3月13日(金)午前8時55分より、中央中学校体育館において第34回卒業証書授与式が行われました。
6クラス236名の卒業生と在校生、教職員、保護者、来賓が見守る中、小澤賢一校長より一人一人に卒業証書が手渡されました。
式は、出席者全員が起立し国家並びに校歌を斉唱。卒業証書授与の後、校長式辞、教育委員会告示と続きました。
校長は式辞の中で、『変化の激しい難しい時代だが、希望を持って前向きに歩んでほしい』『より良い社会のために何が出来るかを考え行動していただきたい。誰かが何かをしてくれることを期待するのではなく、自分でできることを一歩づつやっていくことが大切』、卒業は『美しい別れ』であると結び、卒業生の門出を祝福、激励されました。
来賓として中原新市長が出席。自らの言葉で短く祝辞を述べられた。在校生送辞を受け、卒業生答辞の中で、『手紙~拝啓十五の君へ~』が歌われ、式歌は『旅立ちの日に』でした。卒業生と在校生が一緒に式歌合唱の後、閉式の言葉、一同礼で全てを終え11時過ぎ式典は終わりました。
教育委員会が作ったと思われる、いつもの長い「市長祝辞」を教頭が代読する今までの味気ないものに比べれば、かなり良かった。しかし、最もよかったのはやはり「歌」でした。歌の力はスゴイ。卒業する生徒たちには3年間の出来事や思いがよみがえり涙。同席している先生方、両親・保護者、来賓の方々も皆、15歳の時に戻っていた。一瞬、時が止まり過去がよみがえる。そして、「あの時の自分はどこに行った」と自らの心に尋ねていたように感じられた。
来賓の方々の挨拶は、それぞれ一生懸命考えてきたものだと思う。未来のある若者のために良かれと思い、自らの反省も込めて教訓めいた話をするが、なかなか届かない。「歌」の力にはかなわない。
小さな子どもは、会った瞬間に相手が自分より強いかどうか、友達になれそうかどうかを判断する。自分を守ってくれる大人なのか、そうでないのかを見抜く力がある程度あるように思う。若者は知識や経験が少ない分、時代のにおいを嗅ぎ分け、世の中の現実と将来の姿を見とおす力が大きいと思う。
年寄りが優れているのは、人間に対する理解力であり、失敗も成功も同じようなものだと分かっていることではないだろうか。長く生きてきた分、どんな人にも喜びや悲しみ、怒りがありそしてそれらを繰り返してきたこと。どんな人にも悩みがあること。元気はつらつ、飛ぶ鳥を落とす勢いの絶頂期と失望のどん底と思える辛い時期があったこと。そして人生はその繰り返しだが、「人それぞれで、受け止め方が違う」ということを知っていることだろう。
多くの人は、目指す学校や勤めたい会社に入れなかった、やりたい仕事に就けなかった、好きな人と結婚できなかった等、目標や望みが叶わなかったことを幾度となく経験している。判断を誤り、とんでもないヘマをしてきたことも。しかしそのお陰で、自分でも気づかなかった活躍の場が開け、力を発揮したり、新たな友人や生涯の伴侶を得ることもある。その結果として、今の自分があり、今の幸せがあるとも言える。反対につぎつぎ目標や夢をかなえ、地位や名誉、富を得たことで不幸になる例も多々見てきている。成功と失敗は表裏一体であり、紙一重で変わるものだと思う。
過去を振り返った時、『あの時の失敗は成功であり、成功は失敗だった』とも言える。
どんな人にも失敗があり、傷つき、痛い思い出がある。あの時、「あの一言を言わなければ」「そういう判断をしなければ」「やらなければ」良かったということは沢山あると思う。しかし、今の自分があり、今の幸せに繋がる人生を大きく変える出来事は、むしろ「失敗」したことで得たと私は思っている。
『目標や夢をあきらめずに、努力してほしい』と語る大人たちの言葉に、『本当にそうかなぁ~』と考えるのは私一人だろうか。