季節は秋に

今朝、「ラジオ体操」が始まる時間に目が覚めました。
1時過ぎに床に入りましたので、5時間眠ったことになります。

この数年、4時間以上続けて眠ることはありません。
やはり、1週間の疲れが気のゆるみで出たのだと思います。

とにかく暑い1週間でした。「議会報告」のチラシをポスティングするため歩いていました。日中、外にいるのは道路工事の関係者ぐらいで、一般の方はあまり見かけません。

特に、20日(木)は暑い一日でした。
朝9時から午後2時まで、800枚を配布しました。

途中、公園で休みながら2リットル以上の水分補給をしましたがほとんどが流れたようで、はいていたコットンパンツまで汗で濡れ、ベルトから色が落ちてしまいました。

涼しい時間に配布しようと、朝4時に起きて4時半に家を出たり、午前中と夜に分けたりしましたがどの時間帯にやっても汗の量は変わらないようです。5,000枚近く終わりましたので、あと一歩です。

毎朝、温度計を見ていますが居間の気温は33度位でした。
そんな中、時折、明らかに夏とは違う風を感じます。

夕方から吹く風に、爽やかな秋の匂いを覚えます。

一瞬、今夜はエアコンがいらないのではと思いますが、6時過ぎにはまた蒸し暑さが戻ってきます。

また、この間まで4時には朝を迎えていたのに、今は4時半でも薄暗く、活動するのをためらいます。

今年は梅雨明けも遅く尋常でない暑さの夏でしたが、確実に「秋」は訪れています。

*また更新が遅れ申し訳ありません。一昨日、9月議会の議案書が配布され代表者会議も開催。3・6月定例会に加え4・5・7月に臨時会がありましたので、2月から6ヶ月間連続の議会です。

「すいとん」

「戦争」が終わって75回目の8月15日を迎えました。
日本が戦いに敗れた1945年8月15日から、今日で75年です。

若い頃は、8月15日は「終戦」ではなく「敗戦」の日だと考えていました。いつの頃からか覚えていませんが、「終戦」という言葉の方がしっくりとします。当時の人たちの素直な感情は、「やっと終わった」という気持ちだったと思います。

終戦から2年5カ月目、私は東京都杉並区荻窪で生まれました。

子どもの頃、自宅の縁の下には鉄カブトや飯ごう、そして兵隊が履くような靴が転がっていて、西荻窪駅近くの広場には、*「くず屋」が集めた鉄カブトが積まれていました。近所の仲間とその鉄カブトをかぶり、「戦争ごっこ」をしていました。

荻窪駅をはじめ、新宿・池袋・有楽町・銀座・上野等、駅や繁華街には白い着物姿の傷痍軍人がいました。

手や足を失った人や目に傷を負っている人が松葉杖をついて立っていたり、腕立ての姿勢で募金箱を置いていました。アコーディオンを弾いて軍歌?を歌っている人もいたように覚えています。

母は、「本当に戦争で傷ついた人もいるがそうでない人もいる。」と言っていました。
新宿では、中央線・山の手線ガード下の傷痍軍人はいつも汚れた着物をまとった人でした。

1980年代。上野駅前のデパートで食品を担当していました。8階催物会場で毎年8月15日頃に「すいとん」を出していました。

店内にあった蕎麦屋の親父さんに頼んで、「すいとん」を作ってもらいました。
食べるのは、戦争を知っている世代が多かったように思います。食べ終わると、「こんなに美味しくはなかった。」と、ほとんどの方が言いました。

結婚するまで実家にいましたが、毎年8月15日には必ず「すいとん」が食卓に上りました。黙って食べますが、2回、3回と続けて出てくると「また、すいとん」と言うと、母も父もそろって「あの頃は、こんなに美味しくなかった。食べるものがなかった。」と。

我が家でも今日8月15日は、「すいとん」が出ます。

*「くず屋」: 当時、リヤカーを引いて廃品を回収する仕事

嬉しいこと。さびしいこと。

今朝は4時半に目が覚め、5時には家を出ました。

久しぶりの散歩です。芳川神社でお参りをして、レイクタウンの大相模調節池へ。
ジョギング、散歩、犬の散歩はいつもの土曜日の光景ですが、子ども達の姿が目立つのはやはり「夏休み中」だからでしょう。

ジョギングは老若男女、散歩は高齢者夫婦、犬の散歩は中年のご婦人が多いように思います。

早朝の散歩は、「マスク」を着けていない方もいて少しホッとします。全員のマスク姿は不気味です。

7時半近くにマンションに戻る時、緑道に植えた花壇の中で犬がフンをする恰好をしているようでした。飼い主が犬を花壇の外へ出し、遊歩道でフンをビニール袋へ入れ持ち帰りました。

時々、花壇の中にフンが埋まっています。犬が後ろ足で土を掛けるようで、花が蹴散らされています。
フンを処理し、傷ついた花の捕植をしています。

向かい側を見ると、先日植えた花が消えています。時々、花がなくなります。きれいな花を一輪、髪に挿したり胸のポケットからのぞいているのはオシャレだと思いますが、根ごと引き抜くのは興ざめです。

草花や木を頂くこともあります。マンションの居住者やご近所の方々から、「こういう場所には、これを植えてみたら」と持ってきてくれます。

これまで、アオキやモミジ、ハラン・万年青、ユリ等を頂きました。また、倒れそうになっている花を、工夫して支えてくださった方もおります。

見ていない所で悪さをする人、陰で支えてくれる人。
世の中、いろんな人がいます。

*8月9日追記 : もう一つ嬉しいことがありました。家へ帰ると、ベランダの「朝顔」が咲いていました。赤が6、青が10、今年最高の16です。4時半に見たときにはまだ開いていませんでした。

5月に種をまき、6月下旬から「赤い花」が咲き始め、8月に入ると種を着けていました。丸々とした種です。そんな中、やっと「青い花」が2つ3つ咲き始め、今日は突然の10。

終わったと思っていた赤い朝顔も再び咲き始め、競っているようです。

梅雨明け

気象庁が昨日(8/1)、関東甲信、東海が「梅雨明けしたとみられる」と発表。
8月に入っての梅雨明けは、2007年以来13年ぶりだといいます。

それにしても、はっきりしない発表です。
そういえば、何年か前にも、「昨日、梅雨明けしていました」ということもありました。

今朝の朝刊の天気予報には、「九州から関東は大体晴れるが、にわか雨や雷雨の所があり、局地的に激しい雨も。」とあります。これは梅雨とは関係ないのでしょうか。

今年の梅雨は長期間だっただけでなく、局地的な集中豪雨で河川の氾濫や土砂崩れなどが全国各地で発生し、大きな被害をもたらしました。関東地方でも豪雨、雷雨が頻繁にありました。

この影響で、農作物や収穫を前にした果物にも甚大な被害があり、生産者は窮地に立っています。消費者は、あまりにも高くなった野菜に困惑しています。

コロナウイルス感染拡大が続く中、ボランティアの移動、活動が制限をされています。
水害のあった地域では、その後片付けに多くの人手を要しますが、県内だけのボランティアでは足りないと思います。

前にも提案しましたが一定期間、地域の児童・生徒の協力を得て復旧活動を行なったらよいと思います。
高校生は勿論、中学生も相当なことが出来ます。児童にも出来ることはあります。

現場に行き、活動体験することで自然災害の恐ろしさ、安心・安全な町づくり、人々の暮らしと産業、高齢者、障がい者、弱者に対する理解等を身をもって知ることに繋がります。

自分が何時、支援を必要とする側になってもおかしくない事や、困っている人のために働く喜びを感じると思います。学校では実感できない学びがあると思います。

昨日は、市立第2保育所と吉川中学校の見学会がありました。
どちらも、今年の3月には完成していますが、コロナ感染症の拡大で行くことが出来ませんでした。

市立保育所も中学校も立派な素晴らしい施設で、随所にいろいろな工夫が施されています。

吉川中学校では、ICT環境が整備されています。従来の図書室とPC室を一体利用できるメディアセンターが設置され、タブレット端末も数十台ありました。

国は現在、「GIGAスクール構想」の実現進めています。6月議会では、小・中学校校内LAN等の整備を予算化。7月31日開催の臨時議会補正予算で、児童・生徒1人1台のタブレット端末の整備、3億3054万8千円が承認されました。

新たな時代の中でICTの活用を学ぶことは、これからの児童・生徒の人生に係わることであり、国の格差にも繋がると思います。

ICT活用の指導力が問われる大変な時代です。

「驟雨」

午前11時半頃雨が上がり、「洗濯物」をベランダに干した。

天気予報ではお昼まで傘、その後は雲マーク。今朝見た吉川の天気はそうなっていた。

午後1時過ぎ、空に黒い雲が広がり突然の雨。
急いで「洗濯物」を風呂場へ移動し、「衣類乾燥」を7時間に設定。

洗濯機の上に設置した乾燥機を使った時期もありますが、その後雨の日は居間や風呂場に吊るし、除湿機と扇風機で乾かしていました。
長い間、そんな生活をしていたが一昨年、洗面所と風呂、トイレ、キッチンの水回り工事をした際、風呂場で「衣類乾燥」が出来るようにした。マンションに入居して30年が経っていた。

南側のベランダに激しく雨が降り注ぎ、見ている間に雨水が広がってきた。
これは「驟雨」。それともやはり梅雨前線の影響。

友人から借りた詩集の中に、「驟雨(しゅうう)」という言葉があった。フランスの詩集だったと思う。
大学生になって間もない18歳でした。

渋谷駅から歩いて学校までの坂道を上り下りする毎日でした。

あれから随分と長い年月が経ちました。世の中も時代も変わりました。あの頃のことを思い、そして自分は何が変わり何が変わっていないのか。

考えていたら、何時しか雨は止んでいました。
雨に打たれた朝顔が、また開いています。 

「感想戦」

藤井聡太7段が渡辺棋聖との対局で、「勝った」との速報を聞きテレビをつけた。

画面右上にLIVEの文字。藤井7段と渡辺棋聖が向かい合って駒を動かしていた。渡辺氏が何か「ブツブツ」と言いながら素早くそして立ち止まってゆっくりと。藤井7段も、相手の一手に合わせ駒を進め「ブツブツ」に応えて何か言っている。

しばらく見て、先程までの対局を再現し振り返って指していることは分かったが、なぜそうしているのかは理解できなかった。
ひとり言のように、ため息・うめきとも思える言葉を発している渡辺氏、静かに対応する藤井氏。二人とも着物姿でした。体育座りをする渡辺氏と正座の藤井氏の姿が印象的でした。

今朝(7/18)の朝日新聞社説。『藤井新棋聖「感想戦」に学びたい』で、初めて「感想戦」という言葉とその内容を知りました。

『投了後に両者が一緒に対局を振り返って、勝因、敗因などを分析する「感想戦」』『それぞれの場面で自分が何を考えたのかを語り合い、より良い一手があったのかを共同作業で探求する。人工知能(AI)でもすべてを解明することはできないといわれる将棋の奥深さと、そこに一歩でも近づこうという熱意。悔しい負けを喫したばかりの渡辺棋聖が、丁寧な言葉づかいで19歳下の藤井新棋聖に意見を請うシーンには、胸を打つものがあった。』

また、『「感想戦」に時間の制限はない。敗者が納得するまで続けるのが常だ。…熟慮や対話を通じて自らを相対化する営みが敬遠されがちな現代。将棋界が長い年月をかけて育んできた感想戦の文化から、学ぶべきことは多い。』と。

【2016年】14歳2ヶ月でプロ入りし、当時現役最年長だった加藤一二三9段とのデビュー戦で勝利。
【2017年】公式戦29連勝
【2018年】中学生として初めての5段そして7段へ昇進。
【2019年】朝日杯で優勝
【2020年】7月16日棋聖戦第4局で渡部 明棋聖を破り最年少(17歳11ヶ月)でタイトルを獲得。

「天才」と言う人もいますが、私はやはり「努力」の人だと思います。

真摯に研鑽を積んできた結果ですが、とりわけこの数年、将棋界を代表する上位陣との戦いで、力をつけてきたのではないでしょうか。トップクラスの棋士と対局し、負けたことで成長されたと思います。

他のスポーツや仕事、研究なども同じです。
強い相手と難しい・大変なことをやることで、人は成長すると分かっていますが、自分のこととなるとなかなかできないものです。

藤井聡太さんを見ていると、将来も「人間にはAIを超える考える力がある」と思えてきます。

線状降水帯

「コロナウイルス」は、首都圏を中心に再び感染拡大が広がり、今までの最多記録を更新しています。
そんな中、経済活動の再開やイベントの制限が緩和され、プロ野球とJリーグでは観客を入れての試合が行われました。
少しずつ新たな「日常」「生活」が始っています。

しかしこの1週間、九州では記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きました。

九州各県に被害が及びました。とりわけ熊本県・福岡県では住宅の浸水被害が大きく、両県で11,000棟を超えています。熊本県で亡くなった方は60人、九州全体で63人です。

なぜ九州で記録的な雨による大きな被害が出たのか。
テレビや新聞では、その原因を「線状降水帯」だとしています。

『梅雨末期の九州、温かく湿った空気が流れ込み東西に延びる梅雨前線沿いに雨雲が発達。前線は九州を横切る形で、南北二つの高気圧に挟まれて停滞。次々に発生した積乱雲が連なって大雨を降らせる「線状降水帯」が形成された。』と説明。

「線状降水帯」の研究者は、『積乱雲が発生し雨を降らせるのは日常的にあるが、積乱雲が次々と繋がって発生し、それが停滞するというのは極めてまれなケース。これにより、記録的な雨量となった。「線状降水帯」の発生予測は難しい』と言っています。

一見、何か分かったように思ってしまいますが、熊本県人吉市・球磨村の球磨川流域の浸水がなぜ発生したのか、その原因については簡単には分からないと思います。色々な要因があり重なり合って起こっているのではないでしょうか。

雨量や地形、球磨川と支流の位置関係、上流と下流の川幅と流れ方、降雨時間等が重なり絡み合っていると思います。

コロナウイルス感染症も、これまで耳にしたことのない「パンデミック・ロックダウン・クラスター・抗体検査・濃厚接触」等、研究者・専門家の使う言葉を自分が使うことで、何となく分かったような気になっているのではないでしょうか。私をはじめ、多くの人も本当のところは理解できていないと思います。

「コロナウイルス」とは何か、どこから来たのか、なぜこの時期に発生したのか。その背景にある要因やコロナ後の世界はどう変わるのか等、分からない事ばかりです。

極めてまれな「線状降水帯」の停滞が1週間も、なぜ九州で起きたのでしょうか。

「一国二制度」

熊本県南部を流れる球磨川氾濫の様子が、今朝からテレビで流れています。
東京都のコロナウイルス新規感染者が50人台から3日連続で100人を超えたと伝えられています。

海外でもこのところ、余りよいニュースがありません。
中国では全国人民代表大会で、香港の反体制活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)を全会一致で可決しました。

香港政府を超えて、中国政府の権限が大幅に強化されるもので、反体制活動・言動への厳罰化が現実になります。

英国の植民地だった香港が1997年に中国に返還されて23年。中国政府は「一国二制度」として香港の自治と自由を保障してきました。

香港の憲法にあたる香港基本法では「香港人が香港を統治する」原則のもと、行政管理権や司法の独立を認めてきましたが、返還以来続いてきた「一国二制度」が大転換されました。

香港の自由や自治は形骸化され、「中国化」が進むことになりそうです。

中国政府が「国安法」の成立を強引に進めたのは、やはり香港の現状を放置すれば民主化が進み、香港独立・中国との分離そして台湾独立に繋がると考えたのではないでしょうか。また、自由や基本的人権に対する考え方が中国本土に影響が及ぶと恐れたのではないでしょうか。

昨年6月に急拡大した香港でのデモはそれ位の勢いだったと思います。東欧の旧共産圏で親米勢力が政権を倒したカラー革命を思い起こさせます。盛んに「米国陰謀論」を流した中国政府の不安が、そうさせたのかも知れません。

香港人の希望を断ち、国際金融センターとしての地位・役割を失い、諸外国からどんなに非難を受けようとも構わないと考えたのでしょうか。

2047年に香港は返還50年を迎えます。
どんな都市に生まれ変わっているのでしょうか。

「朝顔」が咲きました

「朝顔」が3日前から咲き始めました。
朝起きて、ベランダへ出ると赤い「朝顔」が2つ咲いています。いよいよ夏近しと感じます。

他の色も出てくる予定ですが、今のところ赤のみ毎日2つです。

今年は、久しぶりに「種」から育てています。プランターに、直まきして1ヶ月ぐらいだと思います。今週突然、つるが伸びはじめ絡み合うようになってきました。

これから、いろんな色の花を見ることが出来ると思います。楽しみです。

以前ご紹介しましたが、橘 曙覧の世界が近づいてきたように思います。

たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのう)まで 無(な)かりし花の 咲ける見る時

*幕末の歌人・国学者の橘 曙覧(たちばなあけみ・たちばなのあけみ)については、2018年7月28日と2018年10月6日に書いています。お読みいただければ幸いです。

「おけら」

先日、ベランダの排水溝の所で「おけら」に出会った。
最後に見てから60年以上が経っています。

昔は子どものオモチャでした。土を掘って、「おけら」を捕まえて遊んでいた。手に持つと前足の動きが両手を広げているように見えるので、その様子を友達と一緒にはやし立てて遊ぶものです。
はやし言葉は、余り「上品」とは言えず、男の子の遊びだったと思います。

「おけら」は土の中にいるものだと思っていましたので、なぜ排水溝の所にいたのか調べてみると水分不足に非常に弱い昆虫だと分かりました。

正式名はケラ(螻蛄)で、英名は「モグラコウロギ」です。
その生態は地中を掘り進み、水上を泳ぎ、空を飛び、地上を歩く・跳ねる・走る等、行動範囲の広い生物です。姿・形からすると、とてもそんな事が出来るとは想像できません。

また、オスは地中の巣穴で鳴くそうです。鳴き声は「ジー……」「ビー……」と聞こえると言います。知らない事ばかりでした。

「おけら」と言うとお金のない状態を、器用貧乏な様を「ケラ芸」と言われています。一部の人たちの間では、馬鹿、間抜けという意味で使われるそうです。

それもあの風体からくるのであれば、少し可哀そうな感じもします。

*「虫けら」は虫全般を指し、このケラ(螻蛄)とは関係がないそうです。

*「おけら」は3㎝程の昆虫ですが、よく見ると独特な風貌で何とも形容し難く、手にした時のあの「ぷよぷよ感」は何とも言えません。図鑑などでぜひ一度ご覧ください。