以前、橘曙覧(たちばなあけみ・たちばなのあけみ)について書いた時に、気になる言葉がありました。
「三訓の教え」です。
橘曙覧が子ども達に残した、『うそいうな ものほしがるな からだだわるな』という言葉です。 「だわる」は福井の方言で「なまけること」だそうです。
一言でいうと、『正直 知足 勤勉』です。『正直』は、約束を守りなさい・卑怯なことはしてはなりません。『知足』は、足るを知りなさい・欲望は身を滅ぼします。『勤勉』は、骨身を惜しまず働きなさい。という意味でしょう。
もう少し考えると、『正直』は、人に対しても自分に対しても、そうしなさい。『知足』は、身の程をわきまえ、生きなさい。『勤勉』は、容易な方へ流されず、より難しいことに挑みなさい。と言っているように思います。
橘曙覧(たちばなあけみ)については、*以前にも少し紹介しましたが、江戸末期の歌人・国学者で、越前(福井)の人です。
赤貧の中で詠んだ、「たのしみは朝おきいでて昨日(きのう)まで無かりし花の咲ける見る時」にもあるように、日常の生活全てを楽しみに変えてしまう「生き方」を通した人です。
また藩主松平慶永(春岳)の覚えも愛でたい人でしたが、春岳が出した使いに、「仕官」を辞退したと言います。
「三訓の教え」が子ども達に、「このように生きなさい。」と言っているのか「私はこのように生きて死んだ。」と言っているのか分かりませんが、本当に実践することは、当時でも今でも難しいことだと思います。
「そのようにありたい」と思い、願う、気持ちはあるのでしょうが貫きとおすことは至難です。今の時代、人から「食べ物」と「住まい」を取り上げたら、3日で乞食になると言います。橘曙覧が生きた時代の「貧困」がどのようなものか分かりませんが、「そのように生きた人々がいた」ことに、改めて人間の「強さ」を思います。
難しい「生き方」だからこそ、「三訓の教え」として残したのではないでしょうか。
*2018年7月28日のブログで、橘曙覧について紹介しています。
【10/7追記】:与えられた人生。「自分に正直に、多くを求めず、成長しなさい」ということだと思いますが、同時にどんな「生き方」をしようが、「自然」や「歴史」の中では、「とるに足らぬ」こと。権力や富・名誉そして、幸福も不幸も、「一瞬の夢」だと言っているようにも感じます。