お盆

今日はお墓参りに行ってきました。
田端駅からお寺へ行き、帰りは駒込駅へ出ました。
義父母の墓参りです。

妻と結婚する前から義父と一緒にこの寺には行っていました。
駅前の急な坂道を「ふうふう」言いながら登ったことが思いだされます。
義父は埼玉県東部の出身で、上野駅の近くで米屋を営んでいました。若い時には軍艦に乗っていたそうです。
出身地の村(町?)から、初めて海軍に行くというので盛大に送り出してもらったと言ってました。

船に乗っていた時に身に着けていたものだと思いますが、海軍の短剣を頂きました。刃は削られていますが当時のままの姿です。
めったに見ることはありませんが、今日は手に取ってみようと思います。

当番

今朝は6時から7時まで、マンション内駐輪場の見回りを行いました。
今年度は第34期管理組合の「役員」が順番で回ってきました。担当(役割)は決まっていますがそれ以外の仕事の一つに、「駐車・駐輪違反確認見回り」があり、役員20人が交代で行っています。

役員は2回目ですが、これまで大規模修繕検討委員会や長期修繕計画検討委員会等の委員を務めてきましたので、久しぶりという感じはありません。

駐車・駐輪違反確認見回り当番の仕事は、①1週間の間に3回、20時~22時に敷地内道路を巡回・確認。「駐車違反管理表」に違反車両のナンバー等を記入し、違反ステッカーを貼付。②駐輪違反確認は、週1回、土曜又は日曜日の日中に駐輪場14カ所及び敷地内を巡回・確認。違反自転車の駐輪状況を「駐輪巡回表」へ記入し、駐輪違反ステッカーを貼付することです。
当番は年2回~3回(1人)回ってきます。

実際にやってみて感じたのは「駐車違反」の車が無かったこと、自転車の数が大きく減ったことです。「子ども用」自転車が見当たらなかったことにも、改めて驚きました。

マンションが出来た当初(30年前)は、特に金・土・日曜日の夜から月曜日の朝まで違反車両が多く見られました。

そこで、近くに土地を持っている方のお宅へ行き新たな駐車場を作って頂きました。その為に、市の農政課へ「農地転用」を認めるよう要望書を提出したりしました。マンション内駐車場を利用できない車両と臨時利用分、合わせて数十台置けるよう契約をしました。

自転車は、310戸にそれぞれ1台分の駐輪場があるだけでした。実際には、通勤・通学用や子ども用も多く、1世帯に2~3台はありました。

敷地内で使える場所は全て活用するため、空いている場所に新たな自転車区画を設けるとともに緊急車両が入る敷地内道路の利用について、消防署へ行き相談しました。
それでも増え続ける自転車に対し、2台目(1世帯)からの自転車は有料としました。

駐車・駐輪違反確認見回りを始めたころは、トラブルも多くありました。
『訪ねてきた友人の車に「駐車禁止」の大きなステッカーをベッタリと貼られた』と怒鳴り込まれたり、自転車・オートバイの盗難が続いたことも。また、吉川をはじめ近隣市在住者から盗んだ自転車を放置されることも再三ありました。吉川警察署へ被害状況を出し、夜間のパトロール強化をお願いしました。 *交通機関が利用出来ず(深夜)身近にある自転車を使って、自宅へ帰る人がいました。自宅へは持ち持ち帰れず、マンション内に放置したようです。

今にして思えば大したことではありませんが、当時はそれなりに大変なことでした。

オリエント・カフェ

以前より行きたいと思っていた「小岩井農場」について、ホームページ等を見ていたら、都内にレストランがあることが分かりました。

「小岩井農場TOKYO」が丸ビルの5階、「オリエント・カフェ」は東洋文庫ミュージアム(六義園の隣)に併設されています。

「オリエント・カフェ」に行ってみようと思います。
レストランを利用するだけでなく、東洋の歴史と文化に係わる文献・資料100万冊の一部を覗いてみたい気持ちです。

店内には、樹齢100年を超えるカラマツが使われています。一枚板のバーカウンターとテーブルや東洋文庫ミュージアム内のサインボードに使われているのは、岩手県雫石にある「小岩井農場」に植えられていた巨木で、農場の「主」だと言われていたそうです。

明治24年から続く「小岩井農場」の思想と歴史、そして東洋文庫をつくった方々の思いに触れることが出来る所のように思います。

「オリエント・カフェ」の案内には、
【夜になると、また異なる表情を見せるオリエント・カフェ。“知恵の小径”に並ぶ格言やシーボルト・ガルテン(庭園)の一本桜がライトアップされ、幻想的に浮かびあがります。
「知」に遊び「食」に安らぐ、この場所だけの特別な時間】とあります。

そんな「時間」を過ごしたいと思います。




牧野記念庭園

6月22日(木)、牧野記念庭園へ行ってきました。
NHK朝の連続ドラマ「らんまん」のモデル、植物学者牧野富太郎博士の記念庭園です。

西武池袋線大泉学園駅南口から徒歩5分ほどの所で、博士が大正15年から亡くなるまでの30年余を過ごした住居と庭の跡地で、面積は2576.22㎡(780.7坪)あります。

現在は練馬区が管理する記念庭園で、開園は昭和33年12月1日。入園料は無料、開園時間は午前9時~午後5時、休園日は毎週火曜日です。

大庭園ではありませんが、博士が採取してきたり全国から取り寄せた植物を植え、「我が植物園」として晩年を過ごした地です。
園内には数種類の桜や松の木をはじめ、博士が仙台で発見したスエコザサ(妻・壽衛への感謝と愛情をこめて命名)やヘラノキなど、博士にゆかりの深い300種以上の植物が生育しています。
また、書斎と書庫の一部が保存されている書屋展示室や博士の遺品や関連資料を展示する記念館などがあります。

展示室では、ドラマでも紹介されている東京へ出て初めて購入した顕微鏡や自費創刊した「植物研究雑誌」などが展示されていました。
園内にある木・草花には、それぞれ名前の札が付けられています。午前中は時々雨が降りましたが、入園者も少なく、ゆったりとした時間を過ごすことができました。

同じマンションで暮らす仲間20人と一緒に行きました。下見に行った「ウオーキングの会」世話役の話では、日曜日は人がいっぱいだったといいます。
20人も集まるのはすごいことです。初参加の方も数人おりました。やはり、テレビの力は大きいと思います。

大泉学園には小学生の頃、時々行きました。
友達数人と荻窪から自転車で30分くらいだったと思います。
目的は、「東映大泉撮影所」で遊ぶためです。

当時、時代劇で使う街並み(長屋かも?)があり、そこでチャンバラごっこなどしていました。
表から見ると本物ぽい街並みですが、裏からみると粗末なバラックのようでした。

杉並・世田谷・練馬区は、駅から少し離れると武蔵野の面影を残すのどかな土地でした。所々に雑木林や田んぼ、畑もありました。
帰り道、大泉学園駅周辺にそびえる高層マンションを見て、改めて時の流れを感じました。
一面に広がる「練馬大根」の畑はどこに消えてしまったのかと。




6月定例会「一般質問」

16日(金)、6月定例会(議会)が閉会しました。
「一般質問」のテーマは、「これまでのコロナウイルス感染症への対応及びポストコロナへ向けて」です。
通告書には、(1)コロナ感染症対策(2)経済対策(3)市内介護事業所運営の現状(4)学校・保育所・公共施設等(5)パンデミック「第9波」への対策、に分けて質問の要旨を書いて提出しました。
担当部署の責任者へは、「今回の質問を通して誰に何を伝えたいのか」を事前に話をし、また質問に対してはポイントを簡潔にまとめ答弁して頂くようお願いしました。

一般質問に限らず通告した内容について、部・課長が質問の趣旨等を議員に聞きに来て意見交換することが以前はありました。最近はほとんどありません。やり過ぎると議会が「学芸会」のようになりますが、こちらの趣旨を理解せずに答弁をされると質問と答弁がかみ合わず、再質問に繋がらないことになります。

コロナ対策の数年間。議員は半数づつ議場と傍聴席に分かれ、部長も必要最小限の出席での定例会でした。「一般質問」も、最初から終わるまで「質問席」で行ってきましたが3年ぶりに演壇での質問内容読み上げとなり、三役・部長も全員ひな壇に並びました。

15日の一般質問では、はじめに
【3年余に及ぶ「新型コロナウイルス感染症」の世界的流行により私たちの生活や経済活動が多くの制約を受け、不自由な暮らしを送ることになりました。この様なことは、戦後初めてで多くの方々にとって初めての体験だと思います。5月8日、コロナが「2類相当」から「5類」へ移行しました。これを機に、これまでの感染症対策、経済対策そして日常生活について振り返り、この3年余の間に何が行われ、何が変わったのか。また、実施してきた政策や事業の必要性・有効性について、改めて確認することが大切だと考えたからです。コロナは未だ終息しておりませんが、中間的な「まとめ」を行い新たな事態に備えるためにやるべき課題だと考えました。】と、質問の背景・意図について思いを述べ質問に入りました。

人間は「忘れやすい動物」です。本当に「大変」なことや「つらい」ことも、時間とともに記憶から薄れてゆきます。全てを覚えていたら、前に進んで生きることは出来ないと思います。最低・最悪のことは思い出したくないだけでなく、忘れる力が働くのかも知れません。
忘れる前にこの体験をまとめ、次に生かせるようにするための6月定例会「一般質問」でした。

大雨被害

今月2日(金)~3日(土)、台風2号に伴う記録的な大雨は埼玉県にも被害を及ぼしました。

東南部の越谷市、草加市、松伏町では住宅浸水や畑が冠水し大きな被害となり、災害救助法の適用が決まりました。特に、越谷市では市の4分の1が浸水し住宅や商店の復旧めどが立っていないようです。松伏町では田畑500ヘクタールが浸水。中川沿いのトウモロコシ畑の15,000本が冠水しダメになったと伝えられています。

6月6日(火)、本会議開会に先立ち市民生活部長より吉川市内の被害状況等の報告がありました。概況は、
【人的被害】 ナシ 【家屋被害】床上浸水 6戸 保(吉川駅北)、床下浸水 合計66戸 須加・榎戸 5戸、栄町3区 13戸 保(吉川駅北)48戸
【農業被害】 ナシ 
 *現在継続調査中。須加・榎戸地区のネギ畑が冠水したとの情報も。
【避難情報の発令・避難者の状況】
 ●高齢者避難6月2日/20:15分 避難指示6月3日/01:20分
 解除 6月3日/11:30分
【河川水位の状況】
 ●中川 氾濫危険水位:基準水位4.1m 到達時間3日/01:00 最高水位:4.31m 3日 05:50
 ●新方川(増林)氾濫危険水位 基準水位:4.02m 到達時間2日/22:10 最高水位:4.54m 3日/02:50
*氾濫危険水位を下回ったと確認できた時刻は、中川が3日/11:00、新方川は3日/15/50
【雨量】
 ●総雨量305ミリメートル ●最大時間雨量53mm/h(6/3 0時~01時)●降りはじめ6月2日/01:30 降り終わり6月3日/09:40分でした。

吉川ではそれ程の被害は見られませんでしたが、隣の越谷・草加市、松伏町は大きな被害を受けました。線状降水帯の場所や時間によっては、吉川でも同様の被害があったかもしれません。

東日本大震災の1年後、東北へ行きました。岩手県の釜石だったと思いますが、ホテル・旅館はどこもいっぱいでやっとも見つけた宿は食事も風呂も無い所でした。銭湯の帰りに入ったお店で夕食をとりました。「海の近く家はみんな津波で無くなり、家族を失った人もたくさんいます。」「川ひとつ挟んでこちらの地区はほとんど被害を受けませんでした。同じ町で暮らし、毎日が辛かった。」と話をされたお店の方を思いだしました。


避難指示

6月2日(金)午後11時、須加自治会、榎戸自治会232世帯552人に対し避難指示が出され、3日(土)午前1時20分には、中川沿いの川野・川富・関・上河岸・下河岸・下町・本吉川5区・木売・高富・高久1区・高久2区・中曽根・道庭の13自治会6,839世帯14,646人に対し避難指示が発令されました。

大型の台風2号や梅雨前線の影響で一昨日夜から昨日の朝まで降り続いた雨で、中川と新方川が「危険水位」に到達したため避難指示(レベル4:危険な場所から全員避難)が出されたものです。

警戒レベル4相当は避難指示発令の目安です。中川の吉川水位観測所で「氾濫危険水位」に到達し、中川では堤防決壊のおそれがあることからの対応です。堤防が決壊すれば、草加市・越谷市・八潮市・三郷市・吉川市・松伏町・足立区・葛飾区では浸水のおそれがあります。

避難先は当初、関小学校・吉川小学校・中曽根小学校・児童館の4カ所でした。その後、中曾根小学校の避難所が混雑していることから吉川中学校が加わりました。
避難状況はおよそ、関46人・吉川32人・中曽根134人、児童館7人・吉川中11人・増林地区センター25人でした。*増林地区センターは越谷市ですが、須加・榎戸地区住民の安全を優先した措置。

中川が「氾濫危険水位」に到達したのは前回(5年前?)に続き2回目です。線状降水帯の発生で東海・関東甲信越で大雨となりましたが、幸いにも今回も再び「氾濫」一歩手前で大災害は免れました。

線状降水帯がもう少し長く停滞したり、ゲリラ豪雨が上流域で発生していたらと考えると、内水対策はやはり「溜める」と「流す」の両面で進めるべきだと思います。

いつものように11階のベランダから武蔵野線手前に広がる「水田」がキラキラと輝く姿を見て、改めてそう実感します。



トロイの木馬

使用中のノートパソコンに突然、「トロイの木馬に感染した恐れがあります。直ちに連絡をしてください。」という感じの警告文が表示されました。

画面の×を押しても消えず、繰り返し「音声」でも言い続けています。焦ってしまいます。仕方なく強制的に電源を切りましたが再びパソコンを開きパスワードを入れると、またトロイの木馬が出てきます。

警告文には連絡先の電話番号が書かれ、速やかに対応するように促しています。
そこへ連絡すれば逆に、個人情報やパスワードを盗み取られ情報漏洩やお金をだまし取られたり、場合によっては本物のウイルスに感染し、他の人への被害にまで拡大することも考えられます。

翌日の夜、対処方法を聞こうと長女の所へ電話をしました。まだ会社で仕事中でしたが、対処法を解説したものを送ってくれました。対処法の解説は、よく分かりませんでした。

パソコンで何をしていた時なのか、セキュリティ契約も複数しているのになぜ「偽警告」が出たのか、本当にウイルスに感染していないのか等を確認してもらうため昨日、娘の所へパソコンを持っていきました。

履歴からみると、サッカーの基本ルールについてみていた直後に警告文と思われる怪しいものが入っていることが分かりました。
当日、日本のプロバスケットチームのことやラクビ―について妻と話し合っていました。サッカーの基本ルールを見ている時、気づかずに画面上の何かに触れてしまったかもしれません。ウイルスの感染確認もしましたが、問題はありませんでした。

やっとこれで6月定例会の準備にパソコンを使えます。

多くの人が気軽に見るサイトに潜んでいる偽警告(フェイクアラート)は怖いです。



G7サミット

5月19日から「広島」で始まった主要7カ国首脳会議(G7サミット)。

「債務上限」の引き上げ問題で、オンラインによる出席になることもあるとしていた米バイデン大統領が参加し、また戦争当事国のウクライナゼレンスキー大統領も電撃的に来日しました。ウクライナへ最大の軍事・経済的支援をしている米国大統領が直接参加し、ゼレンスキー大統領が各国首脳に支援継続を直接訴える環境が整えられたことは、実効性ある議論を深め、G7サミットの役割と関心を一気に高めました。

世界中が心配しているロシアによる核兵器使用の威嚇を止めさせ、核軍縮・不拡散の話し合いを被爆地「広島」で開催し、その訴えを世界へ発信することは大きな意味があると思います。

今回のサミットで、インドやオーストラリア、ブラジル等8カ国の首脳を招いたことは良かったと思います。ウクライナとロシアとの戦争に距離をおく国々が参加したことは意義があります。特に、G20議長国インドのモディ首相が「国際社会が発展途上国の核心的な懸念に対処し続けられるよう、日本や同様の考えを持つ国と協力していく」「国家の主権と領土の一体性尊重に基づく国際秩序を強く支持する」と表明したことは、ロシアに対する強いメッセージになります。

一方、「軍事・経済支援を続けることは戦争を長引かせる。G7サミットにより、さらに世界の分断と対立が深まる」という考えや、「ロシアと中国を招き、直ちに停戦を求め、戦争を終わらせるために日本は努力すべき」という主張もあります。

それも一つの考え方ですが、実際にそれが出来るかどうかは難しい問題です。日本にそれをやり遂げる決意と能力そして国民的合意があることが前提となりますが、政府と国民にそれはあるのでしょうか。同時に、当事国が停戦や戦争終結へ向けてのテーブルに着く用意が必要です。ウクライナが「反転攻勢」をしようとしている今、それを行うことは出来ない状況だと思います。

戦争終結へ向けての合意を図るには「時期」があり、ロシアとウクライナの主張・条件を調整しなければなりません。その為には、G7・G20諸国等の協力が必要です。一筋縄ではいかない問題を、したたかな国々を相手にやり抜くには強力な交渉力・調整力が要求されます。外交力は、経済と軍事力の裏付けがあって成果を上げられるのが現実です。

それ程遠くない「時期」に戦争終結へ向けて、ロシアとウクライナの間で話し合いが始まると思いますが、調整の役割を果たすのは、やはり米国・中国・インド・G7ではないでしょうか。

現在の状況下で、かなり頑張った「広島」G7サミットの開催だと思います。



5月8日 コロナ「5類」移行

新型コロナウイルス感染症が5月8日、感染症法上の2類相当から「5類」に引き下げられました。

季節性インフルエンザと同じ位置づけとなりましたので、感染者への入院勧告・指示や自宅療養・外出自粛要請そして濃厚接触者への外出自粛要請もなくなりました。さまざまな行動制限がなくなり、個人・事業者等の判断に委ねられます。感染対策もそれぞれの判断、自主的取り組みになり検温や消毒液の設置、アクリル板設置などのガイドラインは廃止されました。

市役所の対応も、公共移設の使用・市主催の事業・イベント等はコロナ禍前に戻る予定です。議会でも6月定例会からは、コロナ禍前に戻ります。

3月13日以降、個人の判断となったマスク着用ですが少しずつ「脱マスク」が進んでいます。最近は、電車内でも付けていない方が見られるようになりました。来庁者へのマスク着用は求めず職員も任意となりましたが、窓口や保育所等の職員は当面マスク着用となります。

ゴールデンウイーク。行楽地や繁華街に人が溢れ、海外からの旅行者も相当増えたように見えます。
経済活動は商社・海運・自動車等の好決算が続き、鉄道・空輸・百貨店・ホテル・飲食業等は回復基調にあります。

人も企業も動き出し、いよいよアフターコロナへ本格的に向かっているように感じます。
しかし、コロナウイルスと季節性インフルエンザは同じ「5類」ですが、異なるものです。コロナは季節に関係なく繰り返し発症する感染症です。

これまでの国内感染者数は3,380万人。総人口の27.1%になります。欧米や南米等の諸国と比べ感染率は低く、日本ではまだ7割余が感染する可能性があります。新たな変異株の出現で、再度まん延しなければよいのですが、先のことは分かりません。

ロシアとウクライナとの戦争や米国発の金融不安が今後どうなるのか、気候変動による天変地異がいつ・どこで起こるかも分かりません。世界は、ガラス細工のように思えます。
「今を生きる」人達が抱えるリスクの一つとして、考えるしかないのでしょうか。