衆議院解散総選挙

ほんの数日前まで、臨時国会での冒頭解散について、「大義なき解散」、「森友・加計疑惑隠し」の身勝手な解散だと言われていました。

何の為にこの時期、行う解散なのか分からない。安倍首相の姿勢に疑問と批判がありました。

しかし、そんなことは一瞬にして吹っ飛んでしまいました。

9月27日(水)、小池百合子都知事が代表を務める「希望の党」結成。国会議員14人が参加。

28日(木)午後、民進党が両院議員総会を開催。前原代表が、「希望の党」との合流を提案。満場一致で了承されたという。民進党は事実上解党してしまった。

水面下でのこれまでの動きは分かりませんが、外から見ると余りにも唐突で乱暴な判断のように思います。家の周りに火が迫り、煙が立ち込めてきた中で、『皆様、これからどこへ逃げましょうか』と相談した様に感じます。冷静かつまっとうな議論は出来るはずもありません。

前原氏は、「名を捨て実を取る」と言っていますが、小池代表は「合流ではない」「全員受け入れ、さらさらない」「絞り込みをする」等と発言。政策的に一致出来ない人は「希望の党」の公認にはしないと明言しています。

「希望の党」に綱領はありますが、理念・政策の中身、具体的方針・姿勢が見えない中、「排除」の論理で組織の運営は上手くいくのでしょうか。 政策の一致の中には当然、安保法制・消費増税・憲法改正等があります。民進党として、これまで反対してきた事に対し、一人一人の議員はどう判断するのでしょうか。

安倍首相が、「今なら勝てる」と決めた解散ですが、自・公と野党の対決構図が一変してしまい、「政権選択選挙」の様相を呈してきました。

今更、言ってもしょうがないのですが、解散の意義がよく分かりません。我々国民に何を問うのでしょうか。問う前に、国会でしっかりと議論を尽くして頂きたい。民進党解党は何のため、誰の為に行ったのでしょうか。

10月10日告示、22日投票の衆議院解散総選挙。もうすでに舌戦が始まっています。むなしく聞こえます。喋れば喋るほど、ホンネは逆のように聞こえます。

市議会では無所属市民派、国政では無党派。これまでの選挙では全て、*「よりマシな人」に投票してきました。 今度の投票も基本的姿勢は変わりませんが、すごく悩みそうです。

*勿論、私から見たよりマシな人です。

*追記 『「最も苦しい時と絶頂期、どう生きるか」で、その人の価値が決まる。』と言われています。その時の、「言葉と行動」でその方が見えてくると思います。昔、著名なエコノミスト(元銀行役員)と話をした時、倒産寸前の会社に融資するかどうかの最終判断をする際、「何を見るのか」を伺ったことがあります。それは、社長や従業員がどう生きているのか、立ち向かう姿です。

しかし、実際には難しいことです。「苦しい時」、真正面から受け止め、立ち向かう人はほとんどいません。他人のせいにしたり、逃げたり、あきらめたりして、ごまかします。家族やまわりの人にあたることもあります。逆に「絶頂期」には、それは当然の事(結果)であり、自分の力で出来た。しかも、それが続くと思ってしまいます。自分には、それだけの力・能力があり、魅力があると考えがちです。私自身の過去を振り返っても、そのように思います。

『「最も苦しい時と絶頂期、どう生きるか」で、その人の価値が決まる。』と初めて聞いたのは、大学時代。お世話になった先生からです。簡単に出来ないことだからこそ、「どう生きるか」が大切だと思い、その都度、悩みながらこれまで歳を重ねてきました。