川と道路

先週の5月17日(火曜日)、私たち「市民の会・無所属」の議員4名で国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所と埼玉県越谷県土整備事務所へ行ってきました。

江戸川河川事務所では、江戸川の治水対策及び中川・綾瀬川治水対策の現状と令和4年度事業のポイントについて伺うとともに、江戸川吉川市河川防災ステーション予定地の現地視察を行いました。

首都圏氾濫区域堤防強化対策事業については特に、吉川市内での堤防強化対策工事(野田橋から吉屋地区の約8.6㎞)の進捗状況と今後の予定を中心にレクチャーを受け、質疑応答と意見交換を実施。また、玉葉橋横に出来る吉川市河川防災ステーション予定地(令和8年度完成の予定)の現地視察では、堤防の上から配置計画を確認しました。

3時間近くの研修でしたが、工務第1課長・専門調査官、地域防災調整官・防災対策係の方々にお世話になりました。

埼玉県越谷県土整備事務所では、都市計画道路越谷吉川線の吉川橋架け替え工事と大場川(吉川工区)の改修について、現況と今後の予定等について伺いました。

吉川橋については、都市計画道路越谷吉川線事業説明会資料(令和4年3月)、大場川(吉川工区)改修については県土事務所が出している令和4年度主要事業資料に基づき、河川担当部長・河川担当技師、道路施設担当課長・担当技師より説明を受けました。

県土事務所では午後3時前から5時までレクチャーと質問、意見交換等でお世話になりました。

議案質疑や一般質問で市から説明を受けている部分もありますが、やはり正確な情報把握は、実際に事業を進めている国や県の出先機関で直接話を伺う必要性を感じます。また昔から言われていることですが、「川や道路の改修」は、計画から完成までに長い年月・時間がかかることを改めて認識した1日でした。

パソコン修理完了

パソコンの修理が終わり、また使えるようになりました。

HP(ヒューレットパッカード)のノートパソコンを使いはじめて、間もなく満3年になります。4月中頃からパソコンに内蔵されているバッテリーに不具合が生じ始めました。

電源につないでもバッテリーには10%しか蓄電されないため、持ち運びができません。使い始めると10分程でパソコンが突然ダウン。保存機能も働かず、入力したものは消えてしまいます。
電源コードをつなぎ使用すると、15分でパソコンが熱くなり誤作動を繰り返します。エクセルで作った表はゆがみ、勝手にデータが出てきたりしました。便利なものほど不具合が起こると困ってしまいます。不便です。

HPの修理部門へ連絡すると、「バッテリーが本当に悪いのかどうか確認をしたい」と。担当者の指示に従い入力すると、やはり「バッテリーに異常がみられる」という。

修理について尋ねると、「費用は3万円くらいで期間は4週間かかる」という。担当者との会話から中国に電話が繋がっていると感じたので、修理は中国でやるのか日本で行うのかを聞くと、「日本国内(栃木・茨城県?)」だという。

修理費用の3万円はともかく、期間が4週間というのは困るので、検討して連絡すると伝えると、「新しいパソコンに買い替えるのであれば、割引券を送る。また8月31日で購入から3年経つので、それ以降は修理等の相談には応じられない」という。随分と勝手な言い分だとも思ったが、直ちに買い替えることも出来ないのでメーカー以外での修理を探すことにした。
その前に、使っているバッテリーがどこのものか確認すると、6~7千円で売っていることが分かった。

川口駅近くの修理業者に連絡し、パソコンの状態を説明し修理について尋ねると、「バッテリーの取り寄せに1週間、期間はパソコンを預かってから4日間、費用は2万円プラス消費税」と。バッテリーが入り次第連絡をもらい、パソコンを持参することにした。

5月6日(金)、店に行くと「5,000円プラスで、もっと早くできる。すぐに電池交換作業に入り、終了後点検をした後お渡しが可能。午前中にお預かり出来れば今日中にお渡しできたが、午後の預かりなので、明日の朝になる」と。

少しでも早い方が良いので「エクスプレスサービス」でお願いし、翌7日(土)に引き取りました。総額で27,500円でした。

交換した不具合のバッテリーを見ると、全体に膨張した状態になっていました。ひどくなると、さらに膨張して画面が閉じられないこともあるそうです。

それにしても、メーカー修理は時間がかかり過ぎではないでしょうか。




お休みします

パソコンのバッテリーに不具合があり、途中で固まってしまいます。
昨日からやっていますが、今日もダメでした。
5月6日に修理に出す予定ですので、5月14日から再開したいと思います。

季節の移ろい

ソメイヨシノが散り、代わって八重桜が咲きました。八重桜も散り始め、今度は白やピンクのハナミズキが咲いています。
この数週間、凄い速さで成長している花や木々の呼吸で息苦しくさえ感じます。

我が家のベランダで、枯れた棒のようになっていたイチョウからは小さな葉が、ミカンの木も新たな葉が生まれています。
モッコウバラは、あっという間に黄色の花をたくさんつけています。
近くの緑道に植えた花たちも数倍の大きさになり、散歩や買い物に行く人達の目を楽しませています。

お花を習っていた頃に先生から「仕事もお金も大切ですが、季節の移ろいを感じることも大切では」と言われた。

会社も仕事も大変な時で、私の様子から心配をされてそのように話されたと思います。

多くの人は、わが身にふりかかる小さなことでも痛切に感じられますが、自分に直接関係ないことは「大事」であってもそれほど心配をしません。私もその一人です。

ロシアとウクライナの戦いも、「対岸の火事」、「山門から喧嘩を見る」ようなところがあります。
日々起きているロシアの侵攻・ウクライナの現状を映像と新聞で見ています。プーチンとゼレンスキー大統領、軍事専門家や評論家そしてアメリカやウクライナ周辺国首脳の話から、この戦争の行方を考えています。

自分は安全な所にいて、この世の「大事」を一つの出来事として捉えています。
それでも、遠く離れている自分には被害が及ばないことなのに心配が止みません。そして、募金をすることくらいしか出来ない自分に苛立っています。

戦禍の中での言葉は重く、苦悩の表情を浮かべる方々にかける言葉は見当たりません。そのような中で「季節の移ろい」を感じることは難しいと思います。

本当に1日も早い停戦合意に達するよう願うばかりです。




終わりが見えない戦争

終わりが見えない戦争。
ロシアのウクライナ侵略はいつまで続くのか。いつ終わるのか。
誰にも分かりません。

攻撃が拡大し悲惨な状況が繰り返されています。

攻撃は軍事施設だけでなく、都市や農村のインフラや住宅・学校・病院・劇場・教会・工場や畑等、見境のない破壊が執拗に行われています。
また、兵士だけでなくその土地で暮らす市民までを標的にし、子ども・病人・妊婦・年寄りも関係なく殺戮しています。挙句の果て、婦女子を強姦したり略奪を働き、さらに一般市民をロシアへ連れ去り、一部はシベリアに送られ強制労働をさせているという。私たちが知るメディアでは、そう伝えられています。

改めて人間というものの恐ろしさを感じます。

50年前、100年前にはそうしたことがありました。今この時代にそんなことが現実に起きていることに愕然とします。「戦争とはそうしたものだ」と簡単に言えるようなことではないと思います。

しかし少し振り返って見ると、ミャンマーやアフガニスタンそして中国でも同じようなことが起こっています。

報道では、学者や政治家・専門家・評論家と言われる方々の発言が取り上げられています。「許してはならない」「こうすべきだった」というより「今、なにをすべきか」「これからどうすべきなのか」を語って頂きたい。政治家は発言だけでなく「行動」してほしい。

私たちに出来ることは限られています。国連難民高等弁務官事務所や国境なき医師団等への寄付とウクライナへの連帯を示すことぐらいです。ウクライナやロシアと繋がりを持つ方はそれを利用して支援と和平への働きかけてほしい。

日本はウクライナ周辺国のように大量難民を受け入れ、武器を供与することは出来ません。武器の供与には難しい問題があります。攻撃性の強い武器でロシア軍をせん滅するようなことになれば、戦争の長期化、ロシアによる化学兵器や核の使用が現実味を帯びます。第3次世界大戦に繋がる恐れがあります。

ウクライナ国内からロシア軍を撤退させ、停戦協議に進めていくのは難しい課題です。進攻を止め、撤退させ、停戦協議を行う為の「戦闘」を上手くやらなければなりません。どこまでダメージを与えるのかの見極めは難しいことです。やらなければ戦いに負け、やり過ぎるととんでもないことに繋がります。停戦に向かうための戦略・戦術の中で 「戦闘」 レベル・方法が決まるのでしょうが、相手があることなのでその判断は簡単ではありません。

戦争はどちらかの国が負けを認めれば終わりますが、現状ではそれは無いようです。停戦交渉は戦況によって方向が決まります。

最終的にはアメリカと中国が一体となって、ウクライナとロシアの間に入り停戦協議をまとめることしか方法はないように思われます。

日本のように最悪の状況下での「終戦」とならない事を祈るばかりです。


「花冷え」

「花冷え」が続いています。

桜の花が咲くころの寒さです。
桜の花が咲くような時期に冬に戻ったような冷え込みが来ることで、そのように言われているようです。

市民交流センターおあしす横の桜並木は、3月25日(金)には数える程の開花でしたが、26日(土)・27日(日)の暖かさで一気に花開きました。
遠目には「満開」のように見えました。

何年か前のこの時期、桜の花に雪が降り積もったことがありました。美しい光景でした。

先日の雨で少し散りましたが、もうしばらく春爛漫を楽しめそうです。

「花冷え」 と同じような言葉が外国語にあるのか知りませんが、美しい日本語の一つだと思います。

「まん防」解除

未だ収束が見えない中、18都道府県に出されていた「まん延防止等重点措置」が3月21日で解除されました。

現在、オミクロン株がBA・1 からさらに感染力が強いBA・2系統への置き換わりが進んでおり、4月には1万人を超える感染の再拡大が懸念されている中での解除です。

政府は、新型コロナウイルス「第6波」に向けた総合対策で、医療供給体制の強化・ワクチン接種の促進・治療薬の確保・日常生活の回復をあげ、取り組みを進めています。
当然と言えば当然の対策ですが、「日常生活の回復」は多くの市民が望んでいることだと思います。

2年余のコロナ禍での不自由な生活はきゅうくつです。

経済活動全体へも影響を与え、格差社会はさらに広がっているように感じます。

人は本来、行きたい所へ行き、みたいものを見、やりたいことをする自由を持っています。出来れば、自分が望む時にのぞむことをしたいと思っています。

私たちの日頃の会話や行動は「不要不急」と言えば「不要不急」のものです。「日常」とはそういうものではないでしょうか。

「自粛」という見えない同調圧力は「コロナ疲れ」を生んでいます。
ウイルスもワクチンも「もうたくさん」との思いもありまが、ここは、「日常」を取り戻すための踏ん張りどころだと考え、もう少し頑張りたいと思います。

副市長 椎葉祐司氏退任

3月定例会最終日(3月18日)の全日程を終えた後、椎葉祐司副市長より退任の挨拶を頂きました。

副市長は、『幸せな地方公務員生活を送ることが出来、思い残すことはない。43年間、多くの方に支えられ務めを果たすことが出来ました。とりわけ、深井町長(初代市長)との出会いがなければ今の自分はないと思う。町長が掲げた「アメニティタウン吉川」が、30年経ってやっと形になってきた。まちづくりには、時間がかかる。』

そして、『市役所の仕事は定型業務が中心だが、社会の変化に合わせ、新しい課題に向かって取り組む仕事がある。地域の課題を施策や事業に落とし込み、実施することです。』

職員に求められるのは、『コミュニケーション能力。市役所はサービス業。個人・団体・会社等との折衝があります。「話を聞く」「まとめる」力です。
時代はリアルからデジタルに向かっています。しかし、最後は人。』と話されました。

傍聴席には多くの職員も集まり、聞き入っていました。
私には、職員だけでなく「最もコミュニケーション能力のない、あの方に伝えているようにも」感じました。

*私が記憶する副市長の「言葉」です。一言一句、正確に書きとどめたものではありません。
椎葉副市長には、ゆっくりとご静養をされ、「健康」を取り戻して頂きたいと思います。

お墓参り

明日は墓参りに行きます。
両親のお墓です。
年に2回、兄妹4人そろって行っています。

駅の改札を出た所にある店で待ち合わせ、お茶を飲んでからお寺に向かいます。駅からはタクシーです。
多分20年くらいは続けています。

私たち4人とは特に関係のない土地にあるお寺ですが、親父がその寺を気に入って墓地を買い、「ここにお墓を建てくれ」と言っていた場所です。

以前、なぜそんな所に買ったのかと聞くと、その寺の住職が東京の巣鴨にある親父の両親(祖父母)が眠る寺で修行していたということで、何かの縁だと思った。との事でした。巣鴨のお寺には、遠山金四郎や千葉周作、関宿城主等のお墓があります。八百屋お七も眠っていたと思います。
どのようにして、そこのお寺を見つけたのかは聞き漏らしましたが、今にして思えばおそらく持っていた土地との係りだと思います。

父が東京都を定年退職した後、民間の会社でしばらく働いていました。その頃、千葉の九十九里海岸の近くに土地を買っており、そこに小さな家を建てたいと言っていました。

海が近いので、「釣り」をしたかったのだと思います。

現役の頃から、よく「釣り」に行っていました。休みの日には、東京湾でハゼやキス、カレイなどを。奥多摩や山梨の川や湖では、鮒・へらぶな・鯉・わかさぎ・ウグイ等。

鮎が解禁になる前日にはウイスキーのポケット瓶を持って酒匂川へ、夜に出かけました。鮎釣りでは胸まである長靴を履いて川に入り、その為か神経痛で苦しんでいた時もありました。

九十九里の「小さな家」は私たち家族の反対で実現しませんでした。
今更ですが、好きにさせてあげるべきだったと思います。