「十三夜」

10月8日(土)は、今年の「十三夜」でした。
中秋の名月(十五夜)と並ぶ名月です。

満月が少し欠けた「十三夜」は、南の空の高い位置に広がる綿雲から透けて見え、静かに星とともに輝いていました。
月見団子は供えませんでしたが、妻が道端で摘んできた猫じゃらしを生け「すだち」を団子代わりに積んでいました。

今年は9月10日の十五夜と昨日の「十三夜」、二夜(ふたよ)の月を楽しみました。同じ場所で見ると二夜(ふたよ)の月は縁起が良いといわれています。
この1週間、肌寒く感じるくらい気温が下がり空気も澄んできました。お月見にはヒンヤリとした良い季節です。

先日、羽化したばかりの「キアゲハ」がミカンの木の葉の間に止まっていました。しばらく、アゲハの羽化を見ませんでしたので嬉しく思いました。

数日前、ミカンの木から落ちた幼虫を木に戻したので、それがかえったのかもしれません。
木に戻した幼虫がお礼に姿を見せたのか、二夜(ふたよ)の月のご褒美なのか分かりませんが有難いことです。




キンモクセイ

国会議事堂衆議院側の通りを歩いていると柵の内側から「キンモクセイ」の香りが漂ってきました。少し離れたところでかぐととても良い香りで、秋の訪れを感じさせられます。

安倍元首相の国葬が行われた翌日9月28日昼前、道路には警察車両が止られ警察官が警備についていました。衆議院・参議院の議員会館への行き帰りに時々通る道ですが、普段より車両、警察官ともに多い日でした。

官庁街は丁度昼休みで、大勢の職員が歩道に出てきて歩けない程でした。

日比谷公園に着いて、日比谷図書館に入りました。現在は千代田区立の図書館になっています。利用するのは久しぶりです。
「日本百名山」を写真と地図で紹介した本を見た後、美術書の置かれたコーナーで東山魁夷と川崎家のことを書いた本を見つけました。

最初に勤めた百貨店の社長は当時、*川崎千春氏。包装紙は日本画家東山魁夷に書いていただいたものです。
東山魁夷や川崎小虎、川崎鈴彦・春彦そして麻児等は川崎社長の親戚。そんなこともあってか、日本画の美術展でも協力を頂きました。
毎年、新橋や柳橋等の粋筋に配る大きな「うちわ」には川崎春彦氏の絵が使われたこともありました。
「うちわ」に描かれた春彦氏の絵はいつ見ても良い絵だと思います。40数年前に作られた「うちわ」を今も持っています。
懐かしい名前に昔のことがよみがえり、しばし時が止まりました。

昨日(10月1日)、会派のミーティングのため市役所へ向かう途中、きよみ野から栄小学校へ通う通学路でも、「キンモクセイ」がオレンジ色の花をつけあの独特の香りを放っていました。
9月定例会も終わりホッとし、いよいよ秋だと感じます。

*川崎千春 :当時、京成電鉄社長でグループ120数社の代表。成田国際空港にスカイライナーを走らせ、千葉県浦安に東京ディズニーランドを開園しました。東京ディズニーランドの誘致は、三井不動産元社長江戸英雄氏との二人の夢だったと聞いています。







台風一過

9月25日(日)、青空と雲が交り合う台風一過の朝を迎えました。
台風15号は、東海地方を中心に猛烈な雨を降らせ、静岡では大きな被害が出ました。特に茶所では記録的豪雨により浸水、土砂災害が起こりました。台風15号による嬉しくない「記録的豪雨」がまた続きました。

元上司の結婚式に出席するため神戸から息子が来ました。幸いにも新幹線が動いていた22日夜に到着。今日戻ります。

生まれ育った荻窪の家は木造平屋で、台風の前には雨戸をしっかり閉め、父親は瓦屋根や木の塀を点検・補修していました。子どもの頃は、その手伝いをさせられました。
その頃の台風一過は「日本晴れ」の空が広がり、いつも爽やかな朝でした。また、台風は9月・10月に来るもので、今のように夏の前に列島に上陸することはなかったと思います。

家の小さな庭にある柿の木は、2年毎、大きな富裕柿の実を枝いっぱいに付けていました。
隣家の庭には柿・桃・梅、梨の木がありました。毎年、梨の白い花を見るのは楽しみでした。

私の9月議会一般質問は22日(木)に行いました。
質問の一つに「中原市政2期8年を振り返って」を取り上げ、私から見たこれまでの2期8年は、「必ずしも上手く進められていない。未熟な行政運営、組織運営」だと思う。その原因は、「人と組織に対する理解不足」ではないか。

また、前日の一般質問で「中原恵人として何を大切にしているのか」との問いに、「二つの自分がいる。絶対的自信と不安を持つ自分」の中で「誰よりも現場を知り、賛成・反対両方の話を聞いている。最終判断は市長として、未来につながるかどうかを無色透明の立場で判断している」と市長は答えました。

私は、「自分が一番分かっている」ということについて「思いが強い」という人もいるが、別の表現をすれば「人の話を聞かない。独善的」ともいえる。
市長としての重要な仕事は「人を動かすこと」であり、組織として動くためには「共感の心情」が大切であること。リーダとして人の上に立つ人は「思いやりの心」と「言行一致」が前提では等、私の考えも含め質問を重ねました。

短い時間でしたが、中原市長も冷静に答弁されていたと思います。

*本会議での「一般質問」は当日、インターネット中継されます。また「録画配信」もされますので、後日視聴できます。関心のある方は、吉川市ホームページから市議会(議会中継・本会議録画配信)に入り視聴ください。




台風14号

昨夜のニュース番組では、繰り返し「台風14号」について取り上げていました。
気象庁の担当者は、「台風14号」が18日(日)に勢力を維持したまま鹿児島県に上陸する恐れがある。中心気圧は910ヘクトパスカル、中心付近の風速は55mで第2室戸台風や伊勢湾台風を上回る「過去最強」で、かつて経験したことの無い被害が起こる可能性があるため厳重な警戒が必要。と繰り返し伝えていました。
映像は、過去の台風で水に浸かった街や強風で車が横転し転がる様子が映し出されていました。

今朝、目を覚ますと外は雨。道路は濡れ、北側の窓には雨が当たっていました。雨が降る中で太陽が出ました。あっという間に濃い灰色の雲が太陽被い、隠れた陽の光が雲に反射し地平線に浮かぶ建物とその手前にある送電線の鉄塔を映し出していました。

雨の中、真横に延びる帯状の雲とオレンジ色のコントラストが美しい風景でした。

昼過ぎ、長期修繕計画検討委員会(自宅マンション)の会合から自宅へ戻ると、再び雨が強く降りはじめ雷が鳴りました。近くに落ちたようで、一時的に停電が起きました。

台風はまだ、鹿児島への上陸もしていません。にもかかわらず、朝から関東でも影響を受けていることを考えると、相当大きな台風のようです。

経験したことの無い記録的な暴風と雨、高波、高潮そして線状降水帯によるゲリラ豪雨や長時間にわたる雨による被害が心配されます。悪いことが重ならないように祈るばかりです。

十五夜の日に

昨夜9月10日(土)は、十五夜でした。
一年で最も美しい「中秋の名月」が見られると言われています。

東方の低い空で濃い「オレンジ色」をしていた月は、やがて南の高い空に「黄金色」に輝いていました。星の輝きを一層際立たせ、満月は静かな光を地上に注いでいました。

これ程の美しいものがあるのだろうかと、しばらく見とれてしまいました。

自民党が旧統一教会と国葬で揺れています。

旧統一教会が行ってきた自民党(安倍派)への選挙協力は、他の宗教団体や医師会・業界や企業・労働団体等の選挙協力目的と基本的には同じものだと思います。
また、それぞれの組織がお金を集める目的や使途にもそれ程の違いがあるようには思えません。

違いは、旧統一教会の持つ特異性からくる社会的評価・位置づけではないでしょうか。
霊感商法等による「寄付金」集め、合同結婚式、家族の構成・あり方等、異常とも思える教義や活動に対する評価であり「反社会的団体」だと多くの人に認知されていることです。

国会は、他の団体(組織)がやってることと「何が違うのか、何が問題なのか」を明らかにし、私たちも自ら考えなければならないと思います。

国葬について岸田首相は、「8年8カ月という最長の在任期間、諸外国から多くの首脳や王族の参列が見込まれる。だから国葬が相応しい」といいますが、よく分かりません。在任中に何をしたのかが重要だと考えます。

当時、最長在任期間だった佐藤首相は沖縄返還でノーベル平和賞を受賞。田中角栄氏は中国と国交回復をし、列島改造で全国を道路・新幹線で繋ぎました。小泉氏も拉致被害者(一部)を日本に取り戻しました。他の方もそれなりに頑張ってこられました。

功罪で言えば、安倍長期政権は日本の「格差社会を広げ、産業の国際競争力を低下させ、若者が夢を持てず、社会や政治への無関心でいる今日の状況を作った」ように思います。

「もり・かけ・さくら」に「旧統一教会」そして「ロシア」との関係等もありますが、安倍元首相にはそれ以上に日本の将来に対する責任があると私には思えます。同時にそれを許してきた自民党内の派閥、頼りない野党、そして私たちの責任だと考えています。

安倍元総理を国葬とする理由が私には理解できません。



9月定例会(その2)

9月2日(金)午前10時、9月定例会がスタートしました。会期は26日までの25日間です。

議長が、「市長より提出された議案を一括上程します。直ちに提案理由の説明を求めます。中原市長。」と発言。

市長より全議案について提案理由の説明が行われた後、会計管理者が令和3年度一般会計歳入歳出決算書の認定について補足説明。続いて総務部長より令和4年度一般会計補正予算について補足説明がされ、9月定例会1日目を終了しました。開会から閉会まで1時間程でした。

この日は、決算・補正予算に対する質問通告の締め切り日。午後4時までに提出することになっています。市長より正式に提案を受けてから、質問を出すということだと思います。予算・決算のチェックは議会・議員として果たす基本的な役割ですので、質問者が少ないのは心配です。

一般質問の締め切り日は9月1日。今回は18人の議員が質問に立つ予定で、私は、22日(木)午前10時~です。
質問項目は、1新型コロナウイルス感染症「第7波」への対応及びワクチン接種について 2三輪野江地区工業団地開発構想の取組みについて 3中原市政2期8年を振り返っての3点です。

来年は「市長選挙の年」です。これまでの市政運営の成果と課題、市長としての「リーダーシップ」等について質問するととも、私の考えも話したいと考えています。

9月定例会

9月2日(金)から9月定例会が始まります。
定例会で行う最大のテーマは、2021年度「決算」の認定です。昨年度実施した各事業がその目的に沿った成果が上げられたかどうかを検証するものです。

改めて事業の必要性と有効性を確認し、最小の費用で最大の成果を得ることが出来たかどうかを判断します。一般会計歳入歳出決算の他、国民健康保険・介護保険・吉川美南駅東口周辺土地区画整理事業等の特別会計が5つあります。

おそらく、事業数は600以上あると思います。

新規事業や大きな予算を使う事業を中心に質疑が行なわれますが、昨年は新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金を活用した事業が多くありました。本来は市の予算の中から捻出して行う事業を臨時交付金を活用するケースです。中には、コロナウイルス感染症とどう関係があるのか?と思うものもありますが、国が使途を認めているので特に問題にはならないようです。

国の大盤振る舞いはスゴイことですが、いずれ「つけ」が国民に回されることは確かだと思います。

4回目ワクチン接種

8月18日(木)、市民交流センター「おあしす」で4回目のワクチン接種を受けました。

8月に入り予約システムから申し込みをしましたが、8月・9月ともほぼ予約がいっぱい。空いている日は数日で、しかも武田/モデルナ社のワクチンでした。
私は特にファイザーでなければ困るということもありませんので、空いていて良かったという思いで申し込みました。改めて、ファイザー社ワクチンの人気を確認しました。

19日(金)は、昼過ぎまで普通に過ごしていましたが、15時頃から熱が少し出始め17時には37.9度に上がったため22時30分には床に就きました。

朝4時まで2時間毎に目が覚めたので、その度にお茶を飲んだりうがいをしたりしていました。4時から7時半までは眠っていたようですが、起きようと思っても身体が動かず、結局8時半になってやっと起床しました。

昨夜はやたら汗をかき気持ちが悪いので、昨日の残り湯に浸かりシャワーを浴びてやっともとに戻ったようです。

重症化を防ぐためのワクチンですが、何時までこんなことを繰り返すのかと思うと溜息が出ます。

新型コロナウイルスの感染が広がり始めてから2年半が経過しました。
この新たなウイルスに世界中が翻弄されています。

現代の進んだ医学や科学の「もろさ」を覚えるとともに、政府の危機管理能力・対応力の無さにも驚かされます。それは「自治力」を発揮できない全国の自治体にも言えることですが。


台風8号上陸

朝から時々ウエザーニュースを見ています。

午後8時過ぎのニュースでは、「台風8号の東側に広がる活発な雨雲の帯が、千葉県内を通過中です。局地的には非常に激しい雨が降り、道路が冠水しているところがあります」
「東京都から埼玉県に広がっていた雨雲は弱まりはじめ雨のピークは越えたとみられます」と伝えています。

気がかりなのは、今回も猛烈な雨による河川の氾濫や土砂崩れによる被害です。夏休み、旧盆の時期に復旧活動をしなければなりません。「今までこんなことはなかった」という場所(地域)で、初めての体験。という方が多いと思います。

予報では、明日は台風一過。関東地方は晴天で暑い日になるようです。
私事ですが、一月遅れで両親のお墓参りに行く予定です。いつもは7月に行っていますが、今回は兄妹の日程が整わず8月になりました。

千葉県の九十九里に近い所ですので、内房線が朝からダイヤ通りに運転されるのかも心配です。

それにしても、8月に台風が上陸することが珍しいことでは無くなりました。被害も年々拡大しているように感じます。
温暖化・異常気象の影響なのでしょうが、何年もこのようなことが続くと「何が異常で何が普通なのか」分からなくなってしまいます。

「渡り初め式」

昨日、吉川橋の「渡り初め式」が開催されました。
開催の案内を頂きましたので、参加してきました。

場所は吉川橋東側あいさつ通り入り口付近で、午前10時30分から記念碑の除幕、10時45分から安全祈願神事、テープカット後11時~「渡り初め」を行いました。

吉川・越谷市の市長と議長、県議そして警察や県土事務所、地元自治会、美しい吉川橋を実現する会の役員等が出席していました。

「渡り初め式」を主催したのは、「美しい吉川橋を実現する会」です。
詳しいことは分かりませんが、吉川橋の架け替えにあたり市内の事業者・団体・市民等から寄付金を募り、それを美しい吉川橋建設のために寄付された団体です。地元の方々が中心のようですが当初、目標の3,000万円を集めるのは大変だと思われていたそうですが、大口の寄付もあり目標を上回る寄付が集まったと聞いています。

よく分からないのは、実施主体が埼玉県や吉川・越谷市でなかったことです。
県道にかかる橋なので工事は埼玉県の仕事です。
以前、吉川から三郷市へつながる県道の開通式に行きました。武蔵野線の下をくぐるあたりで行われましたが、実施したのは県だったように思います。

地元を中心にして、「渡り初め」やお祝いをすることもあると思いますが、県や市が何もしないというのも違和感を覚えます。

吉川橋の架け替え工事は、国からの補助金も受けながら長い間かけて完成しました。東北の大地震・津波後には、補助金も削られ工事が進まないこともありました。県は東京オリンピック前には完成させたいと言っていましたが、今になりました。
やはり道路や橋の新設・改修工事には時間がかかります。

普段、道路の真ん中を歩くことはないので貴重な体験でした。