運転免許証の更新

埼玉県公安委員会(埼玉県警察本部運転免許センター)より「運転免許証の更新のお知らせ」が届きました。

中に「高齢者講習のご案内」として、
講習日時: 令和3年8月〇〇日 〇時〇分集合 講習場所: 〇〇自動車教習所 講習時間: 2時間 手数料5,100円
* 日時や場所の変更を希望する方は高齢運転者相談電話へ、講習を受講しない方は運転免許課講習係へご連絡ください。とありました。

不親切な「お知らせ」だと思います。
まず、70歳を超えてからの更新には「高齢者講習」を受け、運転免許証更新時に「高齢者講習修了証明書」の提出が必要となることを法令を明示して伝える。そして「高齢者講習」を行っている教習所は、対象者の住む近隣を紹介すべきです。

驚きました。私の都合も聞かずに何時・どこそこへ来いという通知です。
埼玉県警察のホームページで「高齢者講習」を見ると、70歳以上の高齢者の免許書の更新には、法令により「高齢者講習」を受ける必要があり、また埼玉県内50数ヶ所の自動車教習所で講習を行っていることが分かりました。
私の住む吉川の隣、越谷市や三郷市をはじめ県東南部にもいくつかありました。

また私の場合、運転免許証の更新手続きができるのは今年の12月から来年2月です。それまでに「高齢者講習」を受け、「高齢者講習修了証明書」を準備すれば問題は無いので、受講日や教習所は私の都合に合わせて決めればよいことだと思います。

なぜ、わざわざ自宅から離れた教習所(近くに鉄道の駅やバス路線もない所)へ、日時まで勝手に決めて、「来い」というのか理解できません。何か特別な理由があるのでしょうか。

「お知らせ」の中で、運転免許証の更新をしない場合は「高齢者講習」を受講する必要はありません。そして、自主返納のことが記載されています。ネライは、運転免許証の「返納」を勧めているのかも知れません。

ネライはどうであれ、もう少し丁寧な案内をすべきだと思います。

*これまで、免許証の更新は越谷警察署か吉川警察署で行ってきました。今回もどちらかの警察署で手続きをしたいと思います。しかし、埼玉県警察のホームページでは分かりません。県の運転免許センターへ行くことになるのかも。




「雨雲」

暗い灰色の雲が、幅数キロメートルの帯状となって都心方向(東京・新宿方向)に延びています。ベランダから見ると南西に斜めに向かっています。時刻は午前4時30分です。

横になっていると5時頃、突然大きな雨音と遠くに雷が聞こえてきました。

激しい雨で、吉川美南と新三郷のマンション群は灰色の塊となり、都心の高層ビルやスカイツリーの姿は全く見えません。

ベランダに降り注いだ雨は溝に沿ってみるみるうちに、排水管に吸い込まれていき、ベランダの隅にある太い排水管の中を、屋上に降り注いだ雨が音を立て落下している。

雨は断続的に強弱をつけ、50分程続きました。その間、東方向(千葉県野田市)の空は、雲に反射した朝陽がオレンジ色に輝き、青空も少し覗いていました。

「やはり」降った。あれは「雨雲」だった。いつもは5時には花開く朝顔が、雨を予測していたのか閉じていた。

6時頃、激しい雨が止み「帯状の雲」は薄い灰色に変わり大きな塊となってばらけ、雲の間からは青空がぽっかりと見えます。

雷が遠ざかっていく中、雨はいつもの街にやさしく静かに下りています。開け放した窓からは「涼しい風」が南から北へ通り抜けていきます。
新しい今日、7月30日(金)が始まります。

*各地で激しい雨を降らせ、宮城県石巻付近に上陸した台風8号。同県への上陸は1951年の統計開始以来初めてだそうです。東北を横断し7月28日(水)午後には、秋田沖で温帯低気圧に変わりました。気象庁は「温帯低気圧に変わっても、雨については台風同様に注意を」と呼びかけていましたが、昨日の雨もその影響だったのでしょうか。



緑道の「花壇」で

昨日、緑道の「花壇」に3週間ぷりに「水やり」をしました。
夕方5時過ぎから始め7時頃片付けていると、1人の婦人が話しかけてきた。

植えてある花をゆび指して、「この花のことを教えてあげます」。
「フィリピンの花です。枕の下に敷くといい匂いがします。白い花をつなげてレイを作ります」。

また、自分はフィリピン人で、40年前に日本に来て仕事をしてきた。もっと働きたいが、歳なのでやめることになった。ここのマンションには4年前から住んでいる。等々、話をされた。そして、時々「ここを通る」と。

これまでマンションの敷地内で何度かお見かけしたことはありましたが、お話したのは初めてでした。

彼女が育った家庭環境や、どんな理由で日本に来たのかは知りません。しかし、身をのり出して花を見つめ、説明する姿からは「幸せな時代」だったと思います。

(報告:2回目のワクチン接種)18日(日)に打ったワクチンですが、翌19日(月)午後、役所から帰宅後に熱が出ました。夕方には38.6度まで上がり、午後11時半頃に37.2度に下がりました。腕の痛みは、1回目より強く出て3日間(接種当日を含む)続きました。頭痛はありませんでした。やはり、2回目の方が副反応は強いようです。

追記(8月1日): 彼女にはその花の名前も教えていただきました。はっきりとは覚えていませんが、購入した時に付いていた名前とは違っていました。フィリピンではきっと彼女が言った名前で呼ばれているのだと思います。







2回目のワクチン接種

今日は2回目のワクチン接種日。

1回目の接種から3週間が経ちました。午前中の予約ですので、これから「おあしす」へ向かいます。

既に2回目の接種を終えた同年代や先輩方の話では、やはり2回目の方が「副反応」が強く出たそうです。翌日に「頭痛や発熱」があった。という方が多く、ほぼ1日で治まったと言っています。

明日(7/19)は市役所へ行く予定ですので、頭痛や発熱が酷かったら「困るな」と心配です。

今朝も「6月議会報告」のチラシを配りに行こうとしましたが妻に止められました。疲れた状態でワクチンを打つと「副反応」が強く出るのではと、言います。私は接種後と翌日は、ムリをしなければ大丈夫ではないかと思っていますが、妻の助言に従いました。

この1週間、毎日チラシのポスティングをしています。1日に1時間~6時間程です。昨日は朝から強烈な暑さでした。外に4時間いましたが実際に歩いていたのは3時間半。550枚の配布でした。

住宅密集地では、速足でポスティングすると1時間に200枚は入れられます。ただ、昨日のように日差しが強く暑いとペースが落ちます。

1週間で少しずつ日焼けはしていましたが、昨日は一気に腕や顔そして首のところが赤黒くなり、お風呂ではヒリヒリとしました。

*これから「おあしす」へ行きます。

10時40分、「おあしす」に到着。行列もなく直ちに、受付・本人確認、予診票の確認、問診、接種と続き10分程で終了。その後15分間待機をして、帰宅。

2回目のワクチン接種は、注射針の「チクッ」とした痛みやワクチンが身体に入るという感覚がなく、本当に接種したのか分からないくらいです。看護師さんの技術の差というより、2回目ということで緊張感がなかったことが原因だと思います。

抗体が出来るまで2週間かかるようですが、明日の「副反応」を除けば「一安心」といったところです。





突き進む東京五輪

政府は、東京の感染拡大を受け東京都に4度目の「緊急事態宣言」を発令、期間は7月12日から8月22日まで。1都3県に出されていた「まん延防止等重点措置」は、千葉・埼玉・神奈川の3県に引き続き8月22日まで適用されます。

そうした中、5月21日にIOCのジョン・コーツ副会長が示した「東京に非常事態宣言が出ていても、大会は開催できる」の言葉どおり準備が進められています。

7月23日に始まる東京五輪は、大会組織委員会と東京都など関係自治体が、1都3県を「無観客」とすることを決定しました。後を追うように、北海道、福島でも「無観客」とすることになりました。

IOCや政府、都などは「何が何でも開催する。それ以外の選択肢はない」という姿勢です。
「最初に結論ありき」で、しっかりとした検証をせず、だらだらと引き延ばし、開催へ向けての既成事実を積み上げ、にっちもさっちも行かなくなっても突き進む。まるで戦争前夜のようです。

2月13日のブログで「私は、東京オリンピック・パラリンピックは中止すべき」と主張しました。また5月には、「誰のための、何のため」「何が何でも」で、オリンピック開催は取り返しのつかないことになる。政権が吹っ飛び、自公が下野して済む問題ではない。とも書きました。

東京の緊急事態宣言下でのオリンピック開催は、コロナウイルス感染症の「世界的再拡大」に繋がる恐れがあります。今となっては、そんなことが起こらないようにと祈るばかりです。
また、「無観客」での開催は、復興五輪ではないと思います。

開幕直前の「緊急事態宣言」「無観客」決定は、「市民生活」と「経済」に与える影響は計り知れず、会期中・閉幕後に何が起こるのか分かりません。
いづれにしても、五輪に係わる赤字、日本の信用、経済的損失など、全てこのツケを払うのは国民であることだけは間違いありません。少なくとも、「コロナウイルス感染症収束・オリンピック後始末特別税?」は設けられるのではないでしょうか。

いよいよ梅雨明け

梅雨前線の影響で、昨夜から東海・関東の太平洋側で記録的な大雨となっており、河川の増水や土砂災害が心配されます。

静岡・神奈川・千葉では避難指示が出された地域もあり、平塚市では、危険度が最も高い「レベル5」の緊急安全確保が発表されました。
今朝からは東海道新幹線をはじめ在来線の運転見合わせや、増水した川での事故などが伝えられています。

吉川でも今日は大雨の予報だったと思いますが、昨日の夕方には雨が上がり、今日は穏やかな朝を迎えています。曇り空が広がっていますが、風はなく空は明るさを増してきています。

どうなっているのでしょうか。
大雨になってほしい訳ではありませんが、拍子抜けした感じです。
よく分かりませんが、梅雨前線や雨雲などの動きに変化が起きて現在の様子になっていると思われます。

今朝6時前、ベランダへ出てみると「ピンク色の朝顔」が一つ咲いていました。昨夏に育てた朝顔の種を1~2ヶ月前に蒔きましたが、つるが伸びて花をつけました。昨年は青色の朝顔が多かったので、これからは青い花が咲き始めると思います。

先日、隣のライフ・コーナンの駐車場で吉川マルシェが開催されました。出店した市内園芸業者の朝顔(赤い色と聞いています)を一鉢買い求め、我が家の朝顔の隣に並べてあります。

これから競うように咲いてくると思います。
楽しみです。

鹿児島地方気象台は今日、沖縄地方に続き奄美地方が梅雨明けしたと思われると発表。平年より10日以上遅い、夏の訪れです。

*7月4日追記 : 熱海市伊豆山で起きた「土石流」には驚愕しました。「土石流」というと、これまで山深い急斜面で起こるというイメージでした。今回のような民家が立ち並ぶ住宅街での発生は思いもよりませんでした。

逢初川沿い一帯は「土砂災害警戒地区」に指定されていたといいますが、住民たちもこれ程の大災害が起こるとは想像できなかったと思います。熱海付近では100年に一度の大雨による「土壌水分量」だったそうですが、それが伊豆山地区での「土石流災害」に繋がるとは考えられなかったのではないでしょうか。

過去に経験したことのないことへの判断・対応は難しいことですが、異常気象が日常化している現在、「早めの避難」を実行しなければならないと思います。行政も個人も「空振り」になったとしても、行動することが「命」を守ることに繋がると考えるべきです。

今もなお、安否不明の方々の救出作業が行われていますが、早い救出と2次災害が起こらないことを祈るばかりです。

明日は「ワクチン接種」です

明日6月27日(日)、市民交流センター「おあしす」で第1回目の「ワクチン接種」を受けます。

持ち物は①ワクチン接種クーポン券②本人確認書類(運転免許証、健康保険証など)そして③ワクチン接種の予診票です。

先程、クーポン券と予診票を記入しました。クーポン券は1回目・2回目の予約日と接種会場を書き、予診票には一緒に送られてきた●「新型コロナワクチンの説明書」を読んで、効果や副反応についての理解●現在、かかっている病気と治療・投薬●薬や食品で、重いアレルギー症状(アナフィラキシーなど)を起こしたことがあるか等の質問への回答(YES・NO)です。

最後の覧に「新型コロナワクチン接種希望書」への記入があります。
そこには、医師の診察・説明を受け、接種の効果や副反応について理解した上で、接種を希望しますか。(□希望する ・□接種を希望しません)のどちらかにチェックを入れ、日付と名前を自署するようになっています。

「ワクチン接種」は、国民の努力義務ではありますが最終的には個人の判断で行うことですので、「新型コロナワクチン接種希望書」への署名を求めていると思います。接種体制等に重大な瑕疵がない限り、自らの判断、責任で行ったということになると考えられます。

これまで、インフルエンザの予防接種や肺炎球菌ワクチンなどを接種したことはありません。栄養補助食品をとることもありませんでした。
今でも、自分の身体の免疫力や消化吸収力を信じています。

「ワクチン接種」でどんな副反応が出るのか、また、ワクチンが本当にコロナウイルスに有効なのかは分かりません。私の身体の中で、ウイルスに立ち向かえるものとなるのかどうかも分かりませんが、明日は1回目の接種に行ってきます。
                      *接種後にまた報告をします。

6月27日追記: 午前中、「おあしす」に行き1回目の「ワクチン接種」を受けてきました。

おあしす入口には、接種予定者がホール入口横にある受付までに30人程が並んでいました。10分位で受付に着くと、予約確認と本人確認が行われ、その後、問診票のチェックを2回受けました。2回目は看護師によるチェックでした。

ホール入口を入ると、接種会場入口までにまた30人位並んでいました。会場へは2人ずつ入り、医師(2名)による問診と問診票の最終確認が行われ、その後ワクチンの接種を看護師(3名)から受けました。ここまでで30分程でした。

クーポン券に予防接種済証が貼付され、次回の案内を頂きました。会場内で15分間待機(着席)し、副反応がないことを確認し退室しました。

ワクチン接種は、針を刺した時に少し「チクッ」としましたがワクチンを注入している時の痛みは感じませんでした。腕(肩)の方は5~6時間後から、時間とともに重たくなり痛みを感じます。


東雲

先日、有明の東京ガーデンシアターへ行ってきました。

吉川駅から武蔵野線で東京行きに乗車。新木場でりんかい線に乗り換え、国際展示場駅で降りました。あたりの変貌ぶりに驚かされました。

国際展示場の一つ手前に東雲の駅がありました。
東雲と書いて「しののめ」。懐かしい地名です。

東雲には、小学校へ入る前から家族と一緒に行きました。釣りが好きでしたので、釣り好きの親父と二人で行くことが多かったと思います。確か、東京駅から都バスに乗り銀座や築地あたりを通って行ったような気がします。

海には材木がたくさん浮かぶ貯木場が広がり、砂浜もありました。陸側は何もない草原で、セスナ機の飛行場があり時々飛んでいました。
貯木場の岸壁で竿を下すと「ハゼ」が釣れました。時には大きな「ウナギ」が掛かることもありました。釣り上げると、青黒いウナギで針を外すのが大変でした。

砂浜の方は、50m程先の海に丸太だったか石の杭があり、そこに「牡蠣」がびっしりとついていました。美味しい「牡蠣」でした。
海に入りじっと立っていると、「ハゼ」が足の下にも潜り込んできます。ぎゅと抑えて、手で捕まえますが、あっという間に数十匹は確保できました。

潮が引いた後の砂浜には、「カレイ」や「ハゼ」が取り残されています。海側の砂を1カ所掘り下げると海水が海に流れ、取り残された手のひらより小さい
「カレイ」や「ハゼ」を面白いように捕まえることが出来ました。

昭和30年前後の、ゆりかもめやりんかい線、東西線もない時代でした。
日本の「高度成長」がまだ始まる前の貧しい時代でしたが、自然は豊かでした。

一日、海で遊び、セスナ機を見て食料も調達してくる我が家(私)のレジャーでした。

イオンタウン吉川美南

イオンタウン吉川美南東街区が昨日(6/12土)、グランド゛オープンしました。

オープンに先立つ6月7日(月)、増床した東街区の内覧会へ行ってきました。イオンタウン㈱開発企画本部スタッフの案内で隅々まで見せて頂き、話を伺いました。

イオンが所有している開発用地の利用計画については以前から、伊藤議員が開発企画本部の担当者と意見交換をしていることから、内覧会へのご案内を頂き会派4人で見学に行きました。

当初、見学は1時間程度と考えていましたが説明を受け質問したり、「食」のコーナーで試食などをしましたので、1時間半ほど店内におりました。

私が見た印象は、「よく出来ている」と感じました。

隣にある「越谷レイクタウン」と新三郷の「ららぽーと」との差別化を意識し、吸引力のあるテナントを導入、雰囲気も変えていると思います。イオンタウン吉川美南(西街区)は、年間300万人の利用があり、東街区のグランド゛オープンで600万人を目指すそうです。倍増するかも知れません。

特に関東初出店の、1階アクアイグニス(武蔵野温泉)「癒しと食の複合温泉リゾート」は、天然温泉とフードゾーンの組み合わせが良いと思います。提供される食事の内容と食事場所に工夫がされています。温泉施設の入館料は確か650円(平日)だったと思います。近所の方にも気軽に来てもらえるよう価格を抑えたといいます。700人以上は入れるそうですが、コロナが落ち着くまでは入館者を半分にするそうです。

スイーツは、パティシエ辻口博啓氏のル・ショコラ・ドゥ・アッシュがあります。カカオ豆の焙煎機導入は日本で初めてだと聞きました。こだわりのチョコレートとケーキを工房で作っています。

アクアイグニス2階の「食」空間ゾーンは、奥田正行のイル・ケッチァーノ(パスタ&ピザ)、菰田欣也の麻婆点心館、金沢まいもん寿司そして、辻口博啓氏のマリアージュドゥファリーヌ(パン)があります。いずれも埼玉初の出店で、近隣商業施設との差別化が出来、集客力が見込めます。

少し心配なのは、温泉とこだわり食ゾーンの他にその倍以上あるスペースでの集客です。フードコートや物販とサービスの店舗が入る予定です。まだ一部のテナントがオープンしていませんので、なんとも言えない所もあります。魅力的なショップの導入と組み合わせが課題だと思います。同じブランドショップでも、品ぞろえ・見せ方・売り方によって店の雰囲気、魅力は変わると思います。

イオングループの新しい店舗を見て、イオンの進化を感じます。

現役の頃、イトーヨーカドーやダイエー・西友などの方々と研修旅行に行ったり、本社へ伺うこともありました。スーパーが元気な時代でした。
四半世紀も前ですが、ジャスコの東京本社へ行ったことがあります。イオンに名前を変える前です。日本橋の裏通りにある古いビルでした。

百貨店と同様、スーパーマーケット業界も厳しい環境に置かれ元気がない中、イオングループは頑張っていると思います。

人も企業も変っていくことを改めて思い知ります。

*追記: 百貨店で菓子担当をしていた時、「チョコレートはインゴットで輸入し、それぞれのメーカーがいろいろなチョコレートを作っている。日本では、カカオ豆からチョコレートを作っている所はない。」と聞きました。計量記念日などに合わせ、メーカーからチョコレートのインゴットを借りて売り場に展示し、お客様にその重さを当ててもらうクイズをやっていました。

辻口さんのショコラブティックでは、ペルーの自社農園で栽培し熟成発酵したオリジナルのオーガニックカカオ豆でチョコレートを作っているそうです。



京王プラザホテル

今日、京王プラザホテルが開業50年を迎えたそうです。

1971年(昭和46年)6月5日、西新宿の淀橋浄水場跡地に建てられた地上47階地下3階の超高層ホテルです。地上170メートルの高さは当時日本一でした。広大な浄水場跡地に立っているのは京王プラザホテルだけで、駅前から見る華麗な姿に見とれていました。

今でこそ東京都庁や三井ビル・住友ビルなどの超高層ビル群ですが、当時は現在の姿を想像できませんでした。

新宿は子どもの頃から買い物に来ていましたし、通学(大学)や通勤時の途中駅でした。淀橋浄水場へは小学校の社会科見学で行きました。
その頃新宿の繁華街は伊勢丹や三越、歌舞伎町など東口側で、西口は小田急と京王電鉄の駅と百貨店、そして青梅街道側のション便横丁(飲みや街)ぐらいしかなかったと思います。

京王プラザホテルのことを勤務していた会社の副社長から聞いたことがあります。三井信託銀行から副社長に迎えたH氏(銀行では専務)です。H氏の話では、当時、京王帝都電鉄社長だった井上定雄氏がホテルの建設を計画した際、東急の五島昇氏が当初は反対したそうです。
140億円を掛けて作るホテルの経営を心配したようです。井上社長が五島社長を説得しホテルは出来ましたが、井上社長は電鉄の株主総会で株主に(誰かは聞いていません)追及され、電鉄の社長を辞任されたといいます。

京王帝都電鉄の大株主(当時)である東急からすれば、京王が初めて手掛ける大型ホテル事業に対し、ホテル経営の難しさや採算面、そして京王の体力などから心配したと思われます。

東京の一鉄道会社である京王帝都電鉄が、新宿副都心に一番初めに建てたのが京王プラザホテルです。

地上170メートルの日本一高い超高層ホテル。日本中が驚くとともにその名は津々浦々に知れ渡り、京王帝都電鉄の名も広めました。建てた鹿島建設もまた、「超高層の鹿島」として名を馳せました。

京王プラザホテルが出来たことで新宿副都心の開発が本格化し、今日に繋がったことは間違いありません。

井上社長の決断は、新宿副都心発展と京王グループ飛躍の大きな礎になったと思います。
すぐれた経営者だと思います。

*普段はお茶を飲むくらいの利用でしたが、ホテルに甥が勤めていましたので、兄妹の家族(甥・姪)の結婚式で行ったり、新婚旅行の前日に宿泊しました。私が勤めに出た1年後に出来たホテルですが、半世紀も経ったと思うと…。

副社長には、そごう(デパート)の水島社長のことも伺いました。勤めていた銀行は違いましたが、戦時中に水島さんと一緒に仕事をしたことがあったそうです。水島さんの人柄や、なぜ銀行を辞めて「そごう」の社長になっのか等、興味深い話でした。