終わりが見えない戦争

終わりが見えない戦争。
ロシアのウクライナ侵略はいつまで続くのか。いつ終わるのか。
誰にも分かりません。

攻撃が拡大し悲惨な状況が繰り返されています。

攻撃は軍事施設だけでなく、都市や農村のインフラや住宅・学校・病院・劇場・教会・工場や畑等、見境のない破壊が執拗に行われています。
また、兵士だけでなくその土地で暮らす市民までを標的にし、子ども・病人・妊婦・年寄りも関係なく殺戮しています。挙句の果て、婦女子を強姦したり略奪を働き、さらに一般市民をロシアへ連れ去り、一部はシベリアに送られ強制労働をさせているという。私たちが知るメディアでは、そう伝えられています。

改めて人間というものの恐ろしさを感じます。

50年前、100年前にはそうしたことがありました。今この時代にそんなことが現実に起きていることに愕然とします。「戦争とはそうしたものだ」と簡単に言えるようなことではないと思います。

しかし少し振り返って見ると、ミャンマーやアフガニスタンそして中国でも同じようなことが起こっています。

報道では、学者や政治家・専門家・評論家と言われる方々の発言が取り上げられています。「許してはならない」「こうすべきだった」というより「今、なにをすべきか」「これからどうすべきなのか」を語って頂きたい。政治家は発言だけでなく「行動」してほしい。

私たちに出来ることは限られています。国連難民高等弁務官事務所や国境なき医師団等への寄付とウクライナへの連帯を示すことぐらいです。ウクライナやロシアと繋がりを持つ方はそれを利用して支援と和平への働きかけてほしい。

日本はウクライナ周辺国のように大量難民を受け入れ、武器を供与することは出来ません。武器の供与には難しい問題があります。攻撃性の強い武器でロシア軍をせん滅するようなことになれば、戦争の長期化、ロシアによる化学兵器や核の使用が現実味を帯びます。第3次世界大戦に繋がる恐れがあります。

ウクライナ国内からロシア軍を撤退させ、停戦協議に進めていくのは難しい課題です。進攻を止め、撤退させ、停戦協議を行う為の「戦闘」を上手くやらなければなりません。どこまでダメージを与えるのかの見極めは難しいことです。やらなければ戦いに負け、やり過ぎるととんでもないことに繋がります。停戦に向かうための戦略・戦術の中で 「戦闘」 レベル・方法が決まるのでしょうが、相手があることなのでその判断は簡単ではありません。

戦争はどちらかの国が負けを認めれば終わりますが、現状ではそれは無いようです。停戦交渉は戦況によって方向が決まります。

最終的にはアメリカと中国が一体となって、ウクライナとロシアの間に入り停戦協議をまとめることしか方法はないように思われます。

日本のように最悪の状況下での「終戦」とならない事を祈るばかりです。