京王プラザホテル

今日、京王プラザホテルが開業50年を迎えたそうです。

1971年(昭和46年)6月5日、西新宿の淀橋浄水場跡地に建てられた地上47階地下3階の超高層ホテルです。地上170メートルの高さは当時日本一でした。広大な浄水場跡地に立っているのは京王プラザホテルだけで、駅前から見る華麗な姿に見とれていました。

今でこそ東京都庁や三井ビル・住友ビルなどの超高層ビル群ですが、当時は現在の姿を想像できませんでした。

新宿は子どもの頃から買い物に来ていましたし、通学(大学)や通勤時の途中駅でした。淀橋浄水場へは小学校の社会科見学で行きました。
その頃新宿の繁華街は伊勢丹や三越、歌舞伎町など東口側で、西口は小田急と京王電鉄の駅と百貨店、そして青梅街道側のション便横丁(飲みや街)ぐらいしかなかったと思います。

京王プラザホテルのことを勤務していた会社の副社長から聞いたことがあります。三井信託銀行から副社長に迎えたH氏(銀行では専務)です。H氏の話では、当時、京王帝都電鉄社長だった井上定雄氏がホテルの建設を計画した際、東急の五島昇氏が当初は反対したそうです。
140億円を掛けて作るホテルの経営を心配したようです。井上社長が五島社長を説得しホテルは出来ましたが、井上社長は電鉄の株主総会で株主に(誰かは聞いていません)追及され、電鉄の社長を辞任されたといいます。

京王帝都電鉄の大株主(当時)である東急からすれば、京王が初めて手掛ける大型ホテル事業に対し、ホテル経営の難しさや採算面、そして京王の体力などから心配したと思われます。

東京の一鉄道会社である京王帝都電鉄が、新宿副都心に一番初めに建てたのが京王プラザホテルです。

地上170メートルの日本一高い超高層ホテル。日本中が驚くとともにその名は津々浦々に知れ渡り、京王帝都電鉄の名も広めました。建てた鹿島建設もまた、「超高層の鹿島」として名を馳せました。

京王プラザホテルが出来たことで新宿副都心の開発が本格化し、今日に繋がったことは間違いありません。

井上社長の決断は、新宿副都心発展と京王グループ飛躍の大きな礎になったと思います。
すぐれた経営者だと思います。

*普段はお茶を飲むくらいの利用でしたが、ホテルに甥が勤めていましたので、兄妹の家族(甥・姪)の結婚式で行ったり、新婚旅行の前日に宿泊しました。私が勤めに出た1年後に出来たホテルですが、半世紀も経ったと思うと…。

副社長には、そごう(デパート)の水島社長のことも伺いました。勤めていた銀行は違いましたが、戦時中に水島さんと一緒に仕事をしたことがあったそうです。水島さんの人柄や、なぜ銀行を辞めて「そごう」の社長になっのか等、興味深い話でした。