立春の2月4日(土)、「花供養」に出席しました。
吉川市華道協会が主催(後援 教育委員会)する催しで、今年で15回になります。
昨年は中央公民館で行われましたが今年は真言宗 延命寺での開催でした。
開催案内には、『花供養・・・ お花を生けることは、美しく見せるという事でありその為には「切る」ことから始まり、曲げる、折る、煮る、焼く等、花の命を絶つことであり 「針供養」のように花を供養する集いです。』とあります。
案内には少し疑問を感じる点もありますが、趣旨からすればお寺さんでの開催がふさわしいと思います。
吉川に移り住んで27年になりますが、初めて「延命寺」さんの本堂に入りました。吉川で最も有名なお寺の一つで、吉川橋の近くにあります。
かつて吉川が水運で栄えた頃(江戸時代から明治)、遊郭?(と呼べるかどうか分かりませんが、そのような場所)まであった賑やかな所で、武蔵野線が開通するまでは、「吉川銀座」と呼ばれていたと思います。
吉川駅開設で新たな商店街が出来、街が変わり、現在は吉川橋の架け替え工事と県道の拡幅工事でほとんどの店はなくなりました。「吉川銀座」の面影はありません。
しかし江戸時代から続く川魚料理の料亭と県道から入った狭い路地、古い町並みにかつての様子がうかがえます。
太古の昔東京湾の入り江だった一帯ですが、現在吉川では最も標高の高い場所だと聞いています。標高は2~3メートル位で、利根川や江戸川、中川が氾濫しても水没しない所だと言われています。
人間の記憶は不思議だと思います。言葉や風景、匂い、その場所の雰囲気などで突然昔のことを思い出すことがあります。
「延命寺」さんの本堂に入り、幼稚園の頃のことを思い出しました。中央線の踏切を渡り、善福寺川を越えた少し先に幼稚園がありました。家から10分ほどのところでした。
お寺が経営する幼稚園でしたので、卒園式の写真も本堂で撮りました。時々、本堂に入れられた記憶があります。扉を閉められると、薄暗い中でいろいろな仏具が金色に輝きご本尊に見つめられているようでした。独特の空気、雰囲気です。
自分ではそれほどいう事を聞かなかったり、いたずらをした覚えはないのですが、なぜか私一人だけ入れられていたと思います。
それでも毎日、母の作ったお弁当を持って元気に通っていました。お弁当は、「のり弁」か「油揚げ」でした。「のり弁」はごはんの真ん中と一番上にのりが置かれ、醤油が掛かっています。「油揚げ」弁当は、ごはんの上に甘辛く煮た「油揚げ」が載ったものです。
この2種類以外の弁当は食べたことはありません。今でも、海苔といなり寿司は好物です。この時代の影響だと思います。
*ブログの更新が遅れ申し訳ありません。