「号泣議員」から進んだ県議会改革

先日開催された全国政策研究集会で、事例報告、『号泣議員から進んだ県議会改革』がありました。兵庫県議会の丸尾 牧議員からの報告でした。

話を聞きながら、野々村竜太郎議員の姿、あの時の光景がよみがえりました。

『この世の中を、この世の中を、変えたい一心で議員になったんです。…… 』涙でくしゃくしゃになった顔で、そう訴える野々村議員。テレビに、号泣する議員の姿が映し出され、世界にも伝えられました。

3年間で345回、約800万円の日帰り出張をしたというが、実際にはほとんど行っていなかったという。
2013年の9月2日、城崎温泉に行ったことになっていましたが、大雨で神戸、大阪方面からの特急のほとんどが運休していた。そんな報道が繰り返し、伝えられました。

月50万円、年間600万円も支出される、「政務調査費」。埼玉県議会でもついこの間まで、領収書もいらなかったと聞いています。

繰り返される、「政務調査費」の目的外使用。
『バレなければ何に使っても良い。もらった金だから使わなければ損』とでも考えていたのでしょうか。

野々村議員の支出状況の検証によると、「日帰り出張」は、ほとんど行っていないことが兵庫県警の聴取で分かり、大量の切手・事務用品・電気製品等を購入していたことが判明しました。

「切手」は3年間で250万円。ほとんどをチケットショップで購入。自宅から県庁までのきっぷも買っています。「電気製品」は、1回で802,727円購入(ヨドバシカメラ)したことも。電気製品の存在が確認できないことから、転売したようです。事務用品や食品も、イオン・マックスバリューや関西スーパー等で購入していますが、「国民年金保険料」177,280円をスーパーで支払ったように見せかけるクレジットカードの明細を偽造しています。領収書は年間で、2万枚にもなったそうです。

野々村議員は、事実発覚から7日後に辞職勧告、11日後に虚偽有印公文書作成で刑事告発を、県議会からされました。野々村氏は直ちに、1800万円+利息を一括全額返済しています。

なぜ、これ程早い対応をしたのかですが、それは他の議員への、『飛び火』を恐れたからです。
他の議員も、領収書の偽造や切手の大量購入をはじめ個人旅行、親族雇用、車のリース、懇談会費の支出に「政務調査費」を当てていました。

「なぜ逃げるんですか!」と記者に追いかけられ、『病院へ行かなあかんのや!』と800メートル全力疾走した69歳の岩谷秀雄県議(自民党)は、日付だけが異なる領収書の偽造。

大量の切手購入は3年間で、水田裕一郎議員(自民党)750万円。原吉三議員(自民党)372万円。全力疾走岩谷議員242万円。釜谷研造議員(自民党)73万円を、チケットショップや自分が社長をしている会社から購入しています。

加茂 忍議員は、九州へ夫婦旅行し、天草キリシタン館で400万人目の来場としてテレビの取材を受け、天草の「市政だより」にも掲載されました。その時、本人は職業を不動産業と答えています。

親族雇用では兵庫県議会全議員69人中、少なくとも10人以上が、妻・父親・母親・兄弟姉妹を雇用。人件費として14万円から338万円を支出していました。三重県議会や鳥取県議会等では親族雇用を認めていません。

懇談会費は、老人会や踊りの会等へのご祝儀で、最も多い水田議員が3年分で69件33万3千円でしたが、問題を指摘され監査請求後に返還しました。その他の議員は自民・公明で32件16万円でしたが、これも全て返還されました。

車のリース料は、2013年度は34人、総額13,688,160円でした。自民・公明の議員が、クラウンロイヤルハイブリット・レクサス・フォルクスワーゲン等を借りていました。議員活動専用の場合は、上限80万円で8割の充当可。私的併用は5割です。現在は、上限80万円。議員活動専用5割の充当可。私的併用は25%です。しかし、24時間365日借りる必要があるのかという疑問が残ります。

野々村議員だけの問題ではありませんでした。同じ穴のムジナ。議会・議員の余りのデタラメ、いい加減さに気づいた市民の怒りと批判に、県議会では、「政務活動費」の使途見直しを行いました。議長の調査権の強化(是正勧告・命令)や「領収書」は商品名、数量、内容等が明確に分かる場合のみ可とする等、基準の見直し、また、費用弁償の見直しも行われました。しかし、課題はまだ残されています。

最も大きな見直しは、「議会」そのものの改革です。『機能する議会』となるための体質の改善が進められています。質問回数や質問時間の増加、請願者の意見陳述実施、常任委員会の全会議ネット中継や会派代表会議の原則公開の他、議会による議会評価や議員評価が進められています。

野々村議員の、「政務調査費」不正使用に端を発した問題は、兵庫県議会と議員の実体を明らかにし「議会改革」の引き金を引くことになりました。報告者は最後に、『これまで、びくとも動かなかった議会が動き始めた。彼は間違いなく、世の中を変え始めた。』と結びました。

私は彼の姿をテレビで見て、『どんなお笑いタレントもかなわない人』だと思いました。会ったことはありませんが、最近出てきた国会・県議会・市議会の議員に共通の姿を感じます。

小泉チルドレンや小沢ガールズの頃からでしょうか、見た目もよく、偏差値の高い学校を出て一見まともなことを言っていますが、何か人間として欠落している部分を感じる議員が目に付きます。志が見えません。強いものに迎合し、利害で判断・行動します。民主党政権の前頃から、駅頭に立つ新人候補者が急増しました。就職活動で100社回って苦労し、嫌な思いをするよりは、3か月駅頭に立ち、「若さ・情熱・行動力」を訴え、「改革」を主張します。そんな方が、新人議員として確実に増えていると思います。

彼は大阪府北野高校から関大へ行き、卒業後は市役所に勤務、いくつかの選挙に出た後、維新の党から立候補して当選したと聞いています。北野高校は、かつての名門日比谷高校のようなところで、維新の橋下代表と同時代に通学していたということです。議会では改革派として、少し欠落した部分はありましたが、まっとうなことを言っていたようです。傍聴席にはいつもご両親の姿が見られたそうです。きっと自慢の息子を誇りにしていたと思います。最近、新規公開株の購入をめぐる金銭トラブルで自民党を離党した武藤貴也衆議院議員にも、そんな臭いを感じます。

全国的に見ても、近隣市や吉川市でも例外ではないと思います。だからと言って、経験豊富な議員や年配議員が「まとも」だと言う訳ではありません。もっとお粗末な議員やどうしようもない方もおります。いずれにしても、日頃から議員一人一人の活動、言動をしっかりと見ていることが必要ではないでしょうか。

県議会も市議会も、世の中の常識と意識からは相当ずれていると思います。思い切った本質的な改革を行い、議会としての役割を果たさなければ、議会の存在はないと考えます。

しかし、その本質的改革を実現するには、現在の「議員力」では、極めて難しいことだけは確かです。

全国政策研究集会

Jpeg

山中光茂松坂市長の挨拶


 

Jpeg

「支え合って生きる」立教大学藤井敦史教授

8月21日・22日、『全国政策研究集会』が開かれました。主催は、自治体議員政策情報センター虹とみどりです。
私は、昨年度に初参加し今年が2回目です。

 

開催地は兵庫県姫路市で、全国から地方議員が集まりました。参加者はおよそ100人位でした。
研修会場は、「イーグル姫路」で姫路駅から徒歩15分、姫路城が良く見える大手前公園のすぐそばでした。ホールや会議室・セミナールームの他、図書室・料理室がありました。また、ボランティア活動室や人権啓発センター、レストラン等もある複合施設です。
受付の後、直ちに分科会に分かれそれぞれのテーマに沿って研修に入りました。21日の第1分科会(13時半~15時半)のテーマは、「地方創生」「災害」「いじめ」、第2分科会(16時~18時)は「連携中枢都市圏構想」「政策力」「平和」ですが私は、「地方創生」と「政策力」に参加しました。
「地方創生」は、一番人気。講師には福嶋浩彦さん(元我孫子市長、現中央学院大学教授)を迎え、50人程の議員が参加。1時間の講義の後、講師への質問や話し合いを行いました。
「政策力」は、20人位でした。龍谷大学政策学研究科教授の青山公三さんが講師を務めましたが、冨野暉一郎さん(元逗子市長)も出席し、議論を活発化させました。

Jpeg

「地方創生」福嶋浩彦さん
全員で『おむすび』を急いで食べた後、18時半~20時半までが基調講演、『支え合って生きる ー連帯経済を紡ぎ出す社会的企業ー』(立教大学コミュニティ福祉学部藤井敦史教授)がありました。講演の後、30分ほどでしたが、藤井教授と上原公子さん(元国立市長)の対談がありました。
翌22日は、9時10分~11時50分まで分科会。「議会は民主主義社会を主導する不可欠な機関」「北京女性会議より20年 自治体の男女平等政策は」「2016年度電力自由化を迎えて ご当地電力を始めよう」の3つ。
「議会は民主主義社会を主導する不可欠な機関」に参加。 講師は、丸尾まきさん(兵庫県議会議員)、福嶋浩彦さん、冨野暉一郎さんの代理(大学院生?)で30人位の参加者でした。

 

最初に「議会は民主主義社会を主導する不可欠な機関」について、冨野暉一郎さんが作成された資料を大学院生?が説明、次に丸尾まきさんが「号泣議員から進んだ県議会改革」、最後に福嶋浩彦さんが、「議会は何をするところか・議員は誰の代表なのか、議員内閣制と二元代表制、国と自治体、自治基本条例と議会基本条例」等について話しをされた。その後、3人の講師と参加議員とやり取りをして、12時には全日程を終了し解散。

 

昼食後、研究集会に参加した10数名と一緒に世界文化遺産・国宝の『姫路城』を見学。ガイドをお願いして、天守閣まで登りました。2時間半かかりましたが、城内の見どころでの説明を聞きながら、『姫路城』のスゴサを初めて知りました。夏休みの最後で観光客も多く、行列が続きなかなか先へ進めず、炎天下で皆汗だくでした。「お城の見学」に世界中から集まっている様子に、改めて観光資源としても貴重な宝物だと思いました。

Jpeg

姫路城

Jpeg

姫路駅を4 時過ぎの新幹線「ひかり」に乗り、自宅へは午後9時過ぎに戻りました。『車内でお弁当を食べビールを飲み、居眠りして東京へ帰る』のはいつものパターンですが、いつも通りの帰宅となりました。

今回のメインテーマは、『私たちが求める「地方創生」とは何か?』です。

昨年、安倍政権が鳴り物入りで打ち出した「地方創生」ですが、これまで何か腑に落ちないものを感じていましたが、今回の研究集会で少し見えてきたように思います。

それは国が地方(自治体)に対し、『これからは、人口減少社会。何も努力をしない自治体は消滅するぞ!』と脅し、それぞれ成長戦略を考えろ!という国の考えと自治体の対応は、やっぱりおかしい。ということです。

国の誘導は、単に自治体間での「若年人口の奪い合い」をさせ、おそらくほとんど出来ないであろう自治体に対し、『だから言ったでしょ。頑張らないと自治体が消滅しますよ!と警告したじゃないですか』と、全ての責任を押し付けようとしている様に感じます。ほとんどの自治体もまた、国の言われるままに何の疑いもせず、「若年人口の奪い合い」をしようとしています。そんなことで、国や自治体が生き残り、市民が幸せに暮らしていけるとは思えません。

勿論、少子高齢化の人口減少社会にあって、住民の幸福のために自治体が果たす責任や役割の大きいことは理解できます。しかし、国にもその責任と役割はあります。自治体だけで考え努力するというものではありません。少子化対策一つとっても、国としての方向性や政策と自治体の方向性や政策の考え方が違っていては、効果がありません。

また、『人口減少社会は良くない、歯止めをかけて出生率を上げなければならない。』との考えについても、本当にそうなのか?あるいは、人口減少を前提にした、国・社会、地域のあり方について、もっと多方向から考え検討すべきだと思います。

吉川市でも、今年の6月議会で『吉川市総合戦略推進審議会条例』が提案、可決されました。第1条に、まち・人・しごと創生総合戦略を総合的かつ計画的に推進するため、吉川市総合戦略推進審議会を設置する。とあります。現在、審議会委員(10名以内)を選考しています。

審議会のスタートは秋ごろになると思いますが、来年の3月末までに、市としての戦略をまとめることになっています。他市の多くがコンサルトの会社に丸投げする中、吉川市は基礎データ等はコンサルタント会社に委託するものの、中身については審議会で検討することになっています。良いことだと思います。

望みたいのは、吉川市が人口増加あるいは減少しても、『住民が幸せになる、持続可能な仕組みに変えていく』ことを検討する審議会であって欲しい。

その為の具体策を検討するのが、『吉川市総合戦略推進審議会』の役割だと思います。

絵に描いた餅ではなく、地に足のついた議論を期待したい。

 

 

議員研修会へ行きました。

Jpeg

会場となった「パストラルかぞ」

Jpeg

8月12日(水)午後2時から、埼玉県市議会議長会第4区議長会議員研修会が、加須市の「パストラルかぞ」で開催されました。

出席者は、越谷市・春日部市・久喜市・八潮市・幸手市・蓮田市・白岡市・行田市・羽生市・加須市そして吉川市の議員です。吉川市からは、18名(1名欠席)が参加。「なまりん」のバスで行きました。今までで一番多い参加者数だったと思います。三郷市は臨時議会のため、全員欠席でしたが、小ホール(300席)は、ほぼいっぱいでした。

研修会の内容は、講演『地方創生時代の市議会の役割について』。講師は、加須市にある平成国際大学の法学部教授浅野和生先生でした。
レジメには、1日本創生会議レポートの衝撃と意義 2「地方創生」か「ふるさと創生」か 3コミュニティの連続性の拡大再生産 4地域社会と大学の協力可能性極大化 5地方創生時代の市議会の役割について。とありました。

1時間半のお話しでしたが、『ふるさと創生は、今までと同じことをやっていたら、何も変わらず何も生まれない。発想を変えて、出来ることは何でもやる。そうしなければ、生き残ることは出来ない。』『議員は、行政の枠を超えて連携・協力しながら「新たなふるさと」づくりに取り組んでもらいたい。』『今までの議員の役割や枠から飛び出さなければ、18歳選挙権の下、当選することは出来ない。中学生・高校生と一緒にまちづくりについて話し合うことも必要。インターネットの活用は当然のこと。』といった話だったと思います。

要は、『早いスピードで時代は進み、人々の意識も、今ある仕事や働き方が大きく変わって行く。そのような中で、従来の発想や取組だけでは、市町村も議員も生き残れない。新たな発想と行動をすべき時に来ている。』私は、先生の話をそのように受け止めました。

講演の中でも触れられていましたが、15年前と現在を比較し、その変化を考えれば、あっと言う間に世の中が変わっていくのは確かだと思います。携帯電話の主流が『スマホ』になるとは、誰も15年前には考えていなかったと思います。

質問をする議員はおらず、4時前に浅野先生の講演は終わりました。遠くからもよく目立つ「なまりん」のバスに再び乗って、6時近くには市役所へ戻り、解散となりました。

Jpeg

浅野先生の講演

 

近年、『日本食』が世界へ広がり、宅配便やコンビニ、警備、介護、予備校、温泉旅館等、日本式のサービス産業が各国で展開され、拡大しています。観光客の著しい増加も顕著です。観光客の急増は、円安の影響もありますが、やはり日本の良さが伝わってきたからだと思います。日本の風景、水、空気、街並み、神社仏閣、銭湯そして世界中の料理と酒が楽しめる「食事」にあるのではないでしょうか。

また日本人の持っている礼儀正しさ、優しさ、正直さや親切心も魅力だと思います。東日本大震災で、被災者が取った行動、立ち居振る舞いでそのことを知った人も多いと思います。勿論、電気・ガス・水道の安定供給そして正確な交通機関の運行、全国津々浦々に伸びた高速道路、病院等、整備された社会資本の信頼性と治安の良さ、平和な社会があることです。

海外での需要は、新幹線をはじめ鉄道車両技術と管理運行システム、自治体が行っている水道事業の管理運営ノウハウ、そして「ウォッシュレット」まで、今後ますます拡大していくと思います。観光も大きな産業、基幹産業の一つに育つと思います。

技術的信頼と文化的魅力の根源は、日本人の持つ「きめ細やかさと職人気質」だと思います。『四季の変化』『島国』『安定した平和の時代』がそれらを育ててきたと思います。

それぞれの国は、その時代に国民が生活をして行くための産業があり、固有の文化を持っています。世界の中での役割を持っています。伝統的なものも新たなものもあり、それは変化し続けています。私たちの国は、戦後の復興から高度成長を経て、先進国の仲間入りをしました。世界第2位の経済力を誇ったこともありました。

しかし、『あの夢をもう一度』と考える、「アベノミクス」的発想では、日本は立ちいかなくなると思います。これからは、『文化を売っていく』ことが、成熟した社会の進むべき方向だと思います。30年前、社内の海外派遣論文で、将来の日本は、『文化を売る時代』になる。と書いて、2週間アメリカへ行ってきました。

あれから30年経ちました。改めて振り返ると「脱工業化社会」への道を一歩づつ歩んできたと実感します。国内でも情報やサービス産業の分野が急速に広がり、最近の海外進出は、モノづくりから情報・サービス関係が多くなっている様に感じます。モノづくりの企業だけでなく、常に改善・改良を続け、進化し続ける「コンビニ」や「宅配便」等の姿に日本企業の真面目さと強さを感じます。

長い歴史の中で、これまで培ってきた文化の厚みを感じると共に、その中で生まれた「きめ細やかさと職人気質」は、日本の大切な財産の一つだと思います。

Jpeg

なまりんのバス

 

Jpeg

目立ちます

 

【ご参考】 加須市(人口11万5千人)から頂いた資料、『全国トップレベルの行政運営~市民の役立つために~』から一部お伝えします。

●全国812市区の「経営革新度調査」(平成25年10月 日本経済新聞社調べ)で、加須市が総合28位(県内2位)の評価を受けました!とありました。分野ごとのランキングは、①透明度 全国57位(県内5位)②効率化・活性化度 全国184位(県内11位)③市民参加度 全国19位(県内1位)④利便度 全国48位(県内7位)。

●また、市税の納税率は県内トップクラスで、特に個人住民税の納税率は平成25年及び26年度第2位(県内40市中)。また、「日本一のリサイクルのまち」を目指しており、平成25年度のリサイクル率は40.7%で全国第4位、埼玉県では第1位だそうです。平成20年度が24.8%でしたが5年間で40.7%まで引き上げました。ちなみに、全国第1位は小金井市(東京都)で49.8です。

●女性議員の割合は県内第2位、議員数では28人中9人(32.1%)で県内第3位です。平成27年5月1日現在

*夏の甲子園埼玉代表の「花咲徳栄高校」は加須市にあるそうです。今日は、鶴岡東との対戦です。(1対0で花咲徳栄が勝ちました)

 

【お知らせ】次のブログ更新は8月23日(日)の予定です!

8月21日(金)~22日(土)まで、兵庫県姫路市で開催されます、『全国政策研究集会』へ行ってまいります。帰宅が22日の夜になりますので、ブログの更新は23日に行いたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

 

8 月8日(土)立秋に

今朝は、久しぶりに涼しい朝を迎えました。
北から南へぬける風がヒンヤリと感じました。
このところ、4時頃には起きていましたが今日は6時まで寝ていました。

今週は、本当に暑い日が続きました。家の中はどこを触っても熱く、神棚に上げたお榊の水は連日お湯のようでした。
年々暑くなり、台風をはじめ極地的な豪雨が続いています。異常気象の影響が、世界中で見られます。

「地球の温暖化と生物多様性」の問題が提起され、随分と経ちます。しかし、方向性と現実のギャップはなかなか埋まりません。
地球も人間も、長い歴史の中で寒い時代と暑い時代を繰り返してきたのでしょうが、人為的な原因で温暖化が進むのは初めてのことです。
産業革命から200数十年。技術革新は進み、大量生産、大量消費、便利で豊かな生活が当たり前となり、世界の人口も膨張しました。環境は大きく変化しました。
「温暖化と生物多様性」の問題は、この200余年の急激な産業構造と社会・生活変化の結果、起きてきたことです。

だからと言って、かつての生活に戻れるかと言えばそれは無理でしょう。国や個人の「なりわい」が変わっています。
個人の生活でも国家としても、社会・経済の仕組みを昔に戻すことは出来ません。
国内だけでなく世界との関係でも、その距離(時間・空間・情報・意識等)は縮まり、密接かつ複雑に絡み合っています。

中国をはじめ発展途上国からすれば、先進国が享受している豊かさと便利さを求めるのは当然であり、そのための経済的発展は必要なことだと考えているからです。

吉川に移り住んだのを機に、あまり便利な生活を求めるのはやめようと考え、車を廃車、クーラーも使わないことにしました。ゴルフもやめました。ペットボトルの飲料は買わない・使わないと決めました。

自転車に乗り、うちわを扇ぎ、アイスノンを枕にする生活は25年余続いていますが、ペットボトルのお茶は買っています。そして、ウォッシュレットとインターネットは必需となってしまった。

このいい加減なエコ生活が、いつまで続くか分かりませんが、少なくともこの夏までは続いています。知人からは、『痩せ我慢はやめて、クーラーを買った方がいい。奥さんも参っているのでは』と忠告されています。

新聞に、『高齢者夫婦、熱中症で死亡。狭い部屋でクーラーもない、節約生活哀れ!』等と出ることもあり得ます。

『夏、暑いのは当然。いっぱい汗をかいた方が良い。冬は寒いのが当然。身体を動かせばよい。寒ければ上に着ればよい』と言ってきたが、どうしたものか。

これから先のことは分からない。
多くの人が、北海道やアラスカ等に移住することになるのか、それぞれの土地で、『新たな適応』をして生きていくのか。私には見届けることは出来ない。

8月・9月の厳しい残暑。
毎年、立秋を過ぎると昼間は、『まだまだ暑い』と言っていたのに、夕方吹く風に、『秋の気配』を感じます。
私にとってそれは、待ち遠しいひと時です。

「平和の集い・戦没者追悼式」

Jpeg

式辞を読む中原市長

 

今日8月1日(土)、「平和の集い・戦没者追悼式」が午前10時より、市民交流センターおあしす多目的ホールで行われ、先程(昼前)終わりました。

吉川市が、戦没者を追悼するとともに、戦争の悲惨さと平和への願いを市民に広めるため、毎年開催しているものです。
式には、中原市長、教育長、副市長・幹部職員(部長)、県議・市議会議員そして、市民の方々が出席されました。私は議員になって初めてこの式典を知りました。今年で8回目の出席です。

次第は、【平和のつどい】と【戦没者追悼式】2部構成です。【平和のつどい】は、〇平和の歌声。八千代コーラス(惜別の唄他4曲)〇吉川市平和都市宣言の朗読。南中学校2・3生の中原さん・中井さん・新野さんの3人に朗読をして頂きました。【戦没者追悼式】国家斉唱の後、式辞(市長)。全員での黙とう、追悼の言葉(市議会議長・県議・遺族会会長)と続き、出席者全員による献花で閉式となりました。

舞台下に設置された献花台に、一人一人が白い菊の花を一輪供えます。市民の皆さんの多くは、戦死された方の妻・兄弟姉妹・子ども等、家族のようです。皆、高齢者になっています。

以前は舞台上での献花でしたので、階段を上り下りしていました。中には、よろけたり、辛そうな方もおり心配でした。現在は、舞台の下の献花台への供花になりました。

吉川でも多くの方が出征し、戦死された方は明治以来400柱を越えていると聞きます。市役所の正面玄関横に慰霊塔が立っています。昭和45年に建設されたもので、塔の横に戦死された方々の名前が刻まれています。

たまに、白い開襟シャツ姿の高齢者を見ると、子どもの頃の夏を思い出します。
セミが鳴き、陽炎が上る中、大人たちが汗をぬぐう光景がよみがえります。

家の前の道に、水をまくのが私の日課でした。裏にある井戸から水を汲み、バケツで水まきです。勤め帰りのサラリーマンたちが「ほっとして」、通り過ぎるのを見ていました。

我が家の縁の下にも、鉄かぶとや兵隊の靴が転がっていました。ミンミンゼミが鳴く、今日と同じ蒸し暑い日でした。

 

Jpeg

慰霊塔

Jpeg

戦死された方々の名前が刻まれています