今日8月6日(土)午前10時より12時まで、市民交流センターおあしすで、「平成28年度平和のつどい・戦没者追悼式」行われました。
戦死された方の遺族や関係者をはじめ市民の皆様、総勢160名が出席されました。行政からは、市長・副市長・部長、議会関係者は県議と市議が出席しています。私も9回目になります。
戦没者追悼式は、①国家斉唱 ②市長の式辞 ③全員で黙とう ④追悼の言葉(市議会議長・県議・遺族会会長)と続き、最後に出席者全員による献花で終了しました。
平和のつどいは、「吉川市平和都市宣言」の朗読と「平和の歌声」は昨年と一緒で、宣言の朗読は中央中3年生3人(昨年は南中?)平和の歌声は吉川混声合唱団でした。今年から新たに映画上映と語り部による講演が加わりました。原爆投下後の長崎市内の映像と講演「原爆の悲惨さを知り、平和の尊さを知る」。小学生の時長崎で被爆した久保山さんが、昨日のことのように語る内容でした。実際に体験された方の話だけに、訴える重さを感じました。
吉川でも年々戦死された方の配偶者も少なくなり、その家族の高齢化も進んでいます。本当の戦争を知る世代がいなくなってきました。吉川から出征し戦死された方は400柱を超えると聞いています。当時の人口を考えると、大変な戦争だったと思います。
先日、難民(イラク?)として日本で生活している女性の方の 話(TV放映)が印象的でした。
『戦争というと、銃を持って戦っていると思われるでしょうが、実際は違います。読みたい本が読めなくなり、言いたいことが言えなくなる。そして好きな所に行くことも出来ません。新聞や放送も、本当のことを伝えなくなる。それが戦争です。』と言っていました。
きっと、あっという間に世の中の空気が変わってしまい、戦争遂行の邪魔になることは全て排除される社会になると想像できます。
自由と民主主義の国アメリカで起こった、9.11後のイラク戦争に向かつた時の状況を思い起こすと、妙に納得できます。
2001年9月11日ニューヨークマンハッタンの世界貿易センタービル(ツインタワー)に航空機が突っ込み、ビルが崩れ去った映像は衝撃的でした。同時多発テロで3000人を超える方が亡くなりました。
2001年9月、テロへの報復としてアフガニスタン戦争が始まり、2002年1月には『イラクは悪の枢軸、核の脅威がある』とイラク非難を行い、2003年3月19日米英がイラク空爆を行いイラク戦争が始まりました。この間のアメリカ議会、マスメディアそして市民も、『戦争に反対するのは非国民』一色に染まっていました。戦争に反対したり疑問をはさむ人々には地域・国中からバッシング起こり、職を奪われた人もおりました。恐ろしいことですが、狂人の中の正常者は「異常者」とみなされます。
今日8月6日は、広島が被爆71年となる「原爆の日」を迎えます。