平和のつどい・戦没者追悼式

吉川市平和のつどい・戦没者追悼式が今日、「市民交流センターおあしす」で開催されました。

 毎年、8月第1週の土曜日に行われています。私は11回目の出席です。列席されている「遺族会」の方々の高齢化も進んでいます。

吉川市出身の戦没者は400柱を超えています。当時の人口を考えれば、いかに大変な戦争だったかが分ります。働き手を失った家族の苦労は、都市でも農村でも変わらないものだと思います。

旧庁舎敷地の一角に戦没者の名前が刻まれた慰霊碑があります。古くからこの地で暮らしていた方々の名前が見られます。

私のところでは、父の弟(叔父)がサイパンで戦死したと聞いています。母の兄(伯父)は中国へ行きました。

叔父のことは知りません。私が生まれた時にはすでにおりません。区役所に勤めていたと聞いています。 父が退職後、母と一緒にサイパンへ慰霊の旅に行きました。船から花を投げている写真を見たように思います。行く前にお線香等を用意していました。

中国から帰った伯父からは、戦地での生活や町の様子を聞いた記憶があります。 お酒を飲むと、よく分からない中国の歌を歌ったり、片言の中国語を話していました。随分とひどいこともしたようです。 天井裏に置いてある軍刀を見せてもらったこともありました。

子どもの頃、終戦記念日が近づくと必ず「すいとん」が食卓に上がりました。不満を言うと、『戦争中はこんなに美味しいものは食べられなかった。』と両親が口をそろえて言っていました。

毎年、我が家でもこの時期には「すいとん」の日があります。妻が用意してくれます。 「すいとん」を食べると、子どもの頃を思い出します。