昨日は9月11日。
19年前、米国同時多発テロでニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)が崩落しました。
2011年9月11日、WTCのツインタワーに2機のジェット機が突っ込み、南棟に続き北棟が崩壊。
ビルに突入する飛行機はまるで映画の1シーンのようでしたが、その後崩落したビルから巻き起こる灰色の煙を背に逃げる人々の様子に背筋が凍り付くようでした。
巨大ビルが一瞬にして崩落、必死に駆け足で逃げまどう姿は信じられない光景でした。
ビルの中で救助活動や消火活動中の方々も亡くなりました。
まるで「戦争」のようだと思いました。アメリカ本土が直接に攻撃されたのは、初めてのことではないでしょうか。
これまでの数えきれない「戦争」でも、多くの市民が犠牲になりました。世界中で。
75年前に終わった日本の戦争でも、女性や子ども、高齢者が沖縄や東京だけでなく、全国地方都市で亡くなりました。広島・長崎での出来事は、悲惨であり人類にとつて悲劇だと思います。
東日本大震災と東京電力福島第Ⅰ原子力発電所の事故から9年半前が経ちます。
2011年3月11日。「大津波」は海辺の町々を襲い、住宅や商店は一瞬にして消え去りました。
自分達が暮らしていた街があっという間に水に浸かり、車や家までがオモチャのように流され、川は逆流しました。高台に逃げた人々が逃げ遅れた住民に大声で呼びかける。また、それらをじっと見つめる人達の、恐怖に震える姿が思い起こされます。
1年後、被災地へ行きました。
消えた街を歩き、誰もいなくなった学校や市役所を訪ね、高台へ移ったプレハブの市役所や仮設住宅で話を聴きました。
町には、家や家族を失い仕事も出来なくなった方々と復興特需で仕事をしている人達がいました。ボランティアセンターには毎朝多くの人が集まり、復興作業に向かっていました。
わずかに残るかつての暮らしの跡や特有のゴミ臭、そして何もなくなった街で、静かに咲く花は記憶から消えません。
長い歴史の中で、自然災害や争いを繰り返してきた人間ですが、30年、50年、100年という時間の中で過去の出来事を忘れてしまうようです。
自身の一生でも、忘れた方が良いことと忘れてはいけないことがあるように思います。