「戦争」というたとえ

一昨日の新聞に、【新型コロナ 「戦争」というたとえ】が掲載されていました。

新型コロナとの闘いを、「戦争」というメタファーについて考える、として『似た構造 大戦略をもとに作戦を』に対し、『根絶より共生を 問題は社会に』と考える学者の主張が書かれていました。

読み終わって、「戦争」というメタファー(隠喩)を考えるというより、「新型コロナウイルス」に私たちはどう向き合うのか。を考えるため特集記事だと思いました。

もっと素直に、「新型コロナウイルス」にどう向き合うのか、と表現した方が良いのでは。聞き慣れない、メタファー(隠喩)という言葉をなぜ使ったのだろうかなど、いろいろ考えてしまいます。

これまで人間は天然痘やペスト、スペイン風邪などの感染症と戦ってきました。根絶出来たウイルスは天然痘だけだと言います。

当時の人にとって、新たな感染症との対峙は、「未知なる遭遇」だったと思います。

ウイルスや細菌は、人類の歴史よりもはるか遠い昔から地球上にいました。空気のない所で生存する嫌気性細菌もその一つです。
人間に感染して病気を引き起こすものや、私たちの身体を助けるものもいます。
まだ現れていないウイルスや細菌はどれ程いるのか分かりません。

今、私たちは目の前の「新型コロナウイルス感染症」に対し、ワクチンと抗ウイルス剤で戦っています。

どの位の時間がかかるのか分かりませんが、やがて免疫を獲得して感染拡大は収束し、インフルエンザと同じような病気の一つとなると思います。

私たちの「大先輩」と共生していくことになります。