「平和の集い・戦没者追悼式」

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式辞を読む中原市長

 

今日8月1日(土)、「平和の集い・戦没者追悼式」が午前10時より、市民交流センターおあしす多目的ホールで行われ、先程(昼前)終わりました。

吉川市が、戦没者を追悼するとともに、戦争の悲惨さと平和への願いを市民に広めるため、毎年開催しているものです。
式には、中原市長、教育長、副市長・幹部職員(部長)、県議・市議会議員そして、市民の方々が出席されました。私は議員になって初めてこの式典を知りました。今年で8回目の出席です。

次第は、【平和のつどい】と【戦没者追悼式】2部構成です。【平和のつどい】は、〇平和の歌声。八千代コーラス(惜別の唄他4曲)〇吉川市平和都市宣言の朗読。南中学校2・3生の中原さん・中井さん・新野さんの3人に朗読をして頂きました。【戦没者追悼式】国家斉唱の後、式辞(市長)。全員での黙とう、追悼の言葉(市議会議長・県議・遺族会会長)と続き、出席者全員による献花で閉式となりました。

舞台下に設置された献花台に、一人一人が白い菊の花を一輪供えます。市民の皆さんの多くは、戦死された方の妻・兄弟姉妹・子ども等、家族のようです。皆、高齢者になっています。

以前は舞台上での献花でしたので、階段を上り下りしていました。中には、よろけたり、辛そうな方もおり心配でした。現在は、舞台の下の献花台への供花になりました。

吉川でも多くの方が出征し、戦死された方は明治以来400柱を越えていると聞きます。市役所の正面玄関横に慰霊塔が立っています。昭和45年に建設されたもので、塔の横に戦死された方々の名前が刻まれています。

たまに、白い開襟シャツ姿の高齢者を見ると、子どもの頃の夏を思い出します。
セミが鳴き、陽炎が上る中、大人たちが汗をぬぐう光景がよみがえります。

家の前の道に、水をまくのが私の日課でした。裏にある井戸から水を汲み、バケツで水まきです。勤め帰りのサラリーマンたちが「ほっとして」、通り過ぎるのを見ていました。

我が家の縁の下にも、鉄かぶとや兵隊の靴が転がっていました。ミンミンゼミが鳴く、今日と同じ蒸し暑い日でした。

 

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慰霊塔

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戦死された方々の名前が刻まれています