ビラ配り

議会が終わる度に、『議会活動報告』を発行している。最近は伝えたいことも多く、年に6回程度は出している。(*議会の定例会は、3・6・9・12月の年4回開催)

報告する内容と紙面の構成、そして誰がどの部分を書くのかは、伊藤さんと話し合って決める。「見出し」のつけ方や文章の「文言」は、いつも最後まで調整している。「言葉」は難しいが、適切な言葉には力がある。

その後は、私の仕事になる。紙とインクの手配や印刷そして新聞折り込み等。25,000枚を印刷し、17,000枚を新聞店(吉川6・松伏2店)へ持ち込む。

以前は18,000枚以上を折込していたが、年々少なくなっている。吉川の人口は増えているのに。

残りを、『おあしす』で折機に掛け、7,500枚前後をポスティングしている。

印刷に2日、ポスティングに10日程かかる。一人でやる。8年間、最近は2か月おきにこれを繰り返している。本当に夏は暑く、冬は寒い。
時には、挫けそうにもなるが、この程度のことも出来ないようでは議員は務まらないと思い、続けている。

近隣の知り合い議員は、『活動報告』を毎月発行し、ポスティングしている。しかも、一軒一軒が離れた地域も多いところで。毎月2回発行し、駅頭で配っている方もいる。大阪の議員で、5万枚(確か)のビラを一人で配っている議員もいた。

そういう議員は皆、意欲的で勉強している。物事をよく知っている。本質から考えているので、理解が深い。議論も深い。でも、議会ではほとんどが少数派で、大きな会派から妨害を受けたり、調整を余儀なくされることも多い。

しかし、選挙は強い。毎回、トップ当選してくる。政党や大きなバックもないのに。無所属・市民派は、政党や組織に属さず、固い後援会も持っていない。だから、日々、真面目に活動していなければ市民の支持は得られない。厳しい環境だからこそ、ガンバリ続ける。私はなぜか、選挙は弱い。

ビラ配りのため街を歩いていると。いろいろなことが見えてくる。まちの変化や人々の暮らし、そして人間性も垣間見える。

古いアパートが壊され、戸建てが建てられる。洗濯物や子ども用自転車、入っている新聞等で、家族構成やどんな方が移り住んできたのか推測できる。日中独居や自分の家の前で、『家が分からない』という高齢者。甲高い声で子どもに罵声を浴びせる母親等様々。

昨日は、「どふさらい」をしている高齢者に会った。『以前は毎月、地域でやっていたが今はやらない。フタが重いので、主人に開けてもらった。』と言っていた。

挨拶をすると、『ご苦労様!』と言っていただいたり、『新聞に入っていた。』、たまに、『よく読んでいる。楽しみにしている。』等の声を聞くと嬉しくなる。有難いことだと感激する。逆に、挨拶をしても無言の方もいる。稀に、睨みつけられることも。人さまざま、いろいろな方が住んでいる。

以前、家の前から車に乗って出かけた方を、『あれが息子の嫁。』、『朝、挨拶しても返事もしない。挨拶くらいすればいいのに。』と話された老婦人。しばらく話をした。私にはどうすることも出来なかったが、別れ際にご婦人が、『私の話を聞いてくれてありがとう。なかなか話をする人もいなくて。今日はありがとう。嬉しかった。』と。

私も嬉しかったが、同時に考えさせられた。、『これからも住み続けたい』、『一人一人が、幸せだと感じられる』まちづくり。日頃言っていることだが、一人一人がそう実感できる地域、人間関係を作るのは、簡単ではない。

本人の「心の持ちよう」や、「言葉」と「行動」がその前提であり、生きていく上で身に付けなければならない大切な力です。幸せの基本は、『居場所があり、役割がある』ことだと思います。それは、『個として認め合う』ことから始まるのではないでしょうか。その手助けをするのが、行政であり地域の役割だと考えています

まちを歩かなければ、一人一人の思いを聞かなければ、「やるべきこと」は、見えない。分からないと思う。
『ビラ配り』が、出来ない・やらなくなった時は議員を辞める時だと思う。