期にわたる虐待のストレスで、女児の臓器は委縮していたといいます。何とも痛ましく、悲しみと怒りを覚えます。33歳の父親と25歳の母は、なぜ我が子にそのような仕打ちをしたのでしょうか。日本中で起こっている育児放棄や虐待は両親や保護者の責任ですが、それだけの問題とも思えません。

昨日、「万引き家族」という映画を見ました。カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した作品です。映画の中でネグレクト(育児放棄)や妻への暴力、家族と疑似家族、万引きと性風俗とモラル、教育(学歴)と豊かさ(仕事)との関係等、今の日本社会の一面を見せています。家族と親・行政・地域そして他人との関係が描かれています。問題提起をしている様に思います。

大相撲、アメフト会見、国会審議、そして「ロイヤルウエディング」をテレビのライブ中継で見ました。挙式を見終え、「英王室」の変化と世界が「多様性への新たな時代」に向かって行く予感を強く感じました。

伝統ある英王室の王子が、米国籍でアフリカ系の母を持つ離婚歴のある女優と結婚する。政治家を招かず、黒人らの混声合唱で「スタンド・バイ・ミー」が歌われる。異例づくめの挙式でした。

人類の2大革命は紀元前8000年頃、メソポタミアで始まった「農業革命」と18世紀後半に始まった英国の「産業革命」です。

蒸気機関の開発により、マニファクチャー(工場制手工業)に代わり機械設備を持った大規模工場生産が始まりました。労働者と資本家の階層が生まれ、都市への人口集中、大量生産・大量消費社会が出現しました。公害・CO2 等の環境問題も「産業革命」がスタートです。市民革命、植民地支配、女性の社会進出等々、「社会構造」が変化し近代資本主義社会が確立しました。

「産業革命」は、ヨーロッパ各国やアメリカへ広がり、19世紀末にはロシアや日本へも伝わりました。今日の世界を築いた大元が英国です。

今回の「ロイヤルウエディング」は、「自由と平等」そして「多様性社会」へと繋がって行くものだと思います。人類(世界)にとって「3番目の革命」になると期待しています。

*6月10日追記:①「万引き家族」に主演した安藤サクラさんの「泣く」シーンを見たいと思い行きました。「言葉と涙の自然な関係」を演技とは思えぬ姿(演技?)で表現していました。優れた女優さんだと思います。

②学生時代、教員免許(社会科)を取得するための「教育実習」に母校(國學院久我山高校)へ行きました。担当教師から、『これを読んでおくように』と3冊の本を渡されました。「産業革命」の歴史的経過等が書かれたものでした。私が行う授業は「産業革命」の中の「資本の原始的蓄積」でした。少し読んでみましたが、よく分からない内容でした。その時、それ程勉強が好きでもない自分は、やはり教師には向いていないと再確認しました。

③英国市民が、ヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚に反対した最大理由は、彼女が「アメリカ人」だからだそうです。人種や離婚歴等よりも「アメリカ人」だということです。英国民がアメリカ合衆国に対し懐く、「感情」、歴史的な「思い」を改めて知りました。

「漂流郵便局」

読売新聞夕刊に、密着ドキュメント「漂流郵便局」が連載されています。

5月28日から始まり、昨日(6月Ⅰ日)までに5回掲載され、まだ続くようです。

「漂流郵便局」は香川県の粟島にあり、元郵便局長の方がボランティアで局長を務めています。

瀬戸内海の島々を舞台に3年に1度、開催される「瀬戸内国際芸術祭」の2013年秋の出品作で、旧粟島郵便局を改装して造られたものです。 現代美術家の久保田沙耶さん(30)が、東京芸大の大学院生だった2013年に考えたアートで、瀬戸内国際芸術祭の作品として作り、芸術祭後も手紙が送られてくるので以来、そのまま置かれているそうです。

「届けられない手紙」を預かる郵便局です。過去・現在・未来、もの・ひと・こと、すべての手紙を受け付けています。

開局して5年、3万通の手紙が届き、現在も月に数百通が届いています。 ただ送るだけで、返事はきません。行って、自由に読むことが出来ます。手紙が自分あてだと感じれば、持ち帰ってもよいそうです。

『あの世に単身赴任中のあなた、そちらはいかが?私はとても寂しいです』や『一番の友達のKちゃんがクラスの中でいじめられた。自分もいじめられるのが怖くて、友達でいるのをやめました。私はKちゃんが好きだったのに…。謝らせてください。今、幸せに暮らしていることを祈っています。』等。

行き場のない悲しみやつらさを書くことで、気持ちの整理をしているのだと思います。

これまで生きてきた中で、さまざまな出会いと出来事を人は、経験しています。振り返れば、『あの時、なぜあんなことをしたのだろう』、『あの時、なぜあんなことを言ったのだろう』ということは、誰にもあることだと思います。

しかしどんなに反省しても、時は戻りません。

私も多くの人を傷つけ、そして傷つけられてきました。

 

生きるという事は、そういう事だとも思います。

それでも尚、「あの時、ひと声かけられなかったのか」、「話を聞かなかったのか」、「行動しなかったのか」と悔やまれることがあります。

「漂流郵便局」は、人が持つ、忘れることが出来ない「感情」や「気持ち」の存在を改めて思い起こさせます。自らが、「過去」・「現在」・「未来」へ行き、関わりのあった「もの」・「ひと」・「こと」について思いを伝える所です。

自らが参加し、向き合い、癒される。そんなアートを考え、創りだした若き芸術家に新たな時代を感じます。

 

*久保田 沙耶(くぼたさや) 1987年、茨城県生まれ、幼少期を香港で過ごす。筑波大学芸術専門学群卒業。東京芸術大学大学院美術研究科卒業。ロンドン留学(2015年)。