村上世彰と堀江貴文

昨日、池上彰さんの〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」第7回・村上世彰(むらかみよしあき)と堀江貴文(ほりえたかふみ)へ行ってきました。

レジメには、1 平成の風雲児ーコミュ障の2人 2 村上ファンド ー「ハゲタカファンド」か「企業統治改革」 3 パソコンひとつで起業 4 球団ほしいと楽天と競争 5 ねじれ資本関係―フジテレビと日本放送 6 フジテレビとの攻防戦 7 国策捜査発動―インサイダー取引だったのか 8 2人は新たな旅立ちへ、とあります。

どのテーマも興味深く、『そうだったのか』『なるほど』『やっぱり』そして、『そういう見方もあるのか』と感心する内容でした。

フジテレビと日本放送の関係に、村上世彰と堀江貴文がどのように関わり、東京地方検察庁特捜部が2人に罪を認めさせるためにどんな手を使ったのかは、映画を見ているような話でした。

これに、現在進行中の「カルロスゴーン」に対する特捜部の対応を重ねて見ると、地検の意図・考え方、今後の展開が想像でき、オモシロイと思うとともに恐ろしさを感じます。

今、地検がやっているのは「カルロスゴーン」を悪人に仕立てるために、情報を新聞等に「リーク」して、世論を味方につける活動を進めています。『会社を私物化し、自分だけ儲けている。許せない!』、実際にはありませんが『けしからん罪』の悪人だと言っているようなものです。朝日新聞を利用して世論操作をしているようです。

起訴し裁判になることは間違いありませんが、有罪になるかどうかは分かりません。もし、裁判で有罪に出来なければ検察のメンツが丸つぶれというより、国際社会の笑いものになることは必至です。だから検察も必死です。

過去の特捜部の動きをみると、同じ内容(それ以上)の事件でも何もしないこともあったそうです。事件の話題性や検察のイメージ等その時によって動きが違うようです。

村上さんも堀江さんも、「コミュニケーション障がい(コミュ障)」のようです。
2人の共通点は、「自分の意見に絶対的自信があり、俺は正しい。理解できないのはバカ」。自分の言動に対し、「相手がどう受け止めるのか」は考えられない人達のようです。

球団獲得交渉に行ったホリエモンがTシャツ姿だったそうですが、ライフスタイルを変えないのも、特徴の一つだそうです。しかし、本人たちはそのことを意識せず生活をしています。

良い悪いの問題ではなく、世の中にはそのような人もいるということです。
我が町にも、私が知っている方で、「一人」おります。

12月議会が終わりました

昨日(12/14月)で12月議会が終わりました。
一般質問の最終日、降旗(市民の会・無所属代表)さんの中原市長に対する再質問が印象的でした。

一点目は議会対応について、『私と、もう二人の議員がいる席上で、行政のトップとしての立場で参加し、10期以上も務められた大先輩議員の名前を挙げて、20人が一色でいいんだ。というような考え方を述べたが、今でもその考え方は変わっていないのか。』

2点目は『三位一体というのであれば、私はせめて議会の過半数ではなく、3分の2以上の同意を得ることが大切だと考えます。しかし、その席上で、私を会派から離脱させて、自公プラス4で議会を乗り切ると言った考えの本意を伺いたい。』

3点目は『市の今後の計画をリークするから、それを一般質問で取りあげ議員としての成果につなげたら。といったアドバイスもありましたが、私は侮辱と受け止め固辞しました。吉川市議会議員の中で、そういった飴についていく議員は皆無だと信じています。自分の政策実現のためには、今後もこのような飴をチラつかせるような手法を取り続けるつもりなのか伺いたい。』

降旗氏の質問に市長は勿論、執行側、議員、傍聴者も凍りつき、何とも言えぬ空気が議場内に漂った。

私の目には、「真実は強い」と映りました。

答弁に立った中原市長の姿は、ご自身の目で中継の録画を見て頂ければと思います。吉川市のホームページで、市議会から入り、見ることが出来ます。

桂木(かつらき)ゆず

昨日、「桂木(かつらき)ゆず」の毛呂山町『ゆず祭り』へ行ってきました。

「ゆず」というと高知県「馬路村」が余りにも有名です。ぽん酢日本一の人口1、000人の村で、 かつては、『馬路村出身というが恥ずかしかった』と村民の一人が以前、テレビで言っておりました。今や、「ゆず」だけでなく村そのものが人気スポットになっています。県内・県外から観光バスが連ねてやってくる場所だと聞いています。

私は「馬路村」と同じ安芸郡「北川村」の「ゆず」加工品を時々買っています。

「北川村」もまた、「ゆず」の6次産業化に成功しています。ゆずポン酢やゆず茶、ゆずドリンク、くずきり、ケーキ、ママレード、佃煮(昆布とゆず)、果皮砂糖漬け等いろいろな物がありますが、最も愛用しているのは「実生ゆずしぼり」です。

普通のポン酢に「実生ゆずしぼり」を加え、自分の味にしています。夏の間だけは、「実生ゆずしぼり」に代わり「シークワーサー」を使ったポン酢にしています。

「ゆず」はもともと好きな柑橘です。料理からお風呂にまで使っています。食べて、飲んで、ゆず湯です。

9月21日の新聞(朝日)に、【毛呂山のユズ「収穫して」ボランティアと農家募集 ■高齢化で放置される畑増え】という記事が掲載されました。

収穫する農家からは「身体がきついので、年々、取れる範囲が狭まっている」という声があり、放置されている畑が増えていることから毛呂山町が、「収穫してほしい」農家と「収穫したい」ボランティアを募集したものです。

10月Ⅰ日が 募集開始。数日後に問い合わせると、『ボランティア募集は終了しました。応募が多くもう一杯です。』との説明でした。

どんな所か気になっていましたが、毛呂山町のH・Pで、『ゆず祭り』12月8(土)・9(日)開催の案内を見つけました。思い切って訪ねることにしました。

吉川駅から電車で1時間半ほどで東毛呂駅(東武越生線)に着き、ゆず祭り会場の『滝ノ入集会所』までは徒歩30分でした。

10時過ぎに着きましたが、すでに20~30人集まっていました。「桂木ゆず」は勿論、滝ノ入地区「婦人部」の手づくり味噌、ゆず味噌、こんにゃく、餅、まんじゅう等が並べられ販売されていました。また、野菜やミカン・きんかん等もありましたが残りはわずかでした。

ほとんどの方が車で来ているようで、1箱(10個~20個入り)「桂木ゆず」を数箱購入される方が多く見られました。1箱800円~2000円位でした。

毛呂山町の観光ガイドマップには、日本最古の生産ゆず「桂木ゆず」と紹介されています。奈良時代からゆず栽培をしていたという言い伝えがあり、江戸時代には特産として認められていたそうです。昭和初期には、「桂木ゆず」のブランドで東京市場に出荷されており、高級品として高値で取引されていた。とあります。

これまで埼玉県毛呂山町が日本最古のゆずの産地だと知りませんでした。

「桂木ゆず」は、実生から育てた木に実を付けます。水はけがよく北風の吹かない「滝ノ入」地区の気候風土により、肉厚で香りが高く酸味のバランスが良いのが特徴です。またおそらく、寒暖の差が美味しいゆずを作っているのではないでしょうか。地図で見ると大高取山(376.4m)、越上山(566.5m)に向う山の斜面に「ゆず畑」が続いています。木にはしごを掛けるなどして実をもいで、斜面を運ぶのは重労働だと思います。

『滝ノ入集会所』から山の方へ少し歩きましたが、確かにそんな雰囲気でした。家の前でゆずとミカンを売っていたおばあさんからも、年寄りが多くなり、「収穫出来ない」と聞きました。庭にある木を見せて頂きましたが、長い棘があり、実際の収穫作業は大変だと感じました。しかし、収穫できる「ゆず」ができずに「放置」されるのは、もったいないことだと思います。

今回は余り時間がなく、お昼前には東毛呂駅から帰路に着きたいと考えていましたので、山の斜面にある「ゆず畑」を見ることは出来ませんでした。年が明けたらまたゆっくりと訪ねたいと思います。

「桂木ゆず」のオーナー制度があり、1本3,000円~10,000円(年間)でオーナーになることが出来ます。日頃の手入れは、ゆず農家さんがやってくれて、「収穫」を楽しめるそうです。山の斜面にある「ゆず畑」を見た上で申し込もうと考えています。

*更新が遅れ申し訳ありません。

 

 

 

 

五島美術館

11月27日(木)が一般質問の締切日でしたので、当日の午前中に提出しました。一段落したので、市役所から直接、「五島美術館」へ向いました。

美術館は世田谷の上野毛ですので、東急の二子玉川(田園都市線)で乗り換え、一つ目の上野毛(大井町線)から歩きました。 「五島美術館」へ行くのは初めてです。

駅から5~6分ほどの静かな住宅街に美術館があり、隣のお屋敷には「五島 昇」の大きな表札がありました。

開催されているのは、【「特別展」東西数寄者の審美眼 阪急・小林一三と東急・五島慶太のコレクション】です。

阪急電鉄の創始者小林一三(いちぞう)、雅号「逸翁(いつおう)」は、鉄道・百貨店・宝塚歌劇・東宝等、現在に続く事業を関西圏を中心に拡げてきました。 一方、首都圏で東急グループの基礎を築いた五島慶太(けいた)、雅号「古経楼(こきょうろう)」は、逸翁の勧めで鉄道経営に携わったといいます。

鉄道経営も美術品収集も逸翁の影響を受けていたようです。

今回の特別展は逸翁美術館と五島美術館の収蔵品から、絵画・書跡・茶道具等約100点を展示しています。

絵画では、狩野光信・尾形光琳・与謝蕪村・円山応挙。書は小野道風・藤原行成・藤原定家など重要文化財や国宝級のものが多くありました。書や絵画のことはよく知りませんが、かつて聞いたことのある名前の方々ばかりでした。

陶芸では井戸茶碗をはじめ志野、鼠志野、黒織部、絵唐津の茶碗。染付や赤絵の香合、尾形乾山の色絵向付もありました。

私は、「鼠志野」の茶碗がいいと思いました。また、興味深く見たのは小林一三(いちぞう)と五島慶太(けいた)の書簡です。二人の交流です。美しい文字を書かれる方々だと思いました。教養と人格が表れているように感じました。

それ程広くない展示室内は「おばさま方」で一杯でした。閉館の時間まで少しありましたので、庭園を歩いてみました。 「五島美術館」の庭園は、「崖」でした。

傾斜地を自然に近い状態のまま利用して、石塔、石灯籠、石仏やあずま屋、茶室が配置されています。 高低差が35メートルあり、階段の形状も同じでないため歩きにくい庭園です。

庭園案内図には「健脚コース」。『多摩川が武蔵野台地を浸食して出来た「国分寺崖線」上に位置する傾斜地』で、『五島慶太は足腰の鍛錬も兼ねて庭園内を散策するのが日課であった』とありました。

石仏は、「六地蔵」が何カ所にも置かれていました。「これでもか」というくらい、あちらこちらにです。

仏教では生前の行いで、死後6つの世界(六道)に生まれ変わるといわれています。「六地蔵」は、六道のどの世界に生まれ変わっても救ってくださる「お地蔵さま」だそうです。

世間では「強盗慶太」と言われていたあの方が、「六地蔵」に毎日、手を合わせていたのでしようか。

*六道:天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道

*会期は12月9日(日)迄。午前10時~午後5時(入館は4時30分迄)です。休館日は月曜日。