全国政策研究集会

昨夜、沼津で開かれていた「第10回全国政策研究集会」から戻ってきました。

武蔵野線の車内から見た「月」がきれいでした。まわりの星も輝いていました。しばらく見とれているうちに吉川へ着きました。

数日前から我が家の居間で寝ながら見ていましたが、昨日は「満月」でした。 いにしえの時代から世界中の人が「月」に魅了されてきましたが、やはり「月」はきれいだと思います。

沼津の街は久しぶりです。四半世紀以上経っていると思います。 駅前ロータリーの雰囲気も変わっていました。新しいビルやホテルが増えたように思います。

私が在籍していた時に沼津店は閉店しましたが、店には棚卸しの応援で数回行きました。棚卸が適正に行われているかどうかを確認する仕事です。大型店では棚卸そのものを手伝うこともありましたが、ローカルの中・小店では検査が主でした。

前日から現地に入り、店の各フロアーを回って棚卸準備状況を確認したり、町やお客様のことを聞いたりしていました。 夜は、店長やスタッフと一緒に飲むこともありました。 沼津に限らずいろいろな所へ行きましたが、そこの土地の美味しいものを肴に、店のメンバーと一緒に一杯やるのが楽しみでもありました。

翌日はお互いに、真面目に棚卸業務に励みました。

「全国政策研究集会」へは5年前から参加しています。今回は、『富士山のもとで、地方自治体の未来を考える~憲法・国民投票・地方自治』がテーマです。

8月24日(金)12:50分~主催者の上原公子(元国立市長)と沼津市長(賴重秀一)挨拶、13:10~13:50特別講演「静岡県から地方自治を考える(川勝平太静岡県知事)」、14:00~16:00基調講演「日本一わかりやすい憲法のはなし(大阪国際大学准教授・全日本おばちゃん党代表代行)」、16:15~18:15分科会1-1国民投票と地方自治、1-2憲法・地方自治・議員のめざす姿、1-3地域からのエネルギーシフト!再生可能エネルギーへ。18:45からは交流会でした。分科会は1-2を選びました。

8月25日(土)9:30~分科会2-1「個として繋がり合い、支え合って行ける社会づくり」若者・生活困窮者支援、2-2「自転車×まちづくり」新たな次元の社会政策を考える、2-3超巨大プロジェクト「リニア中央新幹線」が日本を破壊する?!11:50~全体報告と閉会式で12:20分頃に終わりました。分科会は2-1を選択。12:40~はオプショナルツアーへ参加。ツアーは、①「川の流れ」を活かしたまちづくり ②「文化財保護と開発」 ③沼津市のサイクルツーリズムを体験する。 ④「浜岡原発の視察」は8月23日(木)に実施。私は③のサイクルツーリズムの体験に参加しました。

今回の研修で良かったのは、川勝知事の講演と若者・生活困窮者支援そしてサイクルツーリズムの体験ツアーでした。

川勝知事のお話しは初めて伺いました。地方分権については、首都機能を那須野が原へ移し日本を「四洲」に再編、東京一極時代と決別する。憲法9条に「防災と富士山」を規定する、というもの。首都機能の移転や道州制の問題は以前から議論・提案されていることですが、憲法9条に「防災と富士山」を規定するというのは大胆な発想です。またその根拠について、学者らしい?説明をされる姿にオモシロイ方だと思いました。

若者・生活困窮者支援では、静岡県立大学教授津富宏さんのお話しが印象的でした。元少年院の教官だったそうですが現在、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡の代表でもあります。実践活動家と研究者としての目を通じ、問題の本質を考え、見極め、取り組みをしているように感じました。犯罪学を勉強していたそうですが、人間に対する理解が深い方だと思います。

沼津市のサイクルツーリズム体験では、海岸線を実際に走ってきました。

沼津市では、2020年東京オリンピック自転車競技の一部会場が伊豆市になることを契機に「海越しの富士山が見える日本有数の景観」等の魅力を発信し、沼津・伊豆エリアをサイクリストが選ぶ、日本一・世界一のサイクリストフレンドリーエリアに育てる「創造プロジェクト」を平成28年度からスタートしています。今年3年目ですが、伊豆市・伊豆の国市・函南町とも連携しています。

サイクルステーション、道路状況、見どころ、休憩・買い物ポイント等、これまでの整備事業も確認しながら海岸線を2時間の行程で走りました。車道を一般の車と一緒に走ることで、いろいろな事が分ります。トンネル内の走行は結構怖い感じです。観光スポットでは、横断歩道を渡る団体客やバス・マイカーにも注意が必要でした。

スタート(ゴール)のサイクルステーションは廃校になった小学校でした。ここで、一般道を走る際の注意やツアーコース説明を受け、終了後にはこれまでの取り組み・事業内容、これからの計画等について質疑応答。また、感想等を話し合いました。

私が最も驚いたことは、この「創造プロジェクト」が庁内の組織を横断的に人選したチームだという事でした。リーダーは、産業振興部長、スポーツ交流推進室長ですが他は「地域おこし協力隊(ボランティア)」として参加している職員です。所属部署での仕事をしながら、このプロジェクトに参加しています。

今回のツアーで、「地域おこし協力隊」の職員(10人位はいらした)にお世話になりましたが、皆さんとてもいい顔をされていました。

やはり、「やりたい仕事」をしているからでしょうか。

 

*「自転車×まちづくり」の講師は小林成基さんですが、7月11日に地方政治改革ネットの勉強会に来て頂き「自転車活用推進法」をテーマに、また2月1日の政策研究会(衆議院議員会館)で国交省の担当者と小林さんのお話は伺っていますので、分科会は「若者・生活困窮者支援」、オプショナルツアーを「サイクルツーリズム体験」にしました。

 

 

 

夏の終わりに

昨日・今日と、「涼しい朝」を迎えています。

昨夜、アルミサッシのドアを少し開けて寝ていましたが、4時半頃「冷たい風」で目が覚めました。

湿度が低いので余計に涼しく感じます。 家の中の気温は28℃です。 一気に「秋」の装いですが、まだまだ残暑は続きそうです。

ここ数日、「アイスノン」と魚屋さんでもらった「蓄冷剤」を2段重ねにして、「枕」にしています。今朝は下の「蓄冷剤」はまだ解けていませんでした。

ようやく「沸騰」していた頭が落ち着いてきました。 8月はヒロシマ、ナガサキ、終戦記念日そして旧盆と考えさせられることが続き、加えて市のことや議会のことを考えると頭が一杯になってしまいます。

8月12日(日)、6月議会報告(7/12発行)のポスティングがやっと終わりました。例年は7月中には終わりますが、今年は8月へ入ってしまいました。

厳しい暑さもあり、配布は早朝と夕方以降に集中しましたが、3日程お昼過ぎまでやりました。経験した事のない暑さでした。

そして13日(月)からは、家の「片づけ」とこの10年余の書類や資料の「整理」をしていました。「片づけ」はエアコン設置のためです。28年間続けてきたエアコンのない『生活』が終わります。

先程まで書類整理をやっていましたが、おおよそ片付いてきましたのでこれから「夏休み」に入ります。 まず、ベランダにある「いちょう」の鉢植えの土を入れ替えます。明日は山へ行きたいと思います。今年初めてなので、奥多摩の初心者コース「高水三山」がいいと思います。

来週からは9月議会の準備に入ります。

21日(火)に議案書を頂き、22・23・28日が勉強会。24・25日は「全国政策研究会」で沼津へ行きます。27日は議運。30日は千葉県「白井市」へ行政視察に伺います。そして31日(金)から「9月議会」が始まります。

*追記(8/23): 次回のブログアップは、8月26(日)になります。24・25日開催の「全国政策研究会(自治体議員政策情報センター・虹とみどり)」へ参加のため。

辞世の句

「散る桜 残る桜も 散る桜」、良寛の辞世の句と言われています。

古くから「桜」の木は日本中に見られ、身分に関わりなく親しまれてきた「花」だと思います。

「稲作」とも深い関わりがありました。 桜の「開花」は、種もみを苗代に撒く「種まき」や「田植え」の時期を知らせる役目を果たしていました。暦の上だけではなく、地中の温度や水温を桜の開花と結び付けて判断していたと考えられます。

早い春を迎えるのか遅い春になるのかは、その年によって異なります。 今でも各地に、『種まき桜』や『田植え桜』が見られるのはその名残です。

この句は、太平洋戦争の時、特攻隊員の遺書にも引用されました。桜の花が散る様子を当時、「いさぎよく」死ぬことを美徳とした日本人の「死生観」と一致すると考えたのかも知れません。

良寛は「生まれたからには死ぬ」という意味で詠んだようです。 また、死期の近い良寛がつぶやいたと言われる、「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ」は愛唱の句で、「思い残すことはない」「死ぬのも生きるのも運命」との考えを表したもので、「いさぎよく」死ぬ、という事ではなかったように思います。

義父は軍艦に乗っていました。

私が預かった海軍士官短剣は全長38㎝、刃渡りは19.5㎝のものです。戦後、刃をグラインダーで削り、切れない短剣にしています(少し縮んだように見えます)。

握る所に2か所、「桜の花びら」が付いています。 何十年ぶりで、手にしました。

*良寛和尚(曹洞宗僧侶): 江戸時代後期、越後の国出雲崎で名主兼神職の長男として生まれ、18歳の頃出家。円通寺(岡山県・倉敷)で12年修業の後、放浪の旅へ。40歳の頃越後へ戻り、粗末な草庵に住み、生命のある全ての自然と子どもを愛し、遊び、書を書き、托鉢で暮らす。多くの和歌(1300)・俳句(100)・漢詩(600)を残した。書の達人(号は大愚)。和歌では、【この里に手鞠つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし】等。

平和のつどい・戦没者追悼式

吉川市平和のつどい・戦没者追悼式が今日、「市民交流センターおあしす」で開催されました。

 毎年、8月第1週の土曜日に行われています。私は11回目の出席です。列席されている「遺族会」の方々の高齢化も進んでいます。

吉川市出身の戦没者は400柱を超えています。当時の人口を考えれば、いかに大変な戦争だったかが分ります。働き手を失った家族の苦労は、都市でも農村でも変わらないものだと思います。

旧庁舎敷地の一角に戦没者の名前が刻まれた慰霊碑があります。古くからこの地で暮らしていた方々の名前が見られます。

私のところでは、父の弟(叔父)がサイパンで戦死したと聞いています。母の兄(伯父)は中国へ行きました。

叔父のことは知りません。私が生まれた時にはすでにおりません。区役所に勤めていたと聞いています。 父が退職後、母と一緒にサイパンへ慰霊の旅に行きました。船から花を投げている写真を見たように思います。行く前にお線香等を用意していました。

中国から帰った伯父からは、戦地での生活や町の様子を聞いた記憶があります。 お酒を飲むと、よく分からない中国の歌を歌ったり、片言の中国語を話していました。随分とひどいこともしたようです。 天井裏に置いてある軍刀を見せてもらったこともありました。

子どもの頃、終戦記念日が近づくと必ず「すいとん」が食卓に上がりました。不満を言うと、『戦争中はこんなに美味しいものは食べられなかった。』と両親が口をそろえて言っていました。

毎年、我が家でもこの時期には「すいとん」の日があります。妻が用意してくれます。 「すいとん」を食べると、子どもの頃を思い出します。