池上彰さんの「夜間授業」

昨日、池上彰さんの〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」」第2回「江副浩正」に行ってきました。麹町にある文藝春秋西館地下ホールが教室です。

授業開始は午後7時からでしたが、受付の6時前から参加者が集まってきました。6時半には、7~80人の受講生で満席でした。 サラリーマンやOL、学生、高齢者、車イス利用者等幅広い層の人が来ておりました。

帰りに玄関を出ると、正面に「救急車」のような車が止まっており、車イスでの参加者がリフトから車に乗る所でした。私と一緒に受付に並んでいたご婦人は、『直接、池上さんのお話しを聞きたい』と杉並から来られた方で、80歳を超えていました。池上さんの人気度と支持者の厚み・意欲を感じました。

今回のテーマは、「江副浩正」です。 「リクルート事件」で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた人です。

事件は政治家、財界人、役所(文部省・川崎市役所)に広がる大事件となりました。江副さんは、衆議院リクルート委員会での証人喚問席にも立つことになりました。現在の「モリ・カケ問題」を超える大騒動だったように記憶しています。

配布された「江副浩正」年表から見ますと、1955年(昭和30)に甲南高校を卒業し、東京大学文科三類へ入学しています。

「東大学生新聞会」で広告営業のアルバイトをはじめ、「東大新聞」に初めて求人広告が載ったそうです。

1960年(昭和35)卒業、㈱大学広告を設立。1962年(昭32)、世界初の就職情報誌「企業への招待(後にリクルートブック)」を創刊。「TI型性格類型検査」や総合適正検査「SPI」の販売開始。その後、転職情報誌「就職情報」、女性転職情報誌「とらばーゆ」を創刊。

また、1974年(昭49)には 長谷川工務店(現、長谷工)と提携し、マンション販売をはじめに不動産業に乗り出し、月間「住宅情報」、6か月後には週刊「住宅情報」を創刊。 1981年(昭56)12月「安比高原スキー場」をオープン。

1982年(昭57)、アルバイト情報誌「フロム・エー」創刊。19 84年(昭59)、社名を「リクルート」に変更。海外旅行情報誌「エイビー・ロード」、中古車情報誌「カーセンサー」創刊。

経団連、経済同友会に入会。12月、不動産取得の資金調達のため株式上場を計画していた「リクルートコスモス」の未公開株を、川崎市助役や森喜朗ら3人の国会議員を含む73名の個人と37法人へ譲渡。

1985年(昭60)中曽根内閣の土地臨調委員、教育課程審議会委員、政府税調特別委員に就任。NTT高速デジタル回線リセール事業、コンピュータレンタル事業等、ニューメディア事業立ち上げ。1987年(昭62)「シーズスタッフ」設立。人材派遣業開始。

1988年(昭63)6月16日、リクルート事件第1報。「川崎市助役への未公開株譲渡」を朝日新聞がスクープ。10月20日、コスモスの社長室長が贈賄容疑で逮捕。江副氏は11月21日衆議院で証人喚問。

1989年(平成元年)2月13日贈賄容疑で逮捕。小菅拘置所に収監。6月2日、竹下内閣退陣。

6月6日保釈、保釈金2億円。12月15日、リクルート裁判第1回公判。 2003年(平15)3月4日東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。3月17日、一審判決が確定。

2008年(平20)3月18日執行猶予明ける。 2013年(平25)1月31日、東京駅新幹線ホームで倒れ、2月8日肺炎のため都内の病院で逝去。享年76歳。

2014年(平26)10月10日、東証1部上場。時価総額1兆9,000億円。とありました。(*概略)

池上さんは、NHK社会部時代の「リクルート」との関わりや、日本が「高度経済成長」の時代を迎え発展する中で「リクルート」が「情報ビジネス産業」の旗手として成長し、日本株式会社の『人事部』を目指し取り組み活動してきた経過と役割について話をされた。また、そうした中で起きた「リクルート事件」を独自の見方で解き明かしていきました。

人々が求める就職・転職・住宅・海外旅行・農業等の関心を「情報誌」として提供。職場では若者と女性を仕事の中心におき、因習、差別を排し、既成秩序を壊していった「風雲児」としての側面と、事業のさらなる拡大を目指す経営者として、政財界との関係や「未公開株の譲渡」を行った人間「江副浩正」に迫って行くものでした。

お話しを聞く中で、新聞を中心にしたマスコミと新たな情報ビジネス産業(リクルート)との戦いであったように、私には感じられました。正義感に燃える記者がスクープを取ることと、新聞発行経営者が考えていた「思惑」は全く違うものであったと思います。

あの時代「東大」を出た方は、官僚や学者になったり、銀行や基幹産業に勤めるのが一般的でした。自ら起業し、成功した東大出は珍しく、いなかったと思います。その後、ライブドアの堀江貴文(ホリエモン)や村上ファンドの村上世彰(よしあき)が続きましたが、二人とも同じような道を歩むことになりました。なぜでしょうか?

歴史に「もしも」はありませんが、「江副浩正」が逮捕されていなければ、世界を代表する情報ビジネス産業「リクルート」として世界ブランドになっていたと思います。世界で最も「働きやすい会社」としての地位を確立していたのではないでしょうか。

*次回の池上彰〈夜間授業〉は、第3回「小泉純一郎」7月20日(金)です。

〔6月24日追記〕池上さんは、前置きもなく本題に入り1時間半話された後、質疑応答の時間を取りました。質問に込められたその方の思いを読み取り、いろいろな視点で応答をされていました。その様子からは、分かり易く伝えることとともに、質問者から「学ぶ」という姿勢を感じました。

サラリーマン時代、異業種勉強会(毎月定例)に行っていました。数十年続けていましたので、いろいろなジャンルの方を講師に迎えました(こちらから伺うことも)。テレビ・新聞等マスコミ関係者、大学教授、医師、エコノミスト、企業の経営者、国連職員、家元(お茶・お花・香道)、武道家、芸術家、職人さん(盆栽・提灯等)、宮大工、仏像修復者、美術館学芸員等々です。

「講師料」はなく、交通費程度でお願いをしていました。著名な方で、一講演数十万円、百万円という人もおりました。対応ははっきりしていました。『私は、○○○円以下では出来ません』という方と『私の話を聞いて、「それは違うのでは」と意見を言い、議論が出来るのであれば行きます』という方です。池上さんは、後者のタイプだと思いました。売れっ子タレントのような中で、普通の生活者の「話」や「思い」を聞きたいという態度からそう思いました。