昨日は甥の結婚式に出席するため「明治神宮」へ行きました。
久し振りに原宿口から南参道を社殿へ向かって歩きましたが、外国からの「観光客」の多さにびっくりしました。日本人の数は確実に少ないと思います。
朝9時半頃でしたが、社殿へ向かう人と戻ってくる人達が参道の両側に繋がっています。所々で写真を撮っています。
それにしても思い思いの服装です。国や民族性の違いもありますが、まったく自由な感じです。
控室で親族紹介の後、境内を歩いてご社殿での挙式に向かうと、ものすごいギャラリーでした。
白無垢の衣裳や紋付袴姿が珍しいのか、携帯電話で撮られぱなしでした。
花嫁、花婿の後に2列で続く私たち(親族)も撮影の対象でした。
式が終わり外での写真撮影をしましたが、そこにもものすごい数のギャラリーがいて、また撮影されました。
12時に神宮からマイクロバスで披露宴会場の明治記念館へ向かいました。途中、新国立競技場を横に見ながら、いよいよ来年は東京オリンピック開催されるのか、と改めて感じました。同時に周辺の施設も整備され、神宮外苑も随分変わってきたと思いました。
明治神宮も外苑も学生時代によく行っていた所です。
学校が渋谷でしたので授業の合間に、神宮の広場で昼寝をしたり、菖蒲園で花しょうぶを見たり、森の中を歩いていました。
当時は、人も少なく静かな場所でした。
原宿の「竹下通り」も本当に静かな通りでした。通りにある寿司屋の2階でコンパをよくやりました。ゼミの先生もお誘いし、いつも多額の寄付を頂きました。貧乏学生にとって有難い存在でした。
先生の学生時代や司法研修生の頃の話、なぜ検事になったのか、最高検察庁検事総長としての仕事や、どんな思いで「戦時立法」を作ったのか等、色々な話を聞きました。戦後、公職追放された時「弁護士」として関わった事件の判例。そして最高裁判所の判事時代のことも。人生と人間性について、考えさせられる話でした。
酔うと、よくドイツ語で歌を歌い、ロシア文学の話もしていました。
電車内で無礼者を注意したら「じじいは黙っていろ!」と脅された時や、自宅で就寝中にドロボーが入った時の「怖かった」事など。
そして、急迫不正の侵害に対し「いざとなったら立ち向かえるように」と。「君ら若者は武道をやりなさい」と勧められました。
これまで明治記念館での披露宴には、5~6回出席したことがありますが
すっかり変わって、新しい建物になっていました。
アメリカから来た二人の若者は、見るからに日本人的な容姿でしたが、紋付袴姿で英語で会話をしていました。日系3世で日本語はほとんど分からないそうです。
この前出席した結婚式も、新郎はカナダ生まれの日系3世でした。新婦は私の姪ですが、アメリカの大学を卒業し現地で仕事をしています。
身近なところでも国際化が進んでいます。この先、10年、20年したらどんな日本、どんな世界になっているのでしょうか。
*1日遅れのブログ更新で、申し訳ありません。