今朝、テレビを見ていたら懐かしい文字(言葉)に出会いました。
「ぶらり途中下車」という番組の中で紹介されていました。商店街にある『〇〇度量衡店』の看板にあった『度量衡』という文字(言葉)です。今回は京王線で、元関取の『舞の海』が途中下車をしながら街を歩き、終点の八王子市内で、『はかり屋』を営む店のご主人に、はかりの事や街の話を聞いていました。
『度量衡』という文字(言葉)は古く、日本では大宝律令(702年)の頃からあります。中国から伝わったものです。『度』は長さ・『量』は体積・『衡』は質量で、計量の単位やそれらをはかる道具、制度を表します。尺、升、貫は単位。ものさし、ます、秤・分銅は道具です。
30年位前ですが、通商産業省(当時)の通産研修所(東村山市)内にあった『計量教習所』へ入所しました。計量士の資格を取るためです。6か月位おりました。『尺貫法』という言葉は知っていましたが、『度量衡(法)』については『計量法』の講義で知りました。「質量」と「重量」の違いも。と言いたいところですが、考え方の一般論としては分かりますが勉強していくと「運動」や「重力加速度」、アインシュタインの「相対性理論」等々どんどん分からなくなって行き、結局のところ、ほとんど分かりませんでした。
生徒は全国から5~60人来ていました。18歳~45歳位まで。県や特定市の職員そしてメーカー(食品・機械)、JR職員等です。そういえば、代々「秤」を商いにしているお店のご子息もいました。小売は、私一人でした。
大手の百貨店には計量士がいましたが、計量検定所(都道府県)から有資格者を引き抜いたり、退職者を迎えていたのがほとんどでした。
計量士になるには、国家試験を受けて合格するか、計量教習所を卒業した後、5年間の実務経験を経て「計量行政審議会」へ申請をして、資格の「認定」を受ける方法のどちらかです。当時、国家試験はやたら難しく、百貨店・スーパーで受かった人はこれまで一人もいないと聞いていました。国家試験での合格者が多いと、『計量教習所』はいらなくなってしまうので、やたら難しくしていたのかも知れません。
授業は朝9時か9時半から夕方の4時か5時まででした。入所してから2か月は物理と数学ばかりやっていたように記憶しています。先生は早稲田大学の名誉教授でしたが、冗談ばかり言っている先生でした。物理も数学も、高校程度のレベルだと思いますが私にはよく分からない内容でした。
時々(定期的に)、テストがあるので夕食後2時間ぐらい皆(班)で自習しました。過去の問題を解くのですが、相当レベルの差がありました。私のようにほとんど分からない者もいるし、「やさしい」という方もおりました。
理工系の大学や大学院を卒業している方もいましたので、その方々を講師にして、問題の解き方、考え方を教えてもらいました。私が年長で班長でしたので、そう決めました。不思議な事に、そんなことを続けていると、テストでは、本当は分かっていないのに「計算式」が浮かんできて答が書ける。不思議でした。
物理・数学の後もいろんな勉強、実習が続きました。粘度や比重、各種メーター(ガソリン・水道・タクシー等)、電子計測、天秤の実習、計量法等もやりましたが、ほとんど忘れました。卒業させるための教習所ですので、全員、合格するまで試験をやっていたと思います。
楽しみは週末の夜の宴会でした。「酒」は私が店から宅配便で送らせ、「つまみ」は皆が持ち寄りました。北海道から九州まで、珍しいものを食べました。ムツゴロウの缶詰も初めて食べました。仕事、会社、役所、趣味の事、そしてお国自慢等、深夜まで話は続きました。
転勤も単身赴任も経験したことのない私には、社員寮に入っているような感じの時間でした。