夏休み

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関東地方の梅雨明け宣言もやっと出され、いよいよ夏本番の暑さが戻ってきました。
数日前まで雨が降り、朝夕の風も冷たく感じられました。

朝の散歩帰り、交差点にはいつも交通指導員やPTAそして地域の方々が子どもたちの通学の安全を見守っていました。吉川小の校長先生は吉川交番の前の横断歩道に毎朝立っていました。

しかし夏休みに入り、今週からは通学班の子ども達と会うこともありません。時々、部活に行く高校生の自転車集団とすれ違うだけです。何か変な感じで、いつもの見慣れた光景が、違う場所、違う時間のように思えます。

私の小学校時代には登校班はありませんでした。一人で通いました。親たちが子どもの通学に付き添ったり、見守る余裕はなかったと思います。戦後の復興期、必死に働き家族を食べさせることに精いっぱいの時代だったと思います。

自宅を出て、環状8号線を渡り白山神社の横を通り、青梅街道沿いのラーメン屋(春木屋)のそばの横断歩道を渡って若杉小学校へ行きました。

一人での通学ですが、学校の行き帰りは結構楽しいものでした。特に帰り道は、バスやトラック、乗用車の数やメーカーや車名を確認したり、質屋のショーウインドを覗いたり、退屈そうにしている繋がれた犬を見たり、神社のブランコで遊んだり、見ること・やることはいっぱいあり飽きることはありませんでした。

季節の花々を眺めたりすることも楽しみでした。青梅街道の手前に藤棚があり、毎年それを見るのは楽しみでした。
藤棚の下には、砂や砂利があり、下に垂れた藤の花は見事でした。
通いなれた道でも、その時々いろいろな発見がありました。

朝の散歩で改めて見ると、いろいろな花が咲いていました。今朝と昨日(夕方)タブレットで撮ってみました。

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街路樹管理

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街路樹

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街路樹

 

昨日、江戸川市役所へ『街路樹管理』の勉強に行ってきました。所属している「地方政治改革ネット」の行政視察で、岩田議員と一緒でした。

土木部 水とみどりの課の職員(課長・係長・担当)より、江戸川区の『街路樹管理』について説明を伺った後、職員の案内で街路樹の状況を見てきました。

江戸川区は人約69万人、世帯数33万世帯。出生率は1.39と都内で一番高く毎年約6千人の子どもが生まれます。

荒川・中川と江戸川に挟まれ、真ん中に新中川が流れています。面積は49.09㎢。地形的にも吉川によく似たところです。
都内でありながら、水と緑豊かな環境に恵まれ若い世代の人たちが流入している活力ある街です。

『街路樹管理』については、以前より気になっていました。どうしたら美しい景観を保ち、車道・歩道に影響を与える「根上り」等を防ぐことが出来るのか。適正管理の考え方と方法についてです。また今年の2月、さくら通りの桜並木の剪定が行われましたが、根元近くから枝をバッサリと切り落され景観がすっかり変わってしまいました。
切られた枝は痛々しく見え、市民の方々からも問い合わせやお叱りを沢山頂きました。こうしたことを無くしたいと考えていました。【* 4/23ブログ『さくら切るバカ、梅切らぬ……』参照 】

江戸川区では昭和45年より、「ゆたかな心 地にみどり」を合言葉に水と緑のまちづくりを進めてきました。親水公園・親水緑道、特色ある公園、花の名所づくりをはじめ街路樹・緑道の整備をしてきました。

急速な都市化でドブ川と化した川を昔のように清流として蘇らせ、水遊びが出来る日本で初めての、「親水公園」として古川親水公園を整備(昭和48年)しました。
江戸時代から続く新川(かつて、行徳の塩を江戸に運んだ)では両岸に桜の木を植え、全長3kmの「新川千本桜」を整備しています。川の見えない護岸を撤去、遊歩道に生まれ変わっています

平成19年には、「街路樹のあり方検討会」を設け、専門家の知見と市民の思いを基に、街路樹のあるべき姿をまとめています。

現在、江戸川区では、『路線別目標樹形カード』により、担当や業者が変わっても街路樹の樹形を維持することが出来ます。
その為の剪定等管理委託契約は、『プロポーザル』方式で質の高い業者を選んでいます。

剪定時には、職員が「見本剪定木」を確認してから実際の作業が始まります。
また、剪定業者25社が一斉に剪定し優劣を競ったり、講習会を開催したりもしているそうです。

適切な管理をするためには、適正予算の確保と「安かろう悪かろう」の業者任せにしないこと。と言っておりました。

『街路樹管理』の先進自治体だけに、適正管理の考え方や仕組みもさることながら、職員が誇りを持って仕事をしていると感じました。

担当者の説明や質疑応答から、樹木について知識と愛情を持ち、そして公園街路樹係として「なにをなすべきか」「何を目指すのか」がきちんと理解されていると思いました。

区民世論調査で、『いつまでも住み続けたいまち』永住意向が昭和58年以降、常に70%以上だそうです。何をやるにも、やはり「人」です。

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親水公園

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親水公園

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親水公園

 

祭り

『関東地方は一日中曇り、所により朝夕一時雨も。』
テレビの画面は、各地域とも朝から晩まで見事なほどの「曇りマーク」。しばらくの間、曇天の日が続くと昨夜の予報では告げていました。

今朝4時40分に起きて東の方を見ると、くすんだオレンジ色の太陽が出ており、雲の間からは青空が少し見えていました。

5時に家を出てレイクタウンについたときには、日は昇り青空が広がり、爽やかな風が吹いていました。

心地よい風の中での「ウオーキング」は、良い一日のスタートを感じさせてくれます。

最近の天気予報はよく当たると思っていましたが、たまに「ハズレル」となんとなく安心します。
『そう簡単に先のことが分かってたまるか、まして自然が相手のことで』という思いがあります。

今日と明日は吉川の、『八坂祭』りです。
私の住むモアステージでも今日は、『夕涼み会』です。
自治会が中心になり、模擬店を出します。飲んだり食べたりしながら住民同士の交流を図ります。

25年以上続いていると思いますが、最初は子ども達のための夏祭りで、昼間の暑い中での開催でした。模擬店の他に子どもを対象にしたゲームをやったり、不用品を売ったりしていたと思います。子ども用の「たる神輿」も作り、マンション内を担いでもらいました。
最後には、大抽選会もありました。

吉川に移り住んだ当初、ほとんどの家庭では子育て真っ最中でした。
親たちは全国各地の出身でしたが、『子ども達にとっては、ここ「吉川」がふるさとになる。彼女・彼らが大人になった時、心のふるさとと思えるような、良い思い出に繋がる祭りにしたい』と皆ガンバリました。

やがて、子ども達が成長し定年を迎える方もチラホラ出始めた頃、『夕涼み会』に変えました。

「ネオポリス花火大会」の日に合わせた開催としました。花火を見ながら、大人たちも楽しめるように、生ビールや焼き鳥を片手に隣近所の人と話が出来るような雰囲気の催しです。
『時々、挨拶はするが話したことはない』そんな状況を少しでも減らして行きたいとの思いからです。
「ネオポリス花火大会」が開催されなくなった数年前、今度は「吉川八坂祭り」に合わせた現在の『夕涼み会』となりました。

さらに高齢化が進み、『余り無理をせず、出来る範囲で』と言われて随分経ちますが、まだ新たな形には移っていません。次はどんな形の、『夕涼み会』になるのでしょうか。

「不易流行」。解釈はいろいろあるようですが、『本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものを取り入れる事。変化を重ねていく流行性こそが不易の本質である。』ことを表した言葉だと思います。

地域や国も、本質的なことを守って行くことと、そこに住む人々の状況、時代によって変えていくことがあるのは当然です。同じように見える事でも、その中身、内容は変化します。

『人もまた然り』ではないでしょうか。

今週の活動

7月3日(日)より、「6月議会活動報告」のビラ配りをはじめました。
自宅周辺地区に7,500枚を撒きます。昨日までに約5,000枚を配布。毎議会後に行っていることですが、山と積まれたビラを前にすると、いつまでかかるのかと不安になります。
しかし、用事の合間に少しずつやっていると山は小さくなり、1週間程でメハナが付いてきます。

残っているエリアがかなり広いので、あと3~4日かかりそうです。ポスティングする時たまたまその家の方がいて、『いつも読んでいます。』『ご苦労様です。』等と言われると嬉しくなり、『頑張ろう』という気が湧いてきます。

 

4日(月)午前中。埼玉県庁の商業・サービス産業支援課(産業労働部)へ行き、担当者とスーパー「マルサン」に関連した相談をしてきました。これまで何度も行き、現状の報告と要望を伝えてきました。

「大規模小売店舗立地法」に係わる担当部署ですが、大型店の出店は「許認可」ではなく県への「届出」であることから、指導にも限界があります。まして「マルサン吉川店」は、新規出店ではなく既存店舗が撤退した後に、居抜きで入つた事業者の届出です。そんな中、立地法の精神に則り地域住民の生活環境への配慮について、県として出来る行政指導を行っていると感じています。

「マルサン」代理人のコンサルタント会社との話合いは勿論、「マルサン吉川店」へも何度か来て、状況確認と指導を行っています。
直接、市条例で規制をかけている「吉川市」には、もっと頑張ってほしいと思います。また、誤った判断で「占用許可」を下した責任があります。

 

5日(火)午前中、「会派ミーティング」。今後の予定確認や課題について全員で意見交換をし、会派としての方向性を決めるための話し合いです。
9人で話し合うことで、見方が多角的に幅広く深くなり共通の理解ができます。

 

6日(水)午前、吉川松伏消防組合議会の傍聴へ。
伊藤議員の質問。
救命士暴行事件で、『暴行の当事者と示談の相手は別人ではないか?』『同一人物とした理由は』に対し、吉川消防署長が答弁。中原管理者は答えませんでした。今回も、納得できる明確な説明はなかったと思う。吉川議会での答弁との整合性やギャップが広がったように感じます。
夜は、暑気払いの会食。

 

7日(木)午前中ビラまき。
強烈な暑さで、2~3時間で腕が真っ赤に日焼け。晴天の日はやはり、早朝か夕方からでないとムリです。畑の草取りと一緒で、日中は効率が悪いし「熱中症」の恐れもあります。

 

8日(金)午後、小松川工専地区へ。
モノづくりをしている会社と産廃事業者との長年のトラブル。振動や粉じん、ダンプの通行に伴う交通の危険・道路の損傷等の被害は拡大し、このままでは工専地区が産廃団地化する恐れも。
両者の話し合いに繋がればと、3月議会の頃から双方に働きかけてきたが、うまくいきません。

現状の課題は大きく、根は深い。非常に難しい状況で根本的な解決には、多大な時間と金のかかる問題です。それぞれの当事者間の問題もありますが、工業団地全体の話です。当然、市民生活と吉川市にも係わることで、工業団地内での話し合いは当然のことですが吉川市のリーダーシップが求められます。
市・市民・団地内の事業者にとって、ほおっておけることではありません。

 

9日(土) 午前中、モアステージで『6月議会報告会』。明日は、「おあしす」での『6月議会報告会』。

 

梅雨晴れ

今年の梅雨の晴れ間は、本当に夏の日のように感じます。
強烈な暑さで真夏のようです。

関東では6月5日に梅雨入りしましたが、雨がしとしとと続きジメジメした感じがありません。

少なかった雪と少ない雨の影響で首都圏の水がめは危険な状況になっているようです。特に群馬県にある利根川水系のダムでは、貯水率が下がり(平均で40%)取水制限(10%)が始まったそうです。
渇水により農業や生活に影響が出る恐れがあります。

一方、九州では大雨による被害が出ています。
降ってほしくない所には沢山降り、欲しいところには降りません。人の思い通りにはいかないものです。

それにしても、随分と変わったと思います。
温暖化の影響なのか、雨の振り方が変わったのか、ファッションなのか分かりませんが、雨の日に長靴を履き、レインコートを着ている人を見かけません。

雨の日には長靴、レインコートに大きな雨傘。伝統的な雨の日スタイルはなくなりました。
道路は舗装され、交通網の整備が進み、雨の降り方が変わったからでしょうか。

濡れたアジサイに「でんでん虫」を見つけ、小さな水たまりに長靴でビチャピャ入る子どもたちの姿を見かける事も随分と少なくなったように思います。

生活の楽しみがまた一つなくなって行くようで何とも、寂しい感じがいたします。