「戦争」が終わって75回目の8月15日を迎えました。
日本が戦いに敗れた1945年8月15日から、今日で75年です。
若い頃は、8月15日は「終戦」ではなく「敗戦」の日だと考えていました。いつの頃からか覚えていませんが、「終戦」という言葉の方がしっくりとします。当時の人たちの素直な感情は、「やっと終わった」という気持ちだったと思います。
終戦から2年5カ月目、私は東京都杉並区荻窪で生まれました。
子どもの頃、自宅の縁の下には鉄カブトや飯ごう、そして兵隊が履くような靴が転がっていて、西荻窪駅近くの広場には、*「くず屋」が集めた鉄カブトが積まれていました。近所の仲間とその鉄カブトをかぶり、「戦争ごっこ」をしていました。
荻窪駅をはじめ、新宿・池袋・有楽町・銀座・上野等、駅や繁華街には白い着物姿の傷痍軍人がいました。
手や足を失った人や目に傷を負っている人が松葉杖をついて立っていたり、腕立ての姿勢で募金箱を置いていました。アコーディオンを弾いて軍歌?を歌っている人もいたように覚えています。
母は、「本当に戦争で傷ついた人もいるがそうでない人もいる。」と言っていました。
新宿では、中央線・山の手線ガード下の傷痍軍人はいつも汚れた着物をまとった人でした。
1980年代。上野駅前のデパートで食品を担当していました。8階催物会場で毎年8月15日頃に「すいとん」を出していました。
店内にあった蕎麦屋の親父さんに頼んで、「すいとん」を作ってもらいました。
食べるのは、戦争を知っている世代が多かったように思います。食べ終わると、「こんなに美味しくはなかった。」と、ほとんどの方が言いました。
結婚するまで実家にいましたが、毎年8月15日には必ず「すいとん」が食卓に上りました。黙って食べますが、2回、3回と続けて出てくると「また、すいとん」と言うと、母も父もそろって「あの頃は、こんなに美味しくなかった。食べるものがなかった。」と。
我が家でも今日8月15日は、「すいとん」が出ます。
*「くず屋」: 当時、リヤカーを引いて廃品を回収する仕事