再び「川上澄生」

先日、知人から思わぬものを送って頂いた。展示会図録です。

川上澄生美術館が2009年6月に出したもので、「川上澄生と民藝ー濱田庄司・芹沢銈介・塚田泰三郎・棟方志功と共にー。 2009年6月5日(金)~8月30日(日)まで開催された時に発行されたものです。

川上作品を、「民藝」の視点からスポットをあてると共に、民藝運動に関わった仲間で当時交流の深かった濱田庄司(陶芸)、芹沢銈介(染織)、塚田泰三郎(和時計研究)、棟方志功(版画)の作品を同時に紹介した展覧会でした。 栃木県の黎明期の民藝運動について、関わった人物をたどりながら紹介した企画展です。

知人は、私が3月10日に書いたブログ、「川上澄生」を読んで美術館へ行ってみたとのことでした。嬉しいことです。 すでに、吉川から転居されている方ですが、美術館で見つけた展示会図録を購入し、送ってくださいました。有難いことです。

図録は79ページにわたり、彼らの作品や活動、柳宗悦、バーナードリーチ等との交流が紹介されています。 そして、日本民藝協会が発行した「工藝」の中で、濱田・塚田・棟方・柳が、「川上澄生」について書いたものや、川上が自身のことを書いたものが民藝関係資料としてまとめられています。*昭和13年~31年に発行された工藝」の中より

濱田庄司や柳宗悦の人物評もオモシロイですが、川上本人の版画三十年(我流身の上話)の中で書かれている版画制作の自伝的取り組みや画因(制作動機・モチーフ)等は興味深い内容です。両方を読んで、「川上澄生」の実像が近づいてきたように思いました。一つ一つの作品の背景が浮かび、「川上澄生」の思いが伝わってくるように感じます。

「自分のことは己がよく分かっている」と思いがちですが、そうでもないようです。自分と他人の目は違います。 自身の長所・短所、仕事に対する評価、人との関係等、自分が思っていることと、他人が感じていることには相当「ズレ」があると思います。 それは自身の声や姿を、自分では見ることも聞くことも出来ないことと同じ理屈のようです。

この「ズレ」を埋めるには、どうしたらよいのでしょうか。

 私の手帳には、『為さざるなり、能わざるに非ざるなり。』と書かれています。何年もの間、毎日これを見ています。 『出来ないのではない、しようとしないのである。』出来ないのは己の責任、と言い聞かせています。その時、『どう生きるのか』が問われているのだと思っています。

自分では、「難しいことほど難しい」のですが、他人から見ると、「それ程難しいことではない」のかも知れません。

*(追記4/28PM9:10分)『どう生きるのか』は、人それぞれで違うと思いますが、私は、『素直』『感謝』『挑戦』だと思います。在籍していた会社の社訓でした。在籍時は特に感じませんでしたが、会社を離れてみると改めて大切な姿勢だと気づきます。『どう生きるのか』に対する基本的な態度、心構えだと思います。

生きていく中で、それらを阻む人や出来事(状況)が余りにも多くあり簡単に続けられることではありません。だからこそ、目標となるのだと思います。