幻の米「亀の尾」

今まで訪ねた蔵元の中で、印象深い蔵の一つは「久須美酒造」です。

新潟県長岡市の田園地帯にあります。 蔵の前には田んぼが広がり、裏山は樹齢300年の杉山です。 天保4年(1833年)の創業で、漫画「夏子の酒」のモデルになった蔵です。テレビでもドラマ化されたようですが、私は漫画もテレビも見ていません。

“中越地震”の時、裏山が崩れ山側の棟が倒壊したそうです。杉の老木が直撃し、大きな被害を受け、一時は「廃業」も考えたと聞きました。 具体的な惨状の話は忘れてしまいましたが、その時話をされた社長の姿が心に残っています。

白と黒の「建物」、田んぼの稲、杉山そして青い空。ホットする場所でした。オシャレというより上品な佇まいでした。180年前の姿が浮かんでくる、日本の美しい風景だと感じました。

蔵で働く方々も、どこかゆったりとした中に凛とした雰囲気がありました。雪景色の中、1~2℃の冷たい水で米を研ぐ姿(勿論、素手での作業)が想像されます。今、酒づくりを目指す若者(最近は女性も)があちこちで見受けられるのは、日本酒の将来にとって一つの期待です。かつて酒づくりは、“女人禁制”で蔵への立ち入りは許されませんでした。新たな時代に入ってきたと思います。

『「亀の尾」で造った酒をもう一度飲みたい』 。杜氏の一言から亀の翁(かめのお)が生まれたそうです。 「亀の尾」の種もみを探しだし、近所の農家を説得し、有機栽培で育ててもらい、出来たお酒です。

明治時代。山形県の庄内地方で「冷害」の時、実っていた稲が数本発見されたのが始めです。発見し品種改良を進めた方の名前が、阿部亀冶だったことから「亀の尾」と付けられたようです。 寒さに強く、食味が優れていることから飯米・寿司米として、また酒造好適米として人気となり、東北地方をはじめ朝鮮半島でも広く作られていたそうです。

現在盛んに作られている、「コシヒカリ」「ササニシキ」そして酒米の「五百万石」「たかね錦」のご先祖です。 「亀の尾」が作付けされなくなったのは、化学肥料に弱いという性質から、時代の中で消えて行ったのだと思います。 また、酒造好適米は大体背丈が高く、育てるのが大変だからではないでしょうか。

酒造好適米代表、「山田錦」などはその典型です。

以前、神奈川県の海老名で、やはり近所の農家の協力を得て酒を造っている蔵元で、『山田錦は背が高く、粒が大きく重いので倒れやすい。お百姓さんも最初は戸惑っていた。』と聞きました。

「久須美酒造」の、亀の翁(かめのお)や清泉(きよいずみ)はやさしい味がしました。