堤 清二

11月2日(金)、池上 彰さんの〈夜間授業〉「“戦後”に挑んだ10人の日本人」第6回堤 清二に行ってきました。

清二は昭和2年(1927)3月30日に西武グループ創始者、衆議院議員の父堤 康次郎、母青山 操の長男として東京府北多摩郡三鷹村下連雀に生まれました。

青山 操は、康次郎の3番目の妻(実質4番)でした。 堤 清二には妹の邦子(元西武百貨店取締役 欧州担当)のほか5人の異母兄弟がいました。 元西武鉄道社長の堤 義明は、実質5番目の妻石塚恒子(未入籍)の長男です。

私が最も知りたかったことは、堤 康次郎が西武グループの中核である西武鉄道・コクド(国土計画)・プリンスホテルを義明に任せ、清二には「西武百貨店」のみを引き継がせたのかということです。

清二は昭和26年(1951)東京大学経済学部を卒業後、肺結核で1年半に及ぶ闘病生活をしました。その後衆議院議長となった康次郎の秘書となり、昭和29年(1954)9月、父の指示で母の弟青山二郎が支配人を務めていた西武百貨店に入社。入社時の肩書は「支配人付」。

当時の西武百貨店(池袋)は、何もない店でラーメンが食べられるぐらいなので、「ラーメンデパート」と比喩されていました。西武鉄道もまた、前身の「武蔵野鉄道」が都内の糞尿を郊外へ運ぶ『うんち電車』のイメージが残っていたと思います。子ども時代、西武線が黄色いのは「うんちを運んでいるから」と私も信じていました。

〈夜間授業〉のレジメには、1共産党で詩人で作家で実業家 2共産党員から「ラーメンデパート」へ 3丸物をパルコへ 4渋谷へ進出 5セゾン文化を創出 6異母弟との確執・インターコンチネンタル買収 7作家・辻井 喬 8セゾン解体 とあります。

これを見ただけで、堤 清二の人柄、やってきたことがおぼろげに分かります。

西武百貨店を全国展開し、池袋本店を単独店舗年間売上全国1位にしただけでなく、西友ストア、ファミリーマート、パルコ、無印良品、ロフト、ホテル西洋銀座、インターコンチネンタルホテル、セゾンカード等、時代を読み、次々と新しい事業に挑戦し作り上げていく実業家。パルコ劇場や軽井沢高輪美術館(現、セゾン現代美術館)の開館。糸井重里を起用した「不思議、大好き。」「おいしい生活。」等、物からことへの提案をした思想家。そして詩集「異邦人」、長編小説「虹の岬」に代表される詩人・作家としての顔を持つ「堤 清二」。

「堤 清二」の全体像像は、掴みきれない。西武百貨店から「セゾングループ」へ発展していく過程、同じ時代の空気を感じながら同業で働く者として、羨望の目で見ていました。「堤 清二」の西武百貨店は輝いており、そこで働く人たちは「私たちは、物だけでなく文化を提案している」という自信を持っているように感じていました。文化を「創造」していくカリスマ経営者の下で働くことを誇りにしていたと思います。

堤 康次郎が清二に、なぜ『西武百貨店』のみを引き継がせたのかということの話はありませんでした。堤 康次郎が心筋梗塞で急死した後、清二は自ら異母弟の義明に鉄道・不動産・ホテルを、自分は『西武百貨店』だけで良い、と申し入れました。また、その後見つかった遺書には、『義明に鉄道・不動産・ホテルを任せる。』とあったそうです。

私は、堤 康次郎が清二の「挑戦的反骨精神」と「自己否定」し続ける「破壊願望」があること。そして母青山 操(詩人)の文学的才能を受け継いでいると感じていたからだと思います。『百貨店』の次に来るものを想像し、変革していく。それが出来るのは「清二」だと分かっていたのではないでしょうか。

*更新が遅れました。お詫びします。

*(11/4追記)私が就職活動をしたのは、4年生になってからだったと思います。「百貨店」か「ホテル」で仕事をしたいと考えていました。当時、都庁が有楽町から新宿西口へ移転することが決まっていました。再開発された西口は元淀橋浄水場の跡地です。秋にはススキが茂り、タヌキも出没するような所でした。夜には、怪しいお姉さんも出没していました。小学校の時、社会科見学にきました。勿論、浄水場です。

京王帝都が京王プラザホテルを作り、大手企業の超高層ビルが建ち始めていました。これからは「新宿」だと思い、新宿のデパートの採用試験を受けました。一方、ホテルでの仕事にも魅力を感じていました。収益を稼ぎ出す「宴会」担当です。結婚式の披露宴よりも、企業の創業記念や販売促進関係のパーティがオモシロイと思っていました。

西武グループの「プリンスホテル」を受けました。プリンスホテルは、西武鉄道本社の採用でした。所沢にあった小学校の校舎みたいな本社で試験を受けました。結果は両方ともダメでした。その後「百貨店」からは、『募集人員が変わったので再度受けませんか』との連絡が来ました。「ホテル」の方は、就職課の課長から『川奈ホテルはどうか。プリンスホテルの系列だし』と紹介されましたが、受けませんでした。

最終的には、新たに上野駅前に出店する「京成百貨店」に一期生として入社しました。開店から閉店までの15年間、他の所では経験できない貴重な体験を、魅力的な人達と一緒に仕事をすることが出来ました。幸せな時間でした。