10月26日(木)~27日(金)、行政視察に行ってきました。
総務水道、文教福祉、建設生活の三常任委員会合同での視察研修です。 今回は20名全員が参加。議員生活10年目ですが、全員参加は初めてだと思います。
26日(木)午前10時、“なまりん”のバスに乗り吉川市役所を出発。27日(金)午後5時17分に戻りました。
ピンクの“なまりん”の大きなイラストが描かれたバスです。どこへ行っても注目されますが、パーキングエリアや視察先でもすぐに見つけて戻ることが出来るので助かります。
視察市は、千葉県の南房総市・鴨川市・香取市です。南房総市では、地域公共交通網形成計画への取り組み、実施状況。鴨川市は、地域包括支援センター事業。香取市は、水の郷さわらの整備事業についての視察研修です。26日(木)の昼食は、道の駅・保田小学校跡地でとりました。統・廃校になった「小学校」の面白いと使い方だと思いました
南房総市や鴨川市での取り組みは、成功事例の先進地として全国から注目され評価されており、学ぶことは少なからずあります。しかし、吉川市として同じようには出来ません。地域の広さや高齢化率そして地域資源等、実状が異なります。
鴨川市は人口約33,000人ですが、市内には鴨川市立国保病院や亀田総合病院、亀田医療大学等もあり、医療関係従事者は4,000人います。亀田総合病院は県内をはじめ首都圏は勿論、海外からも患者が来ている病院です。
私が特に興味を持ったのは、「水の郷さわら」の「佐原広域交流拠点整備事業」です。
利根川のスーパー堤防(高規格堤防)上に、川の駅(河川防災ステーション・水辺交流センター等)・道の駅など、安全でにぎわいのある広域交流拠点を整備した事業です。 国と千葉県、香取市が協議して施設を整備し、4つの拠点機能があります。
整備事業の概要は、①利根川下流の防災拠点 ②利根川の風景と自然環境を生かした水辺利用拠点 ③河川改修や舟運の歴史・伝統を生かした文化交流拠点 ④舟運と道路交通の利便性を活かした交通交流拠点です。国・県・市は連携し、それぞれの役割に沿って整備を進めました。
香取市は水辺交流センターや道の駅をPFI事業で造っています。事業者が施設を建設し、管理者への引き渡し後も引き続き、維持管理・運営を行っています。 市は建設費を分割して払うとともに、施設使用料の他、道の駅での売り上げの5パーセントを市の収入としています。国有財産(スーパー堤防)の上に市の施設があるのはユニークです。
スーパー堤防(高規格堤防)は、「堤防の幅を、堤防の高さの約30倍」にしたもので、堤防の傾斜も緩やかした一つの台地です。
前から一度、実際にその上に立ってみたいと思っていましたので、行くことが出来て良かったです。
以前、野田市にある江戸川河川事務所に伺った時、『かつて、堤防が決壊した所を中心に、スーパー堤防をつくる』という話を聞いていましたので、このあたりの場所は決壊したことがあったのかを聞いてみました。担当者(国交省利根川下流河川事務所)からは、『ないと思います』との返事でした。
本格的な治水工事が始まったのは、戦国時代の16世紀後半だと伝えられています。戦国大名が、経済基盤となる水田と城下町を守るために行いました。
天正18年(1590年)江戸に入った徳川家康は、江戸のまちを水害から守るため利根川の川筋を変えて、「銚子」へそそぐようにする大工事を命じました。 家康の命を受け工事をしたのは、関東郡代の「伊奈一族」でした。 文禄3年(1594年)から工事が始まり、60年かけて出来ました。家康による「利根川の東遷」と言われます。
「利根川の東遷」により、吉川を流れる太日川(ふといかわ・江戸川)は、寛永18年(1641年)に利根川の分流となりました。その後、明治・大正・昭和そして現在まで、利根川・江戸川の河川改修は続けられてきました。これからも続く事業だと思います。
「まちづくり」の基本はやはり、「治水」です。吉川の『総合治水対策事業』はまだ終わっていません。
*短い時間でしたので一部しか見ていませんが、利根川の素晴らしい景観の中で、川の駅での体験学習、道の駅での佐原の特産品購入・飲食等が出来ます。改めて訪ねたい所です。
*いつも感じることですが、先進自治体の成功事業には必ずそれに取り組んでいる「熱い職員」がいます。人・モノ・金と言いますが、「人」が最も大切だと改めて思いました。