「ブルームーン」

今日は「ブルームーン」。
今年(2020年)最も小さな「満月」が見られる日です。

今10時過ぎ、南の空高く「満月」が輝いています。
冷たく乾いた空気の中で、星も街もいつもよりキラキラしています。遠くに東京のビル群が見えます。

いよいよ秋の深まりを感じます。
明日は11月。今年もあと2ヶ月で新たな年を迎えます。
今年、亡くなった義父の歳を超えました。

昔、義父に「人生はあっという間だよ」と言われた言葉を思いだします。

*PM10時30分、月は真上に移り明るく輝いています。月を見ていると、何となく静かな気持ちになり、義父の言葉の意味を改めて理解できます。2019年9月14日にも、月のこと(「中秋の名月」)を書きました。お読み頂ければ幸いです。

「新型コロナウイルス感染症」対策は

先日の朝、エレベーター前で近所のご主人と一緒になりました。
時々通勤の行き帰りにお会いし、ご挨拶していましたが、「ゴミ出し」の姿を見るのは初めてでした。

「お仕事の方はいかがですか」と尋ねると、「もう2ケ月休んでいます」。
「大変ですね」というと、「若い人は本当に大変だと思います」と。
「コロナも早く見通しがつけばいいですね」と言って、ゴミ置き場で別れました。

すでにご家族は独立され、今は奥様と二人の生活のようです。たまに、お孫さんが遊びに来ています。定年を迎えたのちも、平日は仕事に行かれているようでした。

議員になって13年目。毎議会後に「議会報告」のチラシを配っています。市内の同じ地域を歩いているので、街の様子は大体分かります。

この数カ月間で感じるのは、お店の「休業」や「閉店」です。
5~6月頃までは、「一時休業」が多かったと思いますが最近は「閉店」が目に付きます。

「閉店」し空き店舗になっているのは、飲み屋さんやカラオケ屋さんが多いと思います。新たな開店は、チェーンの宅配ピザ屋さんくらいではないでしようか。
住宅街では、「売り家」がぽつぽつと出始めています。
子育て中の家や比較的新しい家が、「売り」に出されているのを見ると、住宅ローンの支払いの関係かも知れない等と思ってしまいます。

ついこの間まで古い木造アパートが壊された後、そこに戸建て住宅や少しおしゃれなアパートが新築されていました。最近はあまり見かけません。

新型コロナウイルス感染症の拡大で、人々の意識と行動が縮んでいく中、産業や経済そして私たちの暮らしにジワジワと影響が出てきているように思います。

航空会社や鉄道・バス、ホテル、旅館、観光地や都市の飲食店・土産物店等、かつてない経営の危機にあります。そんな中、Go To トラベル・Go To イートは一定の経済効果があると思います。

しかし、本質的な対策は「コロナウイルス感染症」が特別な病気でなく、結核やインフルエンザ等と同様の病気にすることです。そうでなければ、この息苦しい生活から抜け出すことは出来ず、人が自由に移動できる社会にしなければ、経済も文化も再生できないと思います。

検査・治療・予防体制を確立するため、効果のある治療薬やワクチンを開発する必要があります。

しかもこれらは、国際的な連携・協力の中で進め、共有すべきです。自国の利益のために、戦略的物資として利用することは許されないことです。

「新たな感染症」は、これが最後ではありません。


「すだち」

友人からの「すだち」が届いた。
送ってくれたのは学生時代の友人で、数年前からこの時期にいただいています。「すだち」と一緒に入っていたメモには、「今年も、すだちが収穫できたので送ります」とありました。

彼は卒業後、大手の住宅建設会社に入社し中国地方の支店に勤務していました。
実家が山口県の岩国に近いところだったので、勤務地に希望したのかも知れません。

5・6年前だったと思いますが、彼から電話があり、「久し振りに東京へ行く。東北旅行への途中、上野に泊まるので都合が良ければ会いたい。妻も一緒。」だと言う。

せっかくの機会なので、東京近郊に住んでいるゼミ仲間の数人にも声を掛け、上野で会うことにしました。
旅の途中なので出来るだけホテルに近く、肩のこらない所が良いと思い、50年通っている「蕎麦屋」に。
それぞれの近況(日々の生活・家族)やサラリーマン時代の仕事そして学生の頃等。話は尽きず、あっという間に時間が経ちました。

今まで結婚式やその披露宴に数多く出席しました。都内の大きなホテルや結婚式場、地方のまちの式場や商工会議所で、地元の名士や国会議員を招いて開かれる披露宴にも行きました。

彼の披露宴にも行きました。地元の公民館(集会所)に10人ほどが集まり、二人の門出を祝いました。

折りたたみの長テーブルとイス。仕出しお弁当風のお祝い膳。ビールとお酒。スピーチも歌も、マイクはありません。
お祝いをしたい人たちが、ともに喜びを分かち合っている場所でした。

帰路の新幹線で、暗くなった外を見ながら「いい宴」だったと思いました。





香り

数日前の早朝、ベランダへ出ると「キンモクセイ」の香りが、かすかにしました。

どこから漂ってきているのか分かりませんが、11階まで届いています。
緑道や通学路を歩くと、植えられた「キンモクセイ」の強い香りを感じます。沈丁花やクチナシと同様に、季節を知らせる香りです。

人それぞれでしょうが、私は、かすかに香る方が落ち着きます。

だいぶ前ですが、お香の「お家元」の話を聞く機会がありました。
お香の歴史、香木(沈水香木)、日本の気候と「移香」、お香の遊び等。

知らない事ばかりでしたので興味深く伺いましたが、特にオモシロイと思ったのは、伊達政宗と「香木」、そして「危険な使い方」もあったということです。

伊達政宗は、香木を利用して名声や富を得ていたといいます。朝廷や公家、将軍、大名等に献上し、それによって官位や名声、富を得ていたと。
伊達政宗がどんな事情で「香木」を取り扱うことが出来たのか覚えていませんが、海外との交易をしていたことから考えると、出来ない事でもないと思います。

遊びと言えば、お香を聞き、その銘を当てることでしょうが、「危険な使い方」をする遊びがあったといいます。「ドラッグ」のことは詳しくありませんが、「香り」が「ドラッグ」に代わるものになったようです。

なぜ、そんなことになるのか今も分かりませんが「香り」で人が変わってしまうのかも知れません。
数百年続くお家元の話ですので、ウソとは思えません。

「お香」も花や木のように、かすかに香るのがよいと思います。
「湿度」を利用して部屋や着物に香りを移す「移香」が、日本の生活文化と体質に合っているのではないでしょうか。

毎朝、仏壇にあげる「お線香」。炎と煙の揺らぎで、心の安らぎを感じます。

「暑さ寒さも…」

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、「秋分の日」頃から残暑も和らぎ、この1週間、急に朝夕冷え込んできたように感じます。

この間まで、敷きパット・タオルケットとも「ヒンヤリ」する面(涼しく感じる加工がされています)にして寝ていましたが、現在は普通に加工された面にしています。さらに数日前から、薄い羽毛布団を掛けています。

日に日に、秋の深まりを感じるこの頃です。

昨日の朝は一面に靄(もや)が立ち込め、すぐ下の公園や東京方面まで何も見えない程でしたが、8時前には靄が消え陽が差してきました。早朝の厳しい冷え込みがうかがえました。

一昨日は「お月見」でした。
少し雲がありましたが、月は東から南の空へ移動しながら明るく輝いていました。秋の月もよいものです。

今朝も朝顔が咲いています。ブルーの小さな花が、深まる秋に静かに抵抗しているようです。

9月議会が終わりました。
議会中で行くことが出来なかった墓参りに行きたいと思います。妻と私の両親、そして吉川に来て以来、お世話になった方の所です。

人の命も永遠でないことは分かっていますが、やはり寂しいものです。
私もそのうち、消えていくことは間違いありませんが、自分への寂しさはありません。

過去を振り返ると失敗の連続で、今度生まれ変わったら「あんな失敗はしない」、「よく考えてものを言い、行動できるのでは」と思いますが、それもまた「つまらないこと」だと思ったりします。

その時その時、精一杯考え判断してきた結果です。過去に戻ることは出来ません。仕方のないことです。

生きて行くうえで、どんな「選択」をするのか。正解と不正解はいつも紙一重です。

それは、成功・失敗と同じで、成功が失敗を招き、失敗が幸せにつながることが、時々あるからです。

「人生は不思議でおもしろい」と思います。

「空気」

GoToトラベル。
この間まで、「不要不急の外出は自粛するように。都道府県を越える移動は避けて」と言っていましたが、GoToトラベルに変わりました。

新聞広告には、大々的にGoToトラベルキャンペーン旅行が案内され、「旅行代金が最大で半額補助されます」「いよいよ東京都も10/1出発から支援対象となります!」とあります。

コロナウイルスの感染拡大が続く中、首都圏や大阪・兵庫・福岡で出されていた「緊急事態宣言」を、政府は4月16日、全都道府県に拡大。都道府県を越える移動は避けるよう要請しました。

それまでも、三蜜を避け、ソーシャルディスタンスを確保し、マスク着用、手洗い・うがいの励行等を実践するよう啓発していましたが、「緊急事態宣言」で雰囲気が変わったように思います。

特に、「マスクの着用」についてです。

皆、マスクの着用が、実際にはあまり役に立たないと分かっていますが、周りの目を気にするようになったと思います。一歩外へ出たら、「マスクを着用しなければいけない」という「空気」です。

マスクを着用していても、自分への感染は防止できず、他人への飛沫感染防止も完全ではありません。
しかし、エレベーターに乗ったりスーパーで買い物をする際や近所を歩くにも、マスクが必需品となりました。電車内で着けていない人は注目を浴びます。

どれ位の割合の人が同じ行動をすると、そういう「空気」になるのか分かりませんが、いつの時代でもそんなことが起こります。

先の大戦では、「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」という空気の中で、周りの人と違う言動をする人は「非国民」というレッテルを張られイジメ・仲間外れの対象となりました。

今の時代にあっても、「自由の国」アメリカで同じことが起こりました。9.11の時、少数意見や異論を唱えた人が「非国民」扱いされ、社会的制裁を受けました。あらゆる所で、仕事を追われる人がいました。

新型コロナウイルスの感染拡大が進む中、生まれた「空気」に黙って従うというのは、「他人と異なる行動をして、社会的制裁を受けたくない。風評被害の対象になりたくない。」ということかも知れません。

しかし、完全防御の医師でさえ新型コロナウイルスに感染します。どんなに気を付けていても、感染することはあり得ます。
見えない相手を恐れ、家の中の籠って生活するのは極めて非人間的な社会だと思います。

私たちが毎日行っている「日常会話」のほとんどは、重要なものではありません。どうでもよいと言えばどうでもよく、たわいのないものです。「外出」もまた同じです。仕事や学校へ行くことや、近親者の危篤時、重い病気・ケガで病院へ行く等以外は不要不急と言えば不要不急です。仕事や学校も重大事には休みます。

他人から見れば、たわいのない会話や行動は生きて行くうえで重要なことです。「行きたい所へ行き、見たいものを見たり、やりたい事をする。人と話をすることでお互いを認め合い、自身の存在を認知すること」に繋がる極めて大切なことです。

人として自然な行動であり、人だからこそ出来ることだと思います。基本的人権と自由に係わることです。

世の中の「空気」「同調圧力」に流されず、自らの判断を大切にしたいと考えています。

久し振りに

昨日の早朝、越谷レイクタウンの調節池へ散歩に行きました。
6時前に家を出て、途中寄り道をしながら3時間余りで20,000歩を歩き、9時近くに自宅へ戻りました。

散歩コースは時々変わりますが、寄り道の場所はだいたい同じで、神社・コンビニ・中古車販売店です。コースによって行く場所が変わります。

昨日は、吉川と越谷市内4カ所の神社をお参りし、越谷のコンビニで100円のコーヒーを飲み、中古車販売店は草加と越谷市内の2カ所に立ち寄りました。並んでいる車の車種や価格から元の所有者を想像したり、現在の景気状況を推測しています。

散歩の途中から、「鼻水」と「くしゃみ」が止まりません。家へ帰ってからも治まらないので、鼻炎薬のカプセルを飲み体温を測ると、平熱より0.5度上回っていました。夕方には0.7度高くなりました。

今朝の体温は36.4度。「平熱」に戻りました。

久し振りに散歩に行きましたが、熱が出たのも久しぶりです。

かかりつけ医にも、この5~6年行っていません。2年前に病院へ行きましたが人間ドックの受診でした。

近年は病気に罹らなくなったように思います。食生活をはじめ生活習慣が健全になっているからかも知れません。身体も気持ちの持ちようにも、気を付けています。

無理せず完璧を求めず、力を入れるところと抜くところを分けるのが健康に必要なことだと考え、実践するようにしています。

一昨日の夕方、議会が終わり外へ出ると、空一面に「雲」が広がっていました。

夕日が「雲」の隙間から輝き、秋の空にいろいろな形・色の「雲」が浮き、秋の訪れを告げているようでした。
久し振りに見る「雲」でした。

*またまた、1日遅れの更新で申し訳ありません。今日もやるべきことは沢山ありますが、少し手を抜いてやっていきます。

9.11 3.11

昨日は9月11日。
19年前、米国同時多発テロでニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)が崩落しました。

2011年9月11日、WTCのツインタワーに2機のジェット機が突っ込み、南棟に続き北棟が崩壊。
ビルに突入する飛行機はまるで映画の1シーンのようでしたが、その後崩落したビルから巻き起こる灰色の煙を背に逃げる人々の様子に背筋が凍り付くようでした。

巨大ビルが一瞬にして崩落、必死に駆け足で逃げまどう姿は信じられない光景でした。

ビルの中で救助活動や消火活動中の方々も亡くなりました。

まるで「戦争」のようだと思いました。アメリカ本土が直接に攻撃されたのは、初めてのことではないでしょうか。

これまでの数えきれない「戦争」でも、多くの市民が犠牲になりました。世界中で。

75年前に終わった日本の戦争でも、女性や子ども、高齢者が沖縄や東京だけでなく、全国地方都市で亡くなりました。広島・長崎での出来事は、悲惨であり人類にとつて悲劇だと思います。

東日本大震災と東京電力福島第Ⅰ原子力発電所の事故から9年半前が経ちます。

2011年3月11日。「大津波」は海辺の町々を襲い、住宅や商店は一瞬にして消え去りました。

自分達が暮らしていた街があっという間に水に浸かり、車や家までがオモチャのように流され、川は逆流しました。高台に逃げた人々が逃げ遅れた住民に大声で呼びかける。また、それらをじっと見つめる人達の、恐怖に震える姿が思い起こされます。

1年後、被災地へ行きました。
消えた街を歩き、誰もいなくなった学校や市役所を訪ね、高台へ移ったプレハブの市役所や仮設住宅で話を聴きました。

町には、家や家族を失い仕事も出来なくなった方々と復興特需で仕事をしている人達がいました。ボランティアセンターには毎朝多くの人が集まり、復興作業に向かっていました。

わずかに残るかつての暮らしの跡や特有のゴミ臭、そして何もなくなった街で、静かに咲く花は記憶から消えません。

長い歴史の中で、自然災害や争いを繰り返してきた人間ですが、30年、50年、100年という時間の中で過去の出来事を忘れてしまうようです。

自身の一生でも、忘れた方が良いことと忘れてはいけないことがあるように思います。

この2週間

首と腰の痛みに苦しみました。
2週間前突然、首を右に向けることが出来なくなった。ぐるっと回したり左側に向くことは出来ますが、右側に向けず、身体を右側に向けていました。

少しづつ動かしていれば、2・3日で治ると思っていましたが、動くまで1週間かかりました。

「首」が治ったと思たら、今度は「腰」が痛くなった。立ち上がることが出来ず、立った後もまっすぐに立つことが出来ません。顔を洗うのも一苦労でした。

以前、ギックリ腰になったことがありますが、その時と比べれば少しマシで、夜に寝ることも何とか寝返りを打つことも出来ました。それでも2日間、家でじっとする生活を余儀なくされました。

丁度この時期は9月議会の始まる前で、何かとやらなければならないことが多く、困りました。

8月21日に9月定例会の議案書が配布されました。

補正予算や決算、その他の議案について内容を確認しなければなりません。そのため令和元年度に実施した事業の「成果表」を読み込むことが必要です。また、議案の勉強会や議会運営委員会が開催されます。

9月1日は一般質問の提出、9月2日開会日には議案質疑が締め切られます。議案質疑と一般質問の通告書をまとめなければなりません。また、会派内での調整のための話し合いもあります。とにかく、やらなければならないことが多くある時期です。

弱いものです。「首」が動かない、「腰」が痛いだけで行動のみならず、考え、まとめたりすることが上手くできません。意欲だけでなく思考が停止してしまいます。

通告書は何とか短時間で集中してまとめましたが、人間は弱い動物だと思います。

頭や歯が痛いだけで、考えたり書いたりすることが出来ず、指を切ればズキズキし、火傷ではヒリヒリして眠ることも出来ません。

心配ごとで、胃や腸が痛むこともあります。
人間は、身体も心も繊細というか弱い生物だと思います。同時に、それらを乗り越える力を持つ強い生物だとも言えます。大病や大ケガで体の一部を失っても、また元のように生活できることが多くあります。

以前、食品の検査機関の方と一緒に仕事をしたことがありました。朝から夜まで二人で行動し研究所へ戻った後、突然その方がトイレで倒れました。

彼は仰向きに倒れ、噴水のように血を吐きました。すぐに救急車の手配をお願いしました。
回りの方々は冷静に彼の状況を確認し、119番で話をしていました。

私の方は突然、瞳孔が狭まり目の前が見えなくなりました。そばにいた職員に、「椅子に座ってください」と言われ、机を前に座りました。

見えないのに、会話だけは聞こえました。吐いた血液の量やどんな血液なのか、彼の持病などを救急へ知らせていました。

しばらくして、1人の方が「稲垣さんも普通の人でしたね。」というと、回りの人たちも「そうですね。」と相づち、笑い声が聞こえました。

その時なぜか、「戦争へ行ったらまっ先に死ぬのは、自分だろう」と思いましたが同時に、「何を見ても何も感じず、しぶとく生きて帰ってくるかも知れない」という考えがよぎりました。

*その後、彼は回復しました。彼と他の職員とともに、あの時のことを「さかな」にして、時々飲んでいました。

安倍首相辞任表明

安倍首相は28日午後5時から首相官邸で記者会見し、持病の「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に辞任する意向を明らかにしました。

昨日、午後2時前だったと思いますがテレビの画面に「安倍首相辞任」「夕方から会見」のテロップが流れました。

先日、慶応大学の病院で検査を受けた後、健康問題について話題になっていましたので、やはり症状が思わしくなかったのかと思いました。

早速、今朝の新聞は「辞任表明」一色です。持病の悪化、新首相選出そして長期政権7年8カ月の功罪と課題等についての特集です。
朝日は1面で、『1強政治の「負の遺産」教訓に』。読売は、『国論二分の課題に挑んだ』。と総括的にまとめ、2面以降の中で、識者に聞いた「評価」も書かれています。

例えば経済政策の「アベノミックス」について、おおよそ上手くいったという人もいれば、以前から「アホノミックス」と言い切る方もいます。
どこにスポットを当てるかによって、評価が変わると思います。

失業率・株価・GDP等に注目すれば、うまくいった。実質賃金の伸びや成長戦略・格差拡大等考えれば失敗だったと言えます。

持病の再発・悪化が辞任の大きな理由でしょうが、うまくいかないコロナ感染症対策と経済をはじめ、内閣支持率の低下、外交の行き詰まり、私物化批判等の中、「権力への意欲」を失ったのだと思います。

「国民の負託に自信もって応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではない」と語った言葉に、その思いを感じます。

*「潰瘍性大腸炎」: 病気を抱えている方のご家族の話では、安定している時は良いが、「下痢や腹痛で数日間動けなくなることもある」と。