橘曙覧

『たのしみは朝おきいでて昨日(きのう)まで無かりし花の咲ける見る時』

幕末の歌人・国学者である橘曙覧(たちばなあけみ、たちばなのあけみ)の歌です。中学か高校の教科書に、良寛の歌と一緒に載っていました。

今朝、ベランダに置いてある「朝顔」の鉢植えに、紫に白が混じった花が二輪咲いていました。思わず、橘曙覧のこの歌を思い出しました。 なぜか覚えています。

「たのしみは」で始まる歌は52首あるそうですが、どれも日常生活を身近な言葉で詠んだ和歌です。

清貧の中、妻や家族とともに日々の暮らしの中での楽しみ、喜びを詠んでいます。自然や家族を暖かく見つめ、歌からは豊かさ、喜びが伝わってきます。

『たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時』という歌もあります。

橘曙覧は慶応4年(1868)8月28日に亡くなりました。明治になる10日前です。

当時は当たり前だった貧しい生活の中で、豊かに生きた日本人の姿、人生観が浮かんできます。私自身の生き方と比べてしまいます。

『たのしみは朝おきいでて昨日(きのう)まで無かりし花の咲ける見る時』は、1994年(平成6)6月に今上天皇、皇后が訪米した際、ビル・クリントン大統領が歓迎挨拶のスピーチに引用した事でも知られています。

歳を重ねることで、先人の「生き方」が理解できることもあるように思います。

*こんな歌もありました。『たのしみは錢なくなりてわびをるに人の來(きた)りて錢くれし時』

池上彰さんの「夜間授業」

昨日、池上彰さんの〈夜間授業〉「〝戦後〟を作った10人の日本人」第3回「小泉純一郎」へ行ってきました。 今回で2回目の参加です。

池上さんは前回同様いきなり話はじめ、「小泉純一郎」さんを『毀誉褒貶(きよほうへん)』の人としました。 褒めることとけなすことのある、功罪ある人だと言いました。

また、その人となりについて、【語彙力のない・ぶれない・表裏のない・他人の悪口を言わない】人。そして【有権者に媚びることのない・反対する人や勢力に対しては、説得することなく切り捨てる】人だとも。

その上で、郵政民営化、北朝鮮外交、イラクへの自衛隊派遣、官邸機能強化とメディア戦略、官邸主導の確立、衆議院解散、田中真紀子更迭等について、「小泉純一郎」の考え方の背景や関わりについて話されました。同時に、安倍政権の手法や今日の政治状況への繋がりを説明していました。田中外相更迭の所は週刊誌的でしたが、その他は的確な分析のように感じました。

「小泉純一郎」といえば、2001年(平成13)大相撲夏場所優勝の貴乃花に、『痛みに耐えてよく頑張った。感動した。』という言葉が浮かびます。短い言葉で相手に伝えることが出来る稀な政治家だという印象でした。それが、対談した池上さんによれば、「もともと語彙の少ない人」というのは驚きでした。

訪米した小泉首相が、米ブッシュ大統領の別荘(農場)で、エルビスプレスリーの真似をしてギター(エアー)を弾いて歌う姿がテレビで放映されたことがありました。ブッシュ一家の満面の笑顔が忘れられません。

小泉さんの相手の懐に入り込む力は「スゴイ」と思うとともに、アメリカでここまで出来る時代になったのかと驚きました。戦後は終わったと感じました。祖父で逓信大臣だった小泉又次郎(全身に刺青を施していたため「いれずみ大臣」と呼ばれた)の影響があるのかも知れません。

実際の所は分かりませんが、「小泉純一郎」は今、月に数回の「反原発講演」とオペラ、歌舞伎三昧の生活だそうです。

次男「小泉進次郎」さんについては、『40歳までは*雌伏』だと言っているそうです。しかし、政治の世界。いつ何があるか分かりません。

「進次郎」さんは「父の演説」と「落語」で研究をしてきたそうですが、テレビでのコメント等を聞くと父親を超える表現力のある方だと思います。

*雌伏(しふく): 将来活躍する機会がくるのをじっと耐えて待つこと。

災害と生活

西日本豪雨から1週間が過ぎました。

死者は200人を超え、行方不明者も50人に上り、その多くは60歳以上の高齢者です。 被害の全容はまだ明らかではありませんが、被害家屋は3万棟を超え、避難生活を送っている方は5,809人と言います。

特に、広島・岡山・愛媛で大きな被害が見られます。 道路が寸断され物流への影響が出ていますが、全面復旧のメドは立っていません。電気・ガスが復旧しつつある中、断水が続いています。断水は日常生活をはじめ、医療機関での診療、復旧作業にも影響を与えています。

酷暑の中での避難生活や復旧作業は本当に大変だと思います。

このような中、天皇・皇后が、「静養を取りやめる」との発表がされた一方、安倍総理を中心に40人の国会議員が懇談の酒席を開いていたことが「危機管理意識がない」と批判を浴びています。11万人への避難指示が出された5日夜、懇談会での集合写真をツィツターに載せたことが発端のようです。

病気や事故等と同じように、「災害」もまた実際に経験しなければ、その痛みは分からないと思います。 しかし、「自分が同じ状況だったら」と思いをめぐらすことは出来ます。その中で、「何が出来るのか」、「どう寄り添って行くのか」を考え、行動できるかどうかだと思います。

世界中で戦争や紛争、災害が起こっています。続いています。病気や傷ついた子ども、難民を助けられない現実があります。貧困にあえぐ国や地域もあります。だからと言って、全財産を投げ出し、仕事を辞めて支援に行くことは出来ません。

皆がそうしたら、その国は潰れてしまいます。今度は自分たちが援助を受ける立場になってしまいます。 平和の中で働き、食べていける人達はその生活を続けなれればなりません。「どのような支援をどの位するのか」は、それぞれの個人が考え決めることです。国もまた同じです。お金以外の知識や知恵、経験を生かしてもらう貢献もありますが、富は必要です。富を生み出すには、安全・安定した社会での経済活動が前提です。

苦しんでいる人がいるから、相撲やプロ野球の観戦はしません。外食は控え、夏の家族旅行へは行きません。花火大会は中止、夏祭りどころではありません等々、皆が萎縮した生活をしたら、新たに困る人達が生まれます。いろいろな形の支援、貢献が出来ることは、東日本大震災で実証されています。

3.11の1年後、被災地を回りました。鉄道も道路も寸断され無くなってしまった町々をひたすら歩き、仮設の住宅・庁舎で話を聞きました。釜石だったと思いますが、風呂が使えない宿に泊まりました。

新日鉄の事業所のそばにある銭湯へ行った帰り、食事をしました。そこの主人が、『川を挟んでこちら側はほとんど被害が無かったんです。海に近い街では、家も家族も失い、大変な状況でした。』『何か申し訳ない気持ちで生活していました』と。そんな中で、支え合っていたことを伺いました。

国は【国土強靭化計画】の中で、「国土保全・環境・交通・物流分野」についても推進方針を示し、アクションプラン2018では、『水害対策や土砂災害対策の推進』を拡充・改善事項の一つに掲げています。

しかし、「自然」はそれをあざ笑うかのように、私たちに厳しい「試練」を次々と課してきます。 反面、人として生きる上で「何が大切なのか」、「幸福とは」を考えることを教えているように思います。

人間の歴史は、飢餓や天変地異の苦しみの中でも「ひたすら」生きてきたのだと思います。

外からは「祭囃子」が聞こえてきます。 議員になって11年目、初めてのことですが、今年は祭りの2日間、「ビラ配り」はしません。

オウム7人死刑執行

オウム真理教元代表松本智津夫(麻原彰晃)ら、教団元幹部7人の死刑が昨日執行されました。

朝、NHKテレビ「あさイチ」を見ていたら、“松本死刑囚の死刑執行”のテロップが流れ、「臨時ニュース」に変わりました。

各局でも「松本」をはじめ、裁判で判決が確定した死刑囚の「死刑執行」を『関係者によれば』と、次々と伝えていました。当初3人、4人と伝えていましたが、7人が同じ日に執行されました。

テレビは一日中、「死刑執行」と西日本を中心にした「豪雨被害」の情報を流していました。

「死刑執行」の状況を次々と伝えている様子は、何か異常な伝え方のように感じました。 「選挙速報」番組のようで、死刑が決まっている13人を対象にして、各社が「出口調査」等で当落を確認して発表しているような雰囲気がしました。 法務大臣等の正式な発表はなく、『関係者によれば』との伝え方は、やはり異常で、「絞首刑」の映像こそありませんがライブ中継のようでした。

元代表松本智津夫が精神障害を装っていたのかどうか、再審請求中の死刑囚がいたことも問題だと思いますが、何よりもオウム事件が本当に解明されたのかが心配です。

 それぞれの事件の詳細な内容と全体像。誰がどのように関わり事件となったということだけではありません。

医師、素粒子や応用物理の研究者、遺伝子工学の研究者等、高学歴で優秀と思われる人がなぜ、教団幹部として教祖を支え、組織犯罪に手を染めてきたのか。 そして、家族や社会との関わりを断ち出家した若者をはじめオウム真理教を心のよりどころとしていた信者(今なお教祖を信じ活動している人達もいます)について、その背景、目的、深層心理等について明らかにしなければなりません。

麻原彰晃が無差別殺人を主導しましたが、「なぜ、何のためにやったのか。今、どう考えているのか」。そのことについて本人は何も答えていません。

また次々と起こった広域的事件に対し、警察間の連携・捜査、特に「宗教団体」に対する対応についても改善すべきことが多くあります。

おぞましい事件で思い出したくない「オウム真理教」ですが、再び同じような事件を起こさせないためにも、亡くなった方や今なお苦しんでいる方々のためにも、しっかりと検証しなければならないと思います。

*【アーカイブス2018年1月】のブログ(1/20)「オウム裁判終結へ」も合わせてお読みいただければ幸いです。